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効力は続くが永遠ではない / 0717 君たちはどう生きるか


初めて劇場で観た映画は『千と千尋の神隠し』だった。小学生の時、強烈に覚えている。今はもうなくなってしまった地元の映画館で、叔母と一緒に。

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忘れられないシーンがある。
沈んでしまった街、線路。
誰もいなくなった、夜をかける列車。

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子どもの時に観たあのシーンは、わたしの中に深く根を張り、日常のふとした瞬間に顔を覗かせる。遅延性の毒のように。逃げ道を作るように。

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『君たちはどう生きるか』は宮崎駿監督が7年の歳月をかけて作り上げた映画だ。事前のプロモーションは一切なし。与えられた情報はタイトルと青い鳥が描かれたポスターのみ。だからこそワクワクした。一人の少年の冒険活劇。

STUDIO GHIBLI

意図的であろう、いい意味でどこか既視感のあるショット。「風立ちぬ」「千と千尋の神隠し」「紅の豚」「崖の上のポニョ」「ハウルの動く城」「となりのトトロ」、子供のときからずっと大好きだった作品を思い出させる。これがジブリなんだって、ずっと観ていたいって、そう思うような風景、色彩、キャラクター、音楽。

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ストーリーは抽象的である。説明されていないことが多い。世界は感知できない大きな力が働いていて、個人の力では変わってはくれない。その世界で生きる登場人物たちは一つの感情で動いてくれない。私欲のために行動しているかと思えば、愛する人のために命をかけて差し出すこともする。複雑で人間臭い。

映画を観終わって、自分の中で咀嚼するのに時間がかかった。いつもは誰かと感想を言い合いたくなるタイプなのだけれど、言語化するのも何故か憚られた。映画を観て感じたことを、少しずつ消化したい気持ち。感情を自分のものとしたい、血肉として一部としたい気持ち。

全てが理解できなくもよかった。わからないことはたくさんあれど、いつかわかる時がくる。年齢とかではない。大切で心の中になにかとっかかりを残す、日常に潜む。そして然るべき時が来た時に必ずまた現れる。複雑でわからなくて掴みどころがない。だからこそ知りたくなるし、愛おしい気持ちになる。

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ジブリの新作を劇場で観るのは恐らく最後になるということが、たまらなく悲しくなった。
子どもの時の私にはジブリの映画が公開されることが当たり前だった。終わりが来るなんて思ってもなかった。幼い私は「映画は人間が作っている」という至極当然なことすら、正しい意味で理解していなかったのだと気がついた。イメージが、ストーリーが、一人の人間の頭から生み出されたということ。大人になってそのことを理解しても尚、どこか漠然としたことのように感じられる。私たちの知り得ない世界から生まれるもの、あるいは神様が作るようなものだと思った方がなんとなくしっくりきた。

効力は続くが、永遠ではない。
いつか抜けてしまう、忘れてしまう。
どれだけ鮮烈な記憶だったとしても。 

いつだって作品が、向こうの世界からのお土産のように、記憶と共に、私たちを別の世界に連れて行ってくれる。けれど効力が切れたとき、私たちは現実の世界に帰らなければならない。生きていくことは汚れることであり、苦しみに向き合うことである。家族や恋人や友達や、折り合いをつけないといけないことから逃げないということである。

この道の行く先に 誰かが待っている
光さす夢を見る いつの日も
扉を今開け放つ 秘密を暴くように

『地球儀』 米津玄師


いつかまたどこかで、会えたら。
だけどその時までは。

あばよ、友達

『君たちはどう生きるか』