見出し画像

ただ忘れないでいるということ。

最近人生が行き場をなくしているのを感じる。
なんとなくこの気持ちを忘れたくないと思ったので、noteに記録しておく。

特段ほしいものがあるわけでも、どこかに行きたいわけでも、誰かに会いたいわけでもない。けれど漠然と何かが停滞しているようなそんな感覚。


コロナ禍で約2年ほど行けていなかった祖母の家を訪れる機会があって、せっかくだからと以前住んでいた町を歩いてみた。目的の駅に着いたときに降りたのはわたし1人だけで(山間の田舎町なので1時間に1本しか電車はない)、目に入る景色の全てが少しだけ小さくそして色が褪せてしまったように思えて、歩みを進めるにつれて、何故だかたまらない気持ちになった。

暑さで揺れる視界。ラジオ体操をした公園。無理して履いたヒール。今はしらない人が住んでいる友達の家。乾いた土と草の匂い。白くて吠える大きな犬が怖かったこと。繋いだ手の熱さ。わざと遠回りして好きな男の子を待ったこと。伝えられなかった言葉。忘れてはいけなかったこと。ぜんぶ自分の中にあって、何もかもが大切だった。

祖母が暮らしている家は恐ろしいほど変わっていない。充満する畳と線香とそして少し埃っぽい匂い。料理教室とお寺さんの手伝いの日程が丸されたカレンダー。歩くと軋む廊下。青と白のタイルがしきつめられた風呂場。空白の犬小屋。赤紫蘇を煮詰めたジュース。わたしが小学生の時に描いた祖母の似顔絵。庭にあるモクレンの木。

何か悲しいことがあるわけではないのに、泣きそうになること。どこに行きたいのか自分でもわからないくせに、何もしないくせに、かき集めた幸福で満ち足りることのできないこと。みんなではなくて、周りにいる人たちよりもほんのすこしだけ幸せになりたいと思っていること。

伝えたいことはたくさんあって、けれども頭の中に浮かんできた断片的なイメージをひとつの固有のイメージとして紡ぐことができないもどかしさ。意味をなさない言葉たちが日々蓄積されるだけで、いつまで経っても埋まらない真っ白なページただひたすらに眺めている。いつか頭の中で革命が起こって一つの世界が構築されるその瞬間をひたすらに待っている。