再びの ときめき
はじめまして。
2年前に還暦を迎えた夫、2年後に還暦を迎える私、というアラカン夫婦。
2020年の春に、それぞれが退職をし、以後、毎日が日曜日を満喫している。
「自由な毎日なんて、楽しいのはきっと最初の3ヵ月くらい。何してるの?退屈じゃない?」
とよく思われるけれど、そこは大丈夫。2人でじっくり考えて選んだ道なので。
あれこれ目標はあるけれど、「いつの日か再び、パソコンのキーを叩いて文字を並べること」をしたいと、私は密かに思っていた。
2021年が始まり、ふいに、それが今かな?と思った。
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夫にも語っていない、少し恥ずかしいことを書く。
15年ほど前だろうか、「おいでよどうぶつの森」というゲームがあった。
丁度そのころ、遅ればせながらパソコンデビューを果たした私は、自分のなかに目覚めた、怖いもの知らずのパッションに乗り、「おい森」のブログを書き始めた。
もともと、文字が好き、言葉が好き、書くことが好き。
文字列キーボード(古くは英文タイプや、かつての理学部教室にあった、ごついデスクトップコンピューターの、まるでピアノの鍵盤を叩くが如くの段差の激しい入力キーボード)が好き、だった私は、新品の自分のノートパソコンで、キーを叩いて、文字を並べ、自分の好きな言葉を組み合わせて、自由に文章を構成することができる、という喜びを知ってしまった。
その後、「おい森」の現実世界から離れたブログで、文章を投稿する興味を徐々になくした私は、リアルな世界の、息子の中学受験奮闘記やら(奮闘していたと思っていたのは私だけかもしれない)、個人的状況からのつらい日々の心境やらを書き、挙句の果ては、いい気になって短編小説を書いてみたり、大して上手くもない写真をアップし、ポエミィな言葉を連ねたりして、小さなパソコン画面の自分の世界を愛おしんだ。
誰に迷惑をかけるわけでもない、その完全なる個人創作と時間は、ページ上では能天気に見えたかもしれないけれど、実はそこそこキツかった自分を、救ってもくれた。
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だが、自分がもっともっとキツくなってしまった時、とうとうその創作世界を楽しむこともできなくなった。
全てのブログを私は削除した。
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キーを叩けなくなってから7年。
ひどくありきたりな表現だけれど、その間に、地獄を体験し、そして這い上がった。
そして、生まれてきてよかったな、と思えるようになっている今、もう一度、今の私を表現してもいいんじゃないかと考えた。
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以前使用していたブログは、FC2というサービス。
私は気に入ってはいたけれど、あの世界にだんだん慣れてくるにつれて、どんな印象のブログにしようか、まず視覚としての画面設定にこだわるようになった。
テンプレートはどんな色とスタイルで、何の画像を取り入れるかや、文字フォントの種類はどれにして、大きさはどうするか、余白(padding, margin, line-height)の好みも出てきて、気づいたら、スタイルシートのCSSを少しずついじってしまったり、また、バナーなんぞも作ってみたりして。
しかも投稿すればしたで、各種ランキングや、アフェリエイトはどうするなど、少々厄介な領域までに至ったり。
そういう細かい拘りは、下手をすると、最も肝心な「書く」という行為を疎かにしたりもする。
そのようなブログというツールは、少なくとも今の私には不向きだ。
その点、昨年知った(ひどく遅い)この note というサービスは、淡々とキーを叩くのには最適。
あと必要なのは、誰に向けて書くかを意識する、ということ。
これまで生きてきた経験のうち、ぜひ「必要なひとに」伝えたい「大切な」ことはいくつかある。
それらを記する機会は、いずれもちたい。
でも、それ以外の多くの文章は恐らく、キーを叩いて言葉を並べる個人的愉しみのため。
誰かに向けては誰にだろうと、数日考えた。
そして、それは最愛の夫に向けたい、と気づいた。
私って、こんなヤツなのよ、ということを改めて伝えるために。
そして、もしも夫が、「お!?」とこっそり思ったり、くすっと、にやりと、小さく笑ったりしたのなら、私はきっと小躍りする。
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noteでの初めての投稿。
キーを叩き、ときめいている私がここにいる。
とても懐かしくて、同時に、新鮮なときめきだ。
noteさん、どうぞよろしく。
愉しみのチャンスを与えれくれて、ありがとう。
・・・・・ end ・・・・・
タイトル画像 : 千畳敷カール 雪上にどなたかが残したハート