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読書が「嫌いになる読み方」をやめれば、きっと読書が好きになる

僕は読書が好きで、ほぼ毎日本を読みますし、毎週のように本屋にも行く。

読書は僕と違う人生を歩んだ人(すでに会うことができない大昔の人も含め)の思考に、いつでも好きな時に触れることができ、最高にワクワクする。

でも、世の中は読書離れが加速していると言われているのが現状。

というか、読書離れというより、よく本を読む人と、まったく読まない人の二極化が加速しているんじゃないかと感じる。

ここで、読書をしない人の原因の一つについて考えてみる。

普段読書をしない人の中に、「過去に読書をしたけどつまらなかった、読んでいて苦痛だった」という体験が原因で、読書をしなくなった人が一定数いると思うんですよね。

人間、嫌なことや苦痛をともなうことからは避けるのが当たり前なので。

でもここで考えて欲しいんですが、なぜ読書が楽しく好きな人がいる一方、「つまらない・苦痛」と感じる人がいるのか?

それは「読書の仕方」に原因があると僕は考える。

「つまらない・苦痛」と感じる読書の仕方をしているのが原因で、読書が嫌いになっている可能性があって、裏を返せば、「つまらない・苦痛と感じる読書の仕方」を取り除いてやれば、読書が好きになる可能性はグンと上がるんじゃないかと。

読書はしたいと思っているけど、本を読むのが「つまらない・苦痛」と思っている人へ向けて、きっと読書が好きになると思う方法についてnoteで書いていこうと思う。

他人に勧められた本より自分の好きな本を読む

友達や職場の同僚なんかに「この本はおもしろいから読んだ方がいい!」と、勧められる場面というのは結構あったりする。

せっかく進められたしと本を買い、読み進めてみたものの、しだいにこういった感情を感じ始める。

「あれ?ぜんぜんおもしろくない…。」

それでもいつかおもしろくなると信じ我慢して読むが、結局最後までおもしろくなかった。もしくは、耐えられず途中で読むのを止めてしまった。

他人に進められた本を読んだ人の中には、このパターンはかなり多いんじゃないかと。

結果、「読書をしてもおもしろくない」「自分は読書をすることが向いていない」という経験をして、読書がきらいになったり、苦手意識が芽生えてしまうことに繋がる。

ここで考えなければいけないことは、ほかの人が面白いと感じた本が、なぜ自分はおもしろいと感じないのか?

理由はとても簡単。

「本は読んだ人によって、感じ方がまったく変わるものだから」。

僕も色々な方が絶賛されているような本を読んでも、まったく面白くなかった経験は山ほどある。

例えば、ロシアの小説家ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」なんて、読書家の人がこぞって絶賛している超有名な小説ですが、僕は今まで3度挑戦して上巻すら読み終えたことがない。

独特な文章の回りくどさや登場人物の多さなど、読んでいて苦痛すぎるため、いつも途中でやめてしまう。

多くの読書家が絶賛しているのに、僕は苦痛すぎて読み切ることができない⋯。

これって、本を読む人の知識や読解力、歩んできた人生の価値観など、さまざまな要因によって、本に対しての印象や理解度がまったく変わるからなんですよね。

同じ本でも1年後読み返すと、最初に読んだ時と全く違う感じ方をすることが僕はよくありますが、これも昔と今では知識や状況などが変わっているため。

本以外に置き換えるともっとわかりやすくて、「テレビ番組」だって、人によって好き嫌いなんてあるじゃないですか?それと一緒。

だからこそ読書が苦手と感じている人は、だれかにおもしろいと勧められた本より、「自分が興味を感じた本」を読んでみることをおすすめする。

できれば本屋に行って実際に本を手にとり、帯や目次なんかで内容をサラッと確認して、「面白そう!」と感じた本を読む。

これだけでも人に勧められた本を読むより、グッと読書が楽しいと感じられる経験が増えるはず。

「文章に線を引く・余白に感じたことを書き込む」はしなくていい

よく読書家が推奨している読み方で、「印象的な文章に線を引く」「余白に感じたことを書き込む」などがある。

内容を覚えるためであったり、読み返した時にどの部分が印象的だったのか、そのときにどう感じていたのか確認するための読書法。

「読書は線や書き込みをして自分の血肉にしないと意味がない!」と、強く言う読書家もいるほどのやり方ではありますが、ここで僕の考えを素直に書く。

書き込みをする読書家の人からは怒られるかもしれませんが、僕は「そんな読書法なんてムリにやらなくていい」と思っている。

別にそういった読書法を、否定しているわけではまったくない。

推奨している人は、そのやり方が自分にしっくりきていて、ためになっているからこそ勧めているはずなので。

でも、結局は人それぞれ本を読む理由や、自分にあったやり方は違うわけで、ただひたすら本を読むスタイルが好きならそうするのが一番。

線を引いたり書き込みをするためには、読書の度にペンを用意する必要や、書き込む手間も増えるし、基本的に買った本を汚すのは嫌な人も多いと思う。

読書を自分の糧にしようと、変に読書法を取り入れたせいで、「面倒くさい・汚すのが苦痛」という気持ちが生まれ、読書嫌いになったのでは本末転倒。

まずは純粋に本を読むことだけに集中して読書を楽しむ。

読書の楽しみを十分感じれるようになったら、そこから線を引いてみるなり、色々と自分にあった読書法を探す旅に出てみればいい。

「全部読まなければいけない」という思い込みをやめる

「せっかくお金を出して買ったんだから、すべて読まないともったいない!」と感じ、たとえ面白くなくても頑張って読み、それが苦痛をともない読書嫌いを生み出す。

そうならないためにも、本は全部読まなくてもよく、途中で面白くないと感じたなら、もうその本は読まなくていい。

最初から最後までずっと面白い本なんて、なかなかありませんからね。

小説以外なら、「目次を見て自分の読みたいと思える箇所だけ読む」みたいな感じでも全然OK。

「せっかく買ったんだから、全部読まなくちゃ損をする!」と、無理に最後まで読もうとする気持ちもわかりますが、最後まで読み切ろうとして苦痛を感じながら読書をするくらいなら、途中で読むのをやめる勇気をもつ。

本なら大抵メルカリなんかで売れるので、お金が多少は戻ってくると思えば、少しは途中で読むのをやめる気持ちの手助けにはなるハズ。

もしくは、図書館が近くにあるなら無料で本を読めるので、何冊かまとめて借りて、「面白いと思える部分だけを読む」ことを繰り返し、本は全部読む必要はないということを自分に刷り込むやり方もありだと思う。

自由に読書をしてこそ楽しさを知ることができる

読書が嫌いな人や苦手な人が、どうしたら読書を好きになるのか簡単にだけど書いてみた。

結論、僕が言いたいのは、「自分の好きなように読書をしたらいい」ということなんですよね。

読書は誰かに読み方や読む本を強要されるものでもないし、あれこれ考えすぎず、自分が読みたい本を読み、途中で飽きたり面白くなくなったら読むのをやめて、別のおもしろそうな本を読む。

そんな感じで、力を抜いて自由に読書を楽しむ。

それが本来の読書の姿だと思うし、今まで読書が嫌いだったり苦手と感じていた人でも、そうやって読むことできっと読書が好きになりますよ。

この記事を読んで、一人でも読書が楽しいと感じられる人が増えたらうれしいなぁ。

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