はじめての記憶
母がいない。
お昼寝をしていた私は、おそらく玄関の閉まる音で目を覚ました。そしていつもなんとなしに聞いていた生活音がしないことで母が居ないことを悟り、絶望する。
時間という概念はまだない。
けれど毎日のルーティンとして、おそらく我が家の団地から道路を挟んですぐ真向かいの、馴染みの八百屋さんに行ったのだろうと結論づく。
母め。
私を置いてさくっと買い物を済ませるつもりだな?
そっちがそのつもりなら、こっちも驚かせてやろう。子供だからって、一人でどこにも行けないと思ったら大間違いなんだから。さぞビックリするがいい。
大半の人に嘘だと思われる可能性は重々承知だが、ここでこのnoteを読んでるあなたが震える事実を発表したい。
これは作者安里志麻、齢二歳の出来事である。
ガッチャン
団地特有の、音がうるさいタイプのドアについた楕円形の内鍵を、二歳の私は精一杯背伸びしてプルプル震えながらどうにかひねった。
そしてドアノブを回し、外の世界に出る。
このへんの記憶は朧げだけど、当時住んでた部屋は四階で、私は結構な段数の階段をおそらく這いつくばって降りた。
大人でも呼吸が乱れるであろう階段を、なんとなく、細かい砂利が痛いなぁと思いながら。
地上に降り立った私は、あとはもうこの団地の敷地を出て道路を渡れば八百屋さんはすぐだという事実にテンションが上がり、ワクワクした気持ちで走り出す。
母よ、さぞかし驚くが良い。驚いて、そして一人で来れた私を笑顔で沢山褒めてくれるに違いない。
母からすればとんでもないサプライズである。
当時の私にはよく考えて欲しい。
二歳の幼児が一人で道路を渡る危険性を。
私は凄く運が良かった。
この話はある程度物心ついてからも母と何度か話したけれど、道路を渡るか渡らないか、車がまだ来てない段階で母に気付いてもらえたのだ。
八百屋のおばちゃんといつも通りに談笑しながら買い物をしていた母は、おばちゃんの大きな声で顔を上げる。
「志麻ちゃん!!!?ちょっと、あれ!!!あんたのとこの志麻ちゃん!!!」
コンマ何秒、時が止まって青ざめたであろう母。
手にとっていた野菜を放り投げ、道路を渡ろうとしていた私に駆け寄って抱き上げる。
このあたりから私の記憶はないが、母は驚きすぎて恐らく私を叱ったのだと思う。
なんで一人できたの、危ないでしょう、二度としないで。
叱られながら力いっぱい抱きしめられた私は、褒められると思ってたのにと泣き喚く。
母の気持ちになってみれば、たまったもんじゃない。
読んでる人には、子供を一人にするなんてとか、ベビーゲージしなさいよとか言われそうだが、昭和の終わりの時代だった。
出来れば無事で良かったねくらいで、軽く読んで欲しい。
そんなこんなで私の初めての大冒険は、本当に幸運なことに一切の怪我もせず事なきを得た。
この事があってからは一人で外に出ようとは思わなかったし、しばらく母も用心深く過ごしていたのだと思う。
当時の事について母と何度か話したとは書いたけれど、それも小学生くらいの出来事で、実を言うと私の母はもうこの世にはいない。
だから私は、日々沢山の出来事に心や記憶をすり減らす前に、なれるか分からないけど私自身が母親になる前に。なるべく色んな出来事を綴っておこうと思ってnoteを始めました。
大人になってから、初めての記憶について話した時に言われた事がある。
『人の初めての記憶って、命の危機を感じた時な事が多いんだってよ』
私の初めての記憶はまさにそうだったなぁ
あなたの記憶は、どうですか?