プロセカイベスト『荊棘の道は何処へ』を読んだ感想

⚠️伝わらない下手くそな文章
⚠️みずきイベストロウワーまでなので見当違いかも
⚠️ながい(約12000字あります)
⚠️人に読まれることを想定してない駄文
⚠️自分本位で書いた文章
⚠️そもそも全く見当違いのことを言っているかも
⚠️みずき推しはわんちゃん注意したほうがいいかも
⚠️閲覧は自己責任でお願いします


この文章の内容
1.みずきの心境を考える①  気遣い
2.みずきの心境を考える②  自業自得
3.みずきの望み
4.みずきはどうすれば救われるのか
5.ここまでのまとめ
6.もっとはやく言えていれば何か変わっていたのか
7.人と向き合うこと
8.えななんについて
9.モブ生徒について
10.類について
11.最後に




イベストを思いのほか引きずっているようで、しっかり考えたこと全部を残しておこうと思って文を書き始めました。ちなみにみずきのイベストはロウワーイベまでしか読めていないので、見当違いのことを言っているかもしれません。当方字を書いた経験もなければ文学を学んだ経験もなければ心理学を学んだ経験もないので全て自分本位の文です。あと、見る人によってはみずきに対して批判をしているように見えてしまうかもしれないので、そういうのが嫌な方は絶対に見ないでください。私は決してみずきを非難したいという気持ちはなく、切実にあの子が救われて欲しいと思っています。この後は自己責任です。


1.みずきの心境を考える①  気遣い
まずみずきがずっとニーゴの子達に対して秘密を言えなかった理由ですが、やっぱりみずき自身は、自分の特性みたいなものは受け入れてくれると考えていて、受け入れてもらえた後のことを考えてしまっていたことが本人の口から明言されましたね。拒絶されることが怖い以上に、関係が変わってしまうのが怖い。
受け入れてもらえたからといって今までと同じままの関係でいられるわけじゃない。みんなは優しいから、「いつも通りでいなきゃ」「これを言ったら傷つくかも」みたいな気遣いをしてくれるかなと思います。でも気を遣わせてしまっている、自分の存在が少しでも相手の負担になっているという事実がどうしても苦しい。その気遣いがめんどくさいに変わることは個人的にはあまりないとは思います。ですが、打ち明けた後でもずっと関係を続けていくことを考えると、みずきはずっと、一緒に笑っている間も曲を作っている間も、ファミレスで打ち上げをしている間も、ずっとずっと、相手に負担をしいているという罪悪感を感じながら過ごしてしまう。相手に気を遣わせて申し訳ないという思考が常について回る、そんな状況になってしまうんだと思います。そんな状況でニーゴの子達と一緒にいることは本当に辛いと思います。最悪の場合、ニーゴの子達が受け入れてくれても、その辛さに耐えられずに自分から関係を絶ってしまうかもしれない。もしかしたらみずきはそうなる可能性をなんとなく感じていたのかもしれません。
(仮にえななんが全く動揺せず、男子生徒に対してノータイムで「そんなのどうでもいい」と返していたら、何かが変わっていたのかもしれないけど、ずっと隠してきて勘違いさせたままでいた以上、動揺してしまうのは当たり前なので、そういう10000点以上の反応をえななんに求めること自体無理な話です。)


2.みずきの心境を考える②  自業自得
今回モブに対して、「お前たちが言わなければみずきは自分でえななんに言えたんだ!お前らがいなければことがうまく運んでいたんだ!」みたいな言葉を向けている人を度々目にします。まず、後で少し触れようとは思いますが、このモブのしたことは絶対にやってはいけないことです。それに、今回怒りの矛先をどこかに向けなければやりきれない、そんな思いを持った人がこのモブに怒りを向けることは何らおかしいことではないと思っています。
その上で、このモブがいなければことがうまく運んでいたかというと、残念ながらそうではなかったと思います。前述したように、みずきが1番恐れていたことは、ニーゴの子たちが秘密を知ってしまうことではなく、秘密を知ってなお、気を遣いながら自分と関わること、そしてそれに対して自分が罪悪感を持ってしまうことなのかなと思います。
であれば、みずきがえななんに自分の口から言えていたとして、状況が変わっていたかと言われると、多分そうではなかった。自分で言ったとしても、えななんは驚き、動揺する。そして、みずきも動揺したえななんをみて、今後えななんが、この動揺を感じさせないように気を遣いながら自分と関わることを悟ってしまう、そういう結末になったと思います。まあ、今回他人の口からばらされ、タチの悪い絡み方をされたことでえななんの動揺が大きくなり、その瞬間のえななんの表情を見てしまったことでショックが大きくなってしまったことはかなりグロテスクではあると思いますが。
ただ、残念ながら、このグロテスクな状況を作り出してしまった原因の一端はみずきにあります。モブがよくないムーブをしたのはもちろんですが、直接の原因を作ってしまったのはみずき自身だと思いますね。
モブも言っていたように、みずきは自分のことを隠していませんでした。クラスの子達にはあらかじめ言ってあるし、どこまでの範囲かは分からないけど、周知の事実ではあった。みずきの周りの杏や類、もし知っていたとしたらとうや、彰人も、人の秘密をペラペラ喋るような人じゃなかった。それが幸運だっただけなんです。一度ニーゴと杏があった時にえななんが杏に、学校でのみずきの様子を聞くシーンがありました。あの時杏は色々察してみずきの秘密とか、センシティブな部分に触れない回答をした。でも杏が気を利かせられただけであって、本来ならあそこでバレてもおかしくありませんでした。他にも、文化祭の準備をしてる時にふとそういう会話を聞いてしまうかもしれない、みずきの意図しないところでみずきの秘密を知ってしまうかもしれない、そんな可能性はずっとあったわけです。むしろ本当にばれなかったことが奇跡なレベル。そんな状況だったのにずっとここまで言えなかった、悪くいうと逃げるという選択肢をとってしまったのは、他でもないみずき自身です。今回のイベストでも、えななんが文化祭に来ないなら言わなくていいかなと考えてしまったり、えななんが文化祭に来るならその前に言わなきゃいけないと思いながら、みんなと過ごす最後の時間かもしれないから後夜祭で言うことにする、とかであったり、本当にギリギリまで逃げに走ってしまったんだなという印象を受けました。逃げることが悪いことなんて私は思わないし、逃げることだって必要だと思っています。ただ、今回は、この「ギリギリまで逃げ続ける」というみずきの行動が、最悪の結果を招いてしまった。因果応報とか、自業自得とかいうつもりは全くないけど、残念なことにこれが事実だったんです。
逃げることが悪だとは思っていないけど、逃げ続けたことが最悪の結果を招いてしまったという事実はみずきが1番よくわかってると思います。だからみずきは最後に「願い通りになったじゃないか」「自業自得だ」と言っている。外から見る私たちが自業自得だと言わなくても、逃げが最悪の結果を生んでしまったことに間違いはないし、みずき自身は少なくとも自業自得だと思っている。どうやっても自分を責めるしかない状況にいるんだと思います。


3.みずきの望み
ここからはかなり私の思想が入ってきてしまいます。私の考えが全てじゃないことを心に留めながら書いていこうと思います。私は、みずきが秘密を打ち明けたとして、関係が変わってしまうのはどうしようもないと思います。生まれ持った性別というプロフィールは現時点ではどうしても変えようがなく、みずきは最初は意図していなかったとしても、徐々にこのプロフィールを隠すように動いてしまった。この時点で、関係が変わることは免れなかったと思います。考えうる1番小さい関係変化であったとしても、えななんが驚き、その動揺を隠しながら過ごすぐらいが本当の最小ラインだと思います。むしろえななんができていただけで、普通の人は、今まで同性として関わっていた相手がプロフィール上だけだとしても異性であることを分かった上で関わっていく、ということを受け入れる時間が必要になる思います。全く変化が起きないことは基本的には無理な状況だったんです。
みずきの今の望みは「変わらないこと」。杏や類ははじめからなんとなくみずきのセンシティブな部分だったり触れられたくないことを分かった上で関わってくれているけど、ニーゴはそうじゃない。みずきの望みは「ボクはボクだ」と分かってくれること、その上で「ニーゴからみずきへ気を遣わない、そしてみずきからニーゴへ、気を遣われていることに対する罪悪感がない対等な関係」だと思います。だけど、はっきり言ってそんな状況は不可能なんです。ずっと長い間隠して関わってきてしまった以上関係の変化は免れない。それをみずき自身はわかっているからずっと言えなかったんだと思います。受け入れて欲しい、でも優しくしたり変な気を遣われることも相手に負担をしいてしまうし罪悪感を感じてしまって嫌。そういうことに対して罪悪感を感じてしまう優しいが故の生きづらさだとは思うのですが。
ではどうすれば救われるのか。


4.みずきはどうすれば救われるのか
ここも私の思想まみれなので、ここからどういう風に解決に持っていくのか、非常にシナリオに期待しつつも、私の考えをつらつら書いていこうと思います。
私自身としては、みずきがこの苦しみから逃れることができる方法は大きく二つあると思います。一つ目は「ニーゴを捨てること」。これは言わずもがな最悪の解決方法です。先ほどニーゴの子達に秘密を打ち明けたとしても、罪悪感を抱えながら一緒にいることに耐えられず、自分から離れてしまうかもしれないと書きました。それが今この時点で起こってしまうことですね。言い換えれば、みずきがニーゴのみんなと一緒にいることを諦めてしまうこと。みずきは多分優しいから、ニーゴのみんなに負担を強いることが耐えられない。だから、ニーゴのみんなとの関係をここで捨ててしまって、この先の人生で出会う人全てに自分の秘密を先に伝えておく、また、人に必要以上に深入りしすぎず、もう2度と大切な人を作らない、と決断する、これらのことはみずきが苦しみから逃れる、言い方を変えれば苦しみを避ける1番楽な方法だと思います。今回セカイに逃げ込んだのも、もしかすると、もうこれ以上大切な人を作りたくない、大切になるかもしれない誰かと関わるのをやめてしまいたい、誰とも関わりたくないという、みずきの防衛本能なのかもしれません。だから、今のみずきがこの最悪の選択をとってしまう可能性は現時点では大いにあると思います。今回の書き下ろし曲も、個人的な意見ですが、「そばにいて欲しい、ニーゴのみんなを諦めたくない」という気持ちを持ちながら、「もう終わらせたい、誰とも関わりたくない、こんな生きづらさを抱えてしまった自分が悪い」という気持ちに支配されてしまっているような印象を受けました。
ただ、みずきがニーゴをどうしても諦められない、または、自分たちから離れていくことをニーゴの子達が絶対に許さないという想いがある時点で、もう一つ解決策が生まれると思います。私が好き勝手喋っているだけですが、もしシナリオを書いている方が同じような考え方をしていて、こちらの解決策を丁寧に書いてくださったらもう個人的には脱帽ものですね。
その方法が、「みずきが苦しみと向き合うこと」最終的には「気を遣わせながらニーゴのみんなといる自分を受け入れ、許していく」ことだと思っています。
人間はみんな少なからず支え合って生きていて、迷惑をかけ、かけられてそれでもなお一緒に過ごすことを選んでいく。人という字は人と人とが支え合ってできていると言われるように、人間関係はギブアンドテイクの関係だと思っています。自分が相手からテイクばかり受けていて相手に申し訳ないと感じていたとしても、実は相手にとっては自分から多くのものを受け取っていると感じて自分と一緒にいることを選んでいるかもしれない。全ての人間関係がそうではないとは思います。我慢して付き合っている人もいれば、打算的な考え方で付き合っている人もいる。全ての人間関係がこんな単純なギブアンドテイクの関係で成り立っているとは思っていません。ただ、自分が一緒にいたいとすすんで望み選んでいくような人との関係は、ギブアンドテイクかなと考えています。自分が少しくらい相手に迷惑をかけてしまっても相手は自分に魅力を感じて自分と一緒にいることを選んでくれている。少なくともえななんは、みずきのために悩み、行動し、自分が苦手な待つという選択肢を取り続けるくらいみずきのことを思ってくれている。ちょっと負担になるようなことをしてでもちゃんとみずきと一緒にいることを自分で選び取っていると感じます。
なぜ人間関係がギブアンドテイクなんじゃないか、みたいなことをこんなに長々と喋ったかというと、私が考えるみずきの苦しみを取り除く方法が、「気を遣わせながらニーゴのみんなといる自分を受け入れ、許していくこと」だと思っているからです。それは言い換えれば、「自分がニーゴのみんなに対してちゃんと良いものをギブできている、少し気を遣わせてしまうことがマイナス50くらいの罪だと思っているなら、プラス150を自分がギブしていると考えることができるようになること」だと思っています。わかりやすくいうと、自分はニーゴのみんなに気を遣わせている、だけど自分にはいいところがたくさんあって、ニーゴのみんなはそのいいところに目を向けて自分と一緒にいてくれている、自分がいて良い場所がここにある、と考えることができるようになることだと思っています。
じゃあそのためにどうすれば良いか、手段は多分色々あると思います。いきなり内容が薄くなってしまう気もしますが、例えばみずきの周りの人に、みずきのいいところをたくさん教えてもらう、だとか、みずきが思っていることを全部ぶちまけて受け入れてもらう、だとか相談できる人に心の持ちようを教えてもらう、あとは自分がこの苦しみを乗り越えた先にどうなってるかを想像する、だとか、とにかく時間を過ごす、だとか、好きなことに没頭して自分の価値を再確認するだとか。でも全てに共通していることは、「みずきは自分が関わる人に(他の人から見ると全然ちっぽけなものだけど、)迷惑をかけてしまう苦しみを受け入れていかなければならない」ということです。
相手に気を遣わせている、相手の負担になっているという状況、そういう風に捉えてしまうとどうしても一緒にいるのが辛くなってしまう。だけど、相手に気を遣わせてしまっているかもしれないけど自分と一緒に居てくれている、少し気を遣う負担よりも自分と一緒にいる楽しさを選んでくれている、そういうふうに考えると、苦しまずに一緒にいられるかもしれない。だから、みずきはきっとこれから時間をかけて、「自分が人に迷惑をかけてしまっても、一緒にいることを選んでもらえるくらい価値のある人間だ」と思えるようにならなければいけないと思うんですよね。さっき挙げた方法のどれがきっかけになるかは分からないし、どれでもないかもしれないけど、何かがきっかけになって、自分の価値を再確認していく、そんなステップを踏んでいくのかなあと個人的には考えています。それはしばらくは自分が価値ある人間だと自分を騙さなければいけないし、気を遣わせているという申し訳なさに耐えなければいけない。下手するとかなり苦痛を伴う時間になるかもしれないけど、時間をかけて自分を許していくことが必要なのかなと考えています。
どうしようにしても、秘密を打ち明けた先に自分を許容していくというもっと大きな壁があったのだろうなと思います。みずきが一歩進もうとしたことは事実でとても素晴らしい勇気だったとは思うけど、この苦しみと向き合う覚悟ができていなかったのか、覚悟を決めることができていないままに知られてしまったことで、耐えきれずに逃げると言う選択肢をとってしまったのかもしれませんね。


5.ここまでのまとめ
まとめなので簡単にしようとは思っています。意思はあります。ここまでの流れを踏まえて、きっとみずきが救われるためにはみずきの意識を変えていくことが必要なんだと感じています。人間は迷惑をかけあうものだと割り切ること、みずきの価値を再確認させてくれるようなアクションをとってくれる人がいること、それがきっかけとなって、時間をかけて、ニーゴのみんなと一緒にいる自分を許容していくこと。正直、周りの人やえななんがみずきを救うための言葉を必死で探したとしても、この問題はみずき自身が向き合い、解決していかなければいけない問題だと改めて感じます。
ただ、これは本当に私の一意見でしかないので、これからどのように解決していくか非常に期待しているところです。みずきがこんなにも迷惑をかけることを恐れてしまう理由は、おそらく今まで向けられてきた好奇の目であったり、仲の良い子が自分のことを悪く言っているのを見てしまった、であったりの積み重ねだとは思うのですが、イベストを途中までしか読めていないので、その辺りはおいおい見ていきたいなと思っています。


6.もっとはやく言えていれば何か変わっていたのか
みずきが最後に言っていた、「もっとはやくいえていれば、なにかが変わっていたのか」ということについて少しだけ答えを考えてみたいと思います。逃げ続けてしまったみずきが、逃げずにもっとはやく決断をし、勇気を出していたら何かが変わっていたのか。みずき自身は「そんなわけないか」と言っていますね。
私は、「半分YESで半分NO」だと思っています。みずきは秘密を打ち明けたあとに、自身の認識を変えていく過程が必要だと考えている、ということは先ほど書いたように、個人的な結論です。なので今回でも、今回ではなくても、秘密を打ち明けるというステップの後にその認識を変えていくステップを踏んでいく必要があったと思います。そういう意味で、もっとはやく言えていたとしても、どのみちみずきは打ち明けた後に来るであろう苦しみに耐える必要があった、という意味がNOの理由ですね。ではYESの理由は何かというと、今回引き伸ばしたことで他人の口から伝わってしまいましたが、自分で言えていれば、今後来るであろう苦しみと向き合い、耐えることでニーゴのみんなと一緒に居続ける、という覚悟をもう少し持てていたかもしれないです。それに、認識を変える時間が必要なら、もっとはやくから、その時間を取ることができて、例えばロウワーの時に言えていたら、もしかしたら今は苦しみを乗り越えて認識を変えて、負い目のないすっきりとした状態で文化祭を楽しめたかもしれない。ニーゴのみんなが今ほど大事になる前に言い出せていたかもしれない。苦しみを乗り越える必要はあっても、乗り越えた先の良い結果をもっと前に手にできていたかもしれない、そんな意味で半分YESという風に判断しています。
ただ、少し秘密を明かす時期が違って、今回受けたショックが大きくなってしまったとしても、みずきが苦しみを乗り越えた先に行き着く結果は変わらないと思います。それは、みずきが気を遣わせることに苦しみを感じる必要がなくなること。ニーゴのみんなと対等な関係を築けていると自分で思えるようになること。だから、遅かれ早かれこの苦しみと向き合う必要はあり、遅すぎたとしても、今からでも、壁を乗り越えることができれば未来が良いものになる、そのことに気づいてくれればいいなと思っています。こういうのはあまり好きではないけれど、今まで動けなかった自分を責めることに必死になってしまうのではなく、今動くことが、どれだけ先になろうとも良い未来につながる、そんなふうに思ってくれることを願っています。


7.人と向き合うこと
みずきのことについて考える最後に、人と向き合うとはどういうことだろうと考えてみます。簡潔に。私は今までの話を踏まえて、人と向き合う、ということは、自分の良さに目を向けることでもあると思っています。相手のことが好きになれば好きになる程、自分が差し出せると思っているものがちっぽけに感じてしまう。だから、自分の価値をしっかり認めていく、相手が、自分から良いものをたくさん受け取ってくれていると信じることが、人としっかり向き合うということの一つの終着点なのかなと思います。
自分が思っているよりも、周りの人はじぶんのことをよく分かっている。自分で考えている、一緒にいるデメリットのようなものなんてめにならないくらい良い部分に目を向けて一緒にいてくれている。好きなところ、嫌いなところ、全てわかってひっくるめた上で、一緒にいてくれていると信じることができるようになるまで心を交わしていく、そんなことが、人としっかり向き合うということなのかな、とこのストーリーを読んで考えました。


8.えななんについて
今回辛かったのはみずきだけじゃなくてえななんもですよね。みずきの秘密を本人から聞くことができず、自分がとった驚き、という反応がみずきを追い込み、逃げるみずきに気の利いた言葉の一つもかけてやれない。無力さを感じてしまったと思います。今回、もしえななんが、みずきの秘密を聞いた時にノータイムで「そんなのどうでもいい」と返していたら、もしかしたら何かが変わったかもしれない。みずきに、「私はあなたに気なんて使わない」と言うことができていれば、未来は変わっていたかもしれない。本人はそんなふうに思ってしまったかもしれません。でも、先ほども少し触れたように、あの驚き、という反応はえななんができた反応のレベルとしては本当に最小だったと思います。むしろ、身構えていない状態で聞いてしまって驚き、動揺しかせず、逃げるみずきをすぐ追いかけたのは、本当に普通の人にはできないくらい、できた反応だったと思います。だから、やっぱり、あれがえななんにとってできた最善のものだったと、自分を責めないで欲しいです。今気の利いた言葉の一つもかけてあげられないのも当然です。みずきがずっと苦しんでいた、自分たちに気を遣わせながら一緒に過ごすことが怖い、という恐怖に初めて気づいたんですから。えななんはみずきの特性みたいなものは多分何も思わずすぐ受け入れることができていたと思います。あの反応を見る限り。だけど、みずきが言う、みずきを気遣う優しさが生まれることは否定できなかった。それはどうしようもないから。だから、今後、その気遣いをしながらみずきと付き合っていくことについて考えていかなければいけない。気遣いをしないなんて無理な話なんだから。気遣いをするという負担を負ってなお自分はみずきと一緒にいたいのか、そしてそれはなぜなのか、なぜ自分はみずきと一緒にいようと思うのか、そんなふうに、この出来事を通して改めて、友達とは何かということについてえななんが深く考えていくことになるのかなあとふんわり考えています。そしてその考えた結果が、2人の、さらにニーゴ4人の関係に良い影響を与えてくれることを願っています。


9.モブ生徒について
まず、このモブがやったことは絶対にやってはいけないことだと思います。秘密にしていないとはいえ人のセンシティブな部分を面白おかしく口にし、あまつさえ「君は普通に女の子だと思ったよ」なんていって、みずきをおかしいと言い、えななんをからかう。デリカシーがないにもほどがあるなとおもいます。アウティングという言葉があるように人の秘密を無闇に話すことはよくないとされていて、アウティングによって最悪の結果を招いてしまった例もある。そう考えると、絶対にやってはいけないことです。ただ、このモブを必要以上に叩くことに同意はしかねます。先ほども話題に出したように、今回の事態を招いてしまった1番の原因は、このモブがノンデリ野郎だったこと以上に、どこかでばれてしまう、こんなふうに誰かの口から知ってしまう可能性を自覚しながら、逃げ続けてしまったことなんです。社会にはまだまだこういうセンシティブな部分に気を遣えない人は多く、気を遣おうと意識していても、こんなふうに悪ノリしてしまう、無意識にでも傷つけるようなことをしてしまう人もたくさんいます。だから、人のセンシティブな部分を面白おかしくネタにしたことに対して批判はしても、このモブたちが全ての元凶であるかのような批判の仕方は、個人的には違和感を覚えます。ただ、今回批判先がないためにこのモブを批判するしか気持ちを保つ方法がないという人がいることも理解はしています。
ただ、このモブたちには自分は思うところがあります。自分もこのモブたちと同じになる可能性がある、ということです。現在、マイノリティの方々が以前よりも表に出てきてくれていることで、マイノリティとしてよく話題にされるものに関わらず、人のセンシティブな部分を軽い気持ちで踏み荒らしてはいけない、という風潮ができてきてはいます。私はこの風潮が現れ始めた時、公の場で、性嗜好に関して、少し配慮にかけることを言ってしまったことがありました。その場は何事もなかったですが、もしそこに、その言葉で刺してしまう人がいたら、もし周りにそのことで悩んでいる人がいたら、とすぐに反省し、今でもそのことを覚えています。そんなふうに、自分がそうではないからといって、配慮に欠けたことを言ってしまうかもしれない。周りの空気に流されて、さも当然に自分が普通の基準であるかのように振る舞ってしまうかもしれない。そんな不安をその日からずっと抱えています。だから、自分はいつでもこのモブのようになってしまうかもしれないという危機感を持ち、そうならないよう戒めて過ごしていこうと改めて感じました。このモブのことは分からないですが、もしかするとわたしよりずっと大きなトラウマを抱えて今後の人生を過ごさなくてはならなくなったかもしれない。そんなふうに考えると、手放しにこのモブを極悪人呼ばわりすることは、私にはできませんでした。


10.類について
今回類が登場したことに関して、意味がないという意見を少し見かけましたが、私は類の存在は非常に意味あるものだったと思います。第一に、友人としてみずきが幸せを感じられるように願う、という言葉。みずきにとってニーゴは失いたくない大事な存在ではありますが、自分のことを分かった上で友人と言ってくれる類に対して、自分の居場所が他にもある、逃げ込める場所がある、と改めて感じられたことが、前に進むことができた鍵のひとつだったのではないでしょうか。もう一つ本当に大きな功績だと思うのが、何が1番怖いか、ということをみずき自身にしっかり言葉にさせたことです。人間は大きな不安に襲われると、何か一つのことが原因でも、すべてのことが怖くなってしまう、全部怖くなって恐怖に足をとられて前に進めなくなってしまうと思います。そんな時に改めて何が1番怖いか、ということを言葉にしたことで、漠然とした数多くの恐怖から自分が向き合うべき恐怖を絞ることができたと思います。最後にえななんに気持ちを打ち明ける時も、何が怖いか、しっかりと自分の口で言えていました。それをしっかりと伝えられたことは、これから二人の関係を深めていくにあたって非常に大きな意味を持つと思います。神代グッジョブ。


11.最後に
最後に少しだけ自分の気持ちを書かせていただきます。みずきの望みはきっと欲張りで、わがままで、周りから見たらどうしたら解決に向かうのか分からないようなつかみどころのないものかもしれません。ですがそれはみずきが繊細で優しいが故に、まわりに負担をしいたくないという想いが強いからなのかなと個人的には感じます。多くの人が仕方がないと割り切っている、人に迷惑をかける、ということを許容できない、面倒で、欲張りに感じるけど、繊細で、自己犠牲を固めたような願い。多分この願いは多くの人には理解され得ないと思います。ただ、みずきと同じことに悩み苦しみ、向き合い乗り越えてきた人は多くはないかもしれないけどいます。だからこそ、そんな、多くの人には理解され得ないかもしれず、共感され得ないかもしれない繊細な生きづらさを丁寧に描いてくださっていることに対して、心から、敬意と感謝の意を表したいと思います。



もし億が一にもここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当に嬉しい限りです。私の価値観に大きく関わる話だったので、もし少しでも感想等いただけたとしたら、私自身が非常に救われる思いです。
重ねて、これは私が自分の気持ちだけで書いた、何の根拠もない駄文であることをもう一度だけ書き残しておきます。

最後に可愛いみずきを置いていきます

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