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不耕起田んぼコモンの動的平衡
耕作放棄地を田んぼに再生し、
無農薬・無化学肥料で米を育て、
さらに稲の多年草化栽培を試みるという
今までにないコミュニティ、
「不耕起田んぼのコモン」は、
フェミニズム、エコロジー、コミュニズムという、
3つの思想哲学を共有している。
その思想哲学を実践に落とし込もうとすると
どうなるか。
コモンの定例会は月1回。
田植えの時期などは月2回くらい集まる。
ラジオ体操から始まり、
一日の作業について話し合い、
チームに分かれて作業する。
1時間くらい経ったらお茶休憩、
進捗を共有して、休憩後はお昼頃まで作業。
片付けをしてSHO Farmに戻り、
かまどで作ったご飯と汁物をみんなで食べて、
自由解散。
一見秩序立った一連の流れ。
その中でも、関わる頻度や作業のスピード、
一つ一つの作業に対する理解度にはばらつきが
あり、メンバーそれぞれに思うところがある。
初期のメンバーから多少入れ替わりがあり、
コミュニケーションが不足していると感じたら、
話し合いの時間をつくり、
バラバラになりかけたコミュニティを再び、
「フェミニズム・エコロジー・コミュニズム」
という3つの軸に求心しようと働きかける。
それぞれが思いの丈を吐露する、
他のメンバーはそれを受け止める。
まとまることもあるし、まとまらないことを
まとまらないまま、寝かせることもある。
秩序とカオス(混沌)が同時進行している。
カオスと聞くとまとまりがないように
聞こえるけれど、カオスをも迎え入れることが、
コミュニティの柔軟性を保つ要素でもある。
コモンのことを考える中で最近思い出すのは、
イギリスのトットネスにある、
シューマッハ・カレッジで学んだ、
Earth Systems Gamesの
「dynamic equilibrium(動的平衡)」
という考え方。
このゲームは、例えば、気候変動について
知ってもらうためのワークショップで、
知識がないこと、あるいは、
知らないことを非難されるのではないか、
という不安に耐えられない参加者が、
自己防衛的反応として「そもそも気候変動なんて
存在しないのではないか」という
極端な論調に発展してしまうことを防ぐための
エクササイズとして取り入れられている。
つまり、ある特定の社会問題に対する無関心層が、
その問題について聞かされたり
アクションを求められた時に感じた心理的苦痛が
反動となり、社会問題そのものを否定する態度を
引き出してしまわないようにするための
対処法として、効果がある。
どういうゲームかというと、
・グループの中から2人、ランダムに選んでもらう
・その2人の等辺に立つように、立ち位置を移動してもらう
・もしランダムに選んだ2人が動いたら、自分の位置が等辺になるまで自分も動き続ける
これだけ。
しばらく動き続けていると、
やがてみんなの動きが止まる。
一見それぞれがバラバラに動いている様は、
混沌としつつも動きに一定の秩序があり、
全員が動いたとしても、
また新たな位置で平衡を見つけることができる。
動き回っていて秩序がないように見えても、
ゲームの参加者はある一定の規則に従って
動いているので、秩序とカオス(混沌)が
同時進行することで、
全体として平衡を保っている。
これを「dynamic equilibrium(動的平衡)」
と呼ぶ。
このゲームからは色々学ぶことがある。
誰かが動くと、その人に関わる人も
もれなく動くことになるので、
「無関心ではいられても、無関係ではいられない」という言葉の意味について、
字面だけでなく体感を通して理解を得られる。
グループの中からランダムに選ぶ人数を、
2人から3人、3人から4人に変えてみることで、
動きの柔軟性や、周囲との関係性の深さが変わる
ため、
「ルール(秩序や法則)を変えれば、社会(コミュニティ)は変わる」
という気づきを分かち合うことができる。
カオスと柔軟性は表裏一体。
混在する様々な人と状況に
まとまりがないように見えても、
流動しながら関係性を保っているコミュニティや
社会を、むしろ健全だと思う。
あり方を一つに定義し固定化すると、
必然的にそれ以外を排除することにもなる。
今ちょうど、SHO Farmの薪棚で、
風にゆらゆらたなびく玉ねぎも、
大きさや形や色はバラバラ、
一列につき何個なんて決まっていない。
それでも、薪棚に吊るされた玉ねぎは、
新たな情景となり畑に溶け込んでいる。
来る人が足を止め、
思わずその情景についてコメントしたり、
見入ったりする余韻を生んでいる。
新たな動き、何か予期せぬ動きがあったとしても、
他の要素が作用し合って、
きっと最終的には平衡が見つかるはず。
綺麗にまとめすぎかな。うまいこと言おうとし過ぎかな。
でも社会やコミュニティの見えないところで、
きっとこの考え方に支えられている。
このゲームは、話に聞くよりやってみた方が
腹落ちするので、いずれどこかで活かしたい。