2022年Next to Normal感想(安蘭/海宝/岡田/昆/橋本/新納チーム)-3/3
*この記事は、「2022年Next to Normal感想(安蘭/海宝/岡田/昆/橋本/新納チーム)-1/3」、「2022年Next to Normal感想(安蘭/海宝/岡田/昆/橋本/新納チーム)-2/3」の続きです。
今回でやっとラストです。#2-8. You Don't Know (Reprise)から最後まで書いています。
やはりものすごい勢いでネタバレします。
前回に続いて、Apple Musicで配信されている”Next To Normal (Original Broadway Cast Recording)”音源と、公式、後に記載する海外のファンサイト/Wiki/Kindleで販売されてるbroadway版の脚本を頼りに、1曲ずつ時系列順での感想です。曲名の前に振ってある番号は、そのまま音源に振られている番号と対応してます。
2-8. You Don’t Know (Reprise)
決定的に重要な記憶を自分が失くしていると気づいたダイアナがDr.マッデンの元を訪ね、「私は何(の記憶)を失くしたの?!」と問い詰めるナンバー。1幕でダンに対して「あなたは(この苦しみを)何も分かっていない!!!」と渾身の怒りと嘆きをぶつけたのと同じメロディーで、ここでは「自分が何を分かっていないか」分からなくなってしまったこと自体への不安と虚しさを叫ぶ構造になっているのが…!(サビの歌詞もYou don’t knowからI don’t know what I don’t knowに)
同じ苦しさを元にした真逆の葛藤を同じメロディーで歌わせる構造が、あまりに巧くてニクくて残酷。
初演でとうこさんとWキャストでダイアナをなさってたのはシルビア・グラブさんだったというのを思い出し(初演、とうこさんのもだけど、シルビアさんのも観たかった…!!)、この2回目のYou Don’t Knowのシルビアさんによる強さを背負った凄まじい切なさもどんなに素晴らしかっただろう、と思いを馳せた。初演はおそらく声の面でも持ち味の面でもbroadway版に極めて近いイメージで両チームともきっとキャスティングしたんだろうなぁ…翻って今回のWキャストは(Nチーム観に行けなかったのであくまで帰ってきた方々から聞いたベースでしかないのだけど)新解釈的な試みも結果的に生まれる形になったのかなと(「別の物語に思えるほど違うけどやはり素晴らしい!!」と絶賛されてた)想像したり。
2-9. How Could I Ever Forget?
ダンが封印していた思い出箱を、そっとテーブルに移すゲイブ。Dr.のところから帰ってきたダイアナが吸い寄せられるように中からオルゴールを取り出し、蓋を開ける。「思い出して…」と祈りを込めるような、同時に、再び幻覚との日々に引き戻す呪いをかけるような、オルゴールと重ねて歌われるゲイブの美しいハミング。
「ダイアナ何してる」「(そのオルゴール)どこで見つけたんだ。。。!」とダンが顔面蒼白で立ち尽くす横で、「寝かしつけに使ってた。。」「私達には…息子がいた」とゆっくりダイアナの記憶の蓋が外れ、ゲイブを失った「あの日」の一部始終が、まるで映像をなぞるようにありありと蘇って来る。
「ダイアナやめた方がいい」「頼むやめろ」とダンが打ちひしがれる中で、「忘れるはずない記憶」、「(ゲイブがこの世を去ったのは)8か月だった」ことをダイアナが取り戻し、医者すら見落とした疾患だったこと、助けられなかったことをダンがぽつぽつと語り、おそらく17年ぶりに初めて「二人で」あの日のことを一緒に振り返る。2人が繰り返す、「(親として)若かった」「(子どもを育てるには2人とも)若すぎた」が苦しくて痛くて、胸が血だらけになるようだった。「もっと早く気付いてあげていれば」「もっと他のクリニックを当たっていれば」、どんなに自分を責めただろうか、と想像すると止まらない。
全編通してこの場面が初めて「彼はもういない」以外でダンがちゃんとゲイブの存在についてダイアナと言葉を交わす場面になっていて、唯一二人の会話が真に「噛み合っている」瞬間で、「自分についてやっと正面から話し合い始めた二人」を少し離れた上手からじっと見つめ続けるゲイブからも目が離せなかった。この話を「二人で」振り返るようになるまで気が遠くなるような時間ー16年前にダイアナが双極性障害を発症してからはきっとより一層強く抑圧されて続けてきた過去に向き合う場面。間接的にとはいえ、やっとゲイブの「不在」ではなく、「彼が死んだ時のこと」についてダンが語ってくれた場面。
ここ、ものすごい混乱したのが、舞台では「8か月」だったゲイブの年齢が、実は歌詞カードとoriginal CDでは「18か月」となっていて(eighteenに確かに聞こえる)、資料によっては「アレルギーだった」となってる点。8か月と18か月だとまるで違うので、「日本版で8か月に変えたのか??」と当初勝手に推測してたのだけど(「自ら不調を訴えるには幼すぎた」「毎晩泣き通しでもおかしくない月齢」「(ずっと症状はあったのに)見落とされてしまった疾患」を考えると8か月の腸閉塞のがしっくりくるので、確かにそっちのが話は入って来やすいなぁと思ってた)、Kindle版で読んだ脚本でも8か月と明記されており、どういう経緯で18か月版が生まれたのか気になる。。
2-10. It’s Gonna Be Good (Reprise)
ゲイブを失った日の記憶を取り戻せたのに、肝心の「名前」がまだ思い出せないダイアナ。「彼の名前、何?」「私あなたから彼の名前を聞いたことがない」という言葉に、16年もの間(ひょっとしたら17年も…!!)ダンが、名前を呼ぶことすら避けてゲイブの記憶を封印しようとしてたことが伺えて、胸に重たい鉛の塊が打ち込まれるようなショックだった。
「私はすべて知りたいの!」必死で訴えるダイアナの叫びを無視し(ECTの是非を考え始める時まではダイアナの意思を尊重していたのに)、彼女からゲイブとの思い出の象徴とも言えるオルゴールを取り上げようと目を血走らせて「うまくいく」「うまくいく筈だ」とうわ言のように繰り返すダン(オケも明らかな不協和音)。
ダイアナから奪ったオルゴールは(舞台ではかろうじて形を保ってるけど、ト書きの上では)たたき壊され、ダンスの支度を終えて降りてきたナタリーの「パパ!!」という悲鳴でやっとダンが我に帰る。
「これさえ無ければ」「ゲイブの思い出さえ消せばダイアナを取り戻せるのに」「せっかくうまく消せてたのに…!!!」という苛立ちと焦りが完全に狂気の域に達していて、ずっと穏やかに辛抱強く誠実に「側にいた」筈のダンが冒頭”Who’s Crazy?”内で歌っていた「愛は盲目かそれとも狂気か」がゆっくり思い出されて、もうこれは献身的な愛じゃない、ここまで狂気が進んでしまっていたのか…と思い知らされる。
2-11. Why Stay?/A Promise
17年前のあの日でずっと足踏みしているのはダイアナ、というダンの主張を感じてただけに、ここでダイアナがダンに突きつける「どうして(あなたは)立ち止まったままなの」という歌詞にハッとした。続けて、「どうして(この状況に)耐えるだけなの」「もう(私のことなんか)諦めて自由になってよ!!!」という叫びが、迎えに来たヘンリーの手を取れない2階のナタリーと重なる。
ダイアナもナタリーも、自分のせいで相手がnormalから程遠い時間を重ねていることは痛いほど分かっていて、でもどうやったら抜け出せるのかの肝心なところは分からないながら、相手が自分を助けられないことも確実に「見えて(=判って)」る。「自由になってよ」と叫ぶんだけど、「自由になって」という言葉とは裏腹に「もう私を縛らないで!!」という悲鳴も聞こえるようで、返歌として歌われる”A Promise”がより一層重かった。
ダンとヘンリーが1階と2階でシンクロして「君への誓い」をダイアナとナタリーに告げるんだけど、観る度に印象がどんどん変わっていったのも興味深かった。
初見時…ダン側で観ていて、これほどの状況の中であんなに苦しみながらも、最後の最後まで手を離さないからと言い切る意固地なまでの姿勢が結局のところは「無償の愛」の一形態に思えて涙が止まらず。一方、2階のヘンリーには対照的に「若いからこその盲目さ」を感じて「この先ナタリーに引きずられて共倒れしちゃわないだろうか…」と心配に。
2回目…今度はダイアナとナタリーにシンクロし、「なんで私にそこまで執着するの?!」と差し出される言葉の重さに潰されそうな気持ちになり、「頼むから離れて、独りにして」と心が軋んで苦しかった。
3回目…「これがダン/ヘンリーが貫きたい、ダン/ヘンリーにとっての愛なんだ」というのをダイアナ/ナタリーとして認識する気持ちで聞きつつ、「でもそれ(彼らが貫きたい愛と彼らなりの献身)が私を救う訳じゃないって私は気づいている」ことからくる辛さが強烈で、ダイアナと一緒に顔を歪めて嵐に耐えるような心境だった。
「暗闇を照らす光」である「君」を「僕が照らすよ」に(ちなみにここ原語だとオリオン座からの光のような、らしい)、ありがとうって応えられない。あなたの言葉に嘘が無いのが解れば解るほど、あまりにも噛み合っていないことが見えてしまうから。。。という感じだった。。
ただ3回目観劇の頃には2階のヘンリーの安定感が段違いに増してて、「この”彼”なら、もしかしたら本当にナタリーの言葉に耳をすませて、何かを反対側から押し込めたり取り除いたりするんじゃなく”一緒に”彼女と歩いていけるんじゃないか」という予感が持てて、繰り返しを暗示するように見せられていた2世代の構造がここで破られて、2階には閉塞感を突破する風を感じ、希望が持てた。何が具体的にどう変わった、は説明できないんだけど、とにかく2週間でガラッと印象が変わって見えた。
2-12. I’m Alive (Reprise)
重たい鉄のハンマーが繰り返し打ち付けてくるかのようなダンの「誓い」を背中で必死にやり過ごしたダイアナの目の前に、消えていたゲイブが再び姿を現わす場面。震える声で「そこに彼はいない!!!(戻っちゃだめだダイアナ!!)」と止めるダンの横で、ゆっくり無からゲイブの姿が現れてくるのがありありと目に浮かぶよう。穏やかに、でも圧倒的な強い存在感で微笑みながら、「僕は永遠に消えない、歌われないままの歌さ」と美しく歌いかけるゲイブの声の中に僅かに必死さと自嘲的な色が滲んでたのが辛かった。。現実と、恐怖の象徴であり救いでもあるゲイブに挟まれてダイアナが再びパニックに。ここでとっさに彼女が助けを求めた相手がナタリーだったところに、ダンが「恐怖を分かってくれる人」とも「混乱から助けてくれる人」とも認識されてないのを感じて、あぁ…とものすごい納得しつつ、胸が痛くなる。
一幕の”I’m Alive”同様、アップテンポになるオケに乗って盆が回り、疾走感ある音楽の渦の中でゲイブがダンに向かって咆哮するように歌い上げるのが「僕の名前を呼ぶまで、あなたは僕を操れない」「消せない」「死なない」「I’m Alive (僕は生きている)!!!!!」で、一幕の”I’m Alive”でダンに向けて投げられていた「あなたが僕を作った」と結びつき、「ゲイブを生み出した根本は哀しみを乗り越えられないダイアナじゃなくて、向き合わずに封じようとし続けたダンだったのか…!!!!」と全部が繋がった。
Dr.マッデンの元に向かおうとするダイアナ、ダンスパーティーの支度の上から赤いいつものリュックサックを肩掛けして必死で追いかけるナタリー(リュック、1幕でずっと使われてた、学校に持って行ってたのと同じリュックなんだけど、ここでパーティー衣装に用意してただろうクラッチバッグだけ掴んで行くとかじゃないのが、病院に家族を連れて行くのに彼女が慣れてるんだなというのを感じさせてまたしんどかった。処方箋もらって、薬も場合によってはいっぱい渡されたり、お水準備しなきゃだったり、なんなら着替えが必要だったり、とにかくとてもじゃないけど小さなバックとかじゃ家族連れて行けないよね…)、「運転するよ!」「何か手伝うよ!」と2人を追うヘンリー。
2-13. The Break
Dr.マッデンのところでダイアナが自分のめちゃくちゃな状況と苦しさを訴えるナンバー。ベースになってるのはロックなんだけど、途中途中で挟まれる、バイオリンによる、ぐらぐらと半音だらけで転調を重ねて階段三段飛ばしで駆け下りるようなメロディーが、ぞわぞわした雰囲気を煽る。
2-14. Make up Your Mind/Catch Me I’m Falling (Reprise)
反動はよくあること、治療を続けよう、ECTをもっと受けるべきだ、「完璧な治療は無い」けど、他にもXXやYYなど試してない有効な治療法はある…!と繰り返し繰り返し説得しようとするDr.マッデンの声を聞きながら、これが数ヶ月や数年で決別できる目処が立つものじゃないこと、新しい治療がもたらすまた別の副作用や費用を覚悟しなきゃいけないこと、それと付き合う年月の途方も無さが、客席にいるこちらの体にもダイアナ越しにどっと迫ってくるようで息が詰まりそうになる。元々は「息子を亡くしたこと」への悲しみが発端で、「死を悼むこと」自体は普通の筈なのに、「4か月以上続く嘆きは治療の対象だなんて…!!」という悲痛な叫びに、色々重ねてしまって頭が痛くなるほど毎回泣いてしまってた。。
2-15. Maybe (Next to Normal)
病院からの帰り道。おそらく初めてダイアナの口から「死んだ息子」という言葉が聞かれ、「疲れたのかな、ゲームにも。このルールにも」に、ダイアナが明らかに前より一段前に進んでいるのが解って、微かな、でも確かな希望を感じる。「これからどうするの?」への答えとして「あなたをダンスに連れて行く」というのが…「いっつも自分のことばっかり!!!」だったお母さんじゃ無くなっていて、ナタリーと一緒にはっとする。
「私と同じ」「怒りと希望に燃える少女」とダイアナが語りかけるのを聞きながら、かつてダイアナもダイアナの母と多かれ少なかれそういう距離感だったことが分かるんだけど(「活発すぎてPTAを追い出された」のはダイアナのお母さんのことだよね)、でも「似てる」だなんてダイアナ自身が伝えてしまったら、それはナタリーに対して「呪い」みたいにならないか?と心配になる(実際次のPerfect for Youでダイアナみたいになったらどうしよう、というナタリーの不安が吐露される)。
ナタリーをずっと苦しめていたゲイブにまつわるエピソードがダイアナから直接初めて(!!)語られ、「普通の人生をあげたかったけど、私には普通がなんだかわからない」という言葉に、「普通じゃなくて、普通の隣(next to normal)くらいでいいんだよ」とこの作品のtitleが返される。
ナタリーがずっと待っていた、ダイアナが「自分に向けて」話してくれる言葉を聞きながら、静かに溢れてくる涙を拭ってる姿、不器用に抱きしめられながら、「ママなんて信じない」って言いつつ腕を回そうとして手が宙を彷徨う様子に、言葉にならない葛藤とほんの少しの希望が揺れてるのが見えて、この場面ずっと震えながら泣いてた。
「もう行きなさい」、とナタリーの背中から赤いリュックをダイアナが下ろしてあげるのが、「もうその小さな背中から重荷を下ろして、自分の人生を生きなさい」と告げているようで、救われるような気持ちに守られたまま、次の場面へ。
2-16. Hey #3/Perfect for You (Reprise)
待っててくれたヘンリーの元へ。「きれいだよ。スターみたい!青が似合うね」という褒め言葉に、最初の頃はそこまで前向きな感触をナタリー側に感じられなくて「ちょっと待った、この2人この先どうなるの…?」と割と本気で不安だったのが、3回目にしっかり観た時には、はにかんだ、年相応にくすぐったそうにする可愛い笑顔のナタリーがいて、一気に安堵。
「ママは大丈夫?」に答えていくうち、「私も狂うかも」「壁を見つめたり、糞まみれになったり、裸で徘徊したり、自殺未遂(してしまうかも)…」と不安を吐き出してうずくまってしまうナタリーを見ながら、これまでナタリーが目にしてきた悲惨な状況に胸を突かれる。同時に、「やっぱり(お母さんみたいになっちゃうんじゃないかという)その恐怖あるよね。。。」とずしんと気持ちが重くなって、涙で歌が霞んでいくのと一緒にこちらも涙が止まらなかった。
「なればいいcrazy、二人とも」「crazyはperfect」と優しく、でも途中から確かな力強さを込めて、静かな笑顔でナタリーに向き合っていて(ここも2週間で劇的に説得力が増して素晴らしかった)、「圧倒的包容力!!」とかとは違うんだけど、「このヘンリーなら、この、強くて賢すぎるほど賢く繊細なナタリーと、柔らかい空気を間に保ちながら真摯に同じ速さで一緒に並んで歩いていけるんじゃないか」と希望を感じさせて、とても救いがあった。
2-17. So Anyway
「もうここを出て行くわ」とダイアナがダンに別れを告げるナンバー。この作品でダイアナが歌うナンバーのうち、おそらく最もずっと高音が続く曲で、極めて穏やかな優しい旋律に乗って、柔らかく確かなとうこさんの声が厳しい事実を静かに歌う。
「あなたもこの恐怖と”自分だけで”向き合うのよ」「二人で乗り越えられると信じていたけど違った」、「私のロマンスは幻だった」、「今は飛び立てる、ひとりで」。ダンにとって救いだなと思えたのが「愛してた」「愛されてた」と言うフレーズ。ダンのあの「誓い」を(彼なりの)愛だと認めるんだねダイアナ、噛み合わない、強烈に力の籠ったすれ違いに押し潰されそうに苦しめられて尚「愛されてた」と言う言葉を選べるその強さが凄い…と聴いていた。
部屋の真ん中で、テーブルに俯いたまま別れの言葉を聞いているダンの奥から、そっとゲイブがダイアナを見つめ、「もう心は決まったんだね。」と目に涙を溜めて静かに受け入れた顔で笑顔で見送るところがとても泣けた。。。ゲイブは子どもで、ダイアナが親なのに、この場面では逆にダイアナから子離れを果たそうとする親のような表情に見えて、ダイアナの覚悟を受け入れて応援しようとしているような顔が、目のお芝居が切なくて、震えながら見つめてた。
2-18. I Am the One (Reprise)
「愛してきた俺を捨てるのか」「俺を見ろよ。。」と抜け殻になったダンが呟き歌う後ろで、「いつも見つめてた」「いつも側にいた」と声を重ねるゲイブ。明らかにまっすぐダン一人に向かうゲイブからの強い視線と言葉「あなたは僕を忘れられない」を振り払おうとするダン。これ迄ずっと幻覚を見ているのはダイアナ一人というスタンスだったのが、「どうして彼女と一緒に行かなかった…!!!」ダンがやっと自分の中のゲイブを認め、向き合い始めるナンバー。ゲイブが必死に後ろからダンにしがみついて抱きしめる姿が胸を抉り、「消えろ!!」「消えない」、「消せない」、「愛していたのに目を背けた」、ゲイブの震える声の「僕を見てよ…!」からの、やっとダンが(もしかしたら17年ぶりに)「ゲイブ…ガブリエル…」と名前を呼ぶところで喉が痛くなるほど声を殺して泣いた。同じメイク、同じ衣装なのに、止まっていた18年分の時間が一気に流れてダンが瞬く間に老け込んでしまったような、そんな場面だった。
「やぁ、パパ。。。」でやっと視線が交わった後、ナタリーの声と共に消えていくゲイブ。
ここ原語を直訳すると、「君を抱いたのは僕だ。泣いたのは僕だ。君が死んでいくのを見ていたのは僕だ。君を愛したのは僕だ。なんでもないフリをしようとしていたんだ」で、堰を切って流れ出すダンの言葉がこれでもかと重なってくんだけど、日本語訳の「、」で繋いで一文にまとめるような歌詞も刺さった。日本語版でCD出してくださらないだろうか。。
2-19. Light
「どうしたの?なんで電気つけないの?」とダンスから帰ってきたナタリーがダンを現実に引き戻し、ダイアナが出て行ったことを知る。回を重ねるごとに、ダンが放心状態から戻って来るまでの時間が少しずつ延びていっていて、18年無視し続けた深い喪失と「ひとりで」向き合うのは、ひょっとしたらダイアナ以上にダンには苦しいんじゃないかと感じるようになった。「じゃぁこの家には私とパパの2人きりね?」というナタリーへの返事に間が空いて、ゲイブが消えていった方をじっと見つめているのが。。
「無かったことにしようと」無理矢理蓋をし続けるダンの振る舞いが引き金になってゲイブの幻覚がダイアナの前に現れたのか、ナタリーを育てる過程でのゲイブとの重ね合わせが少しずつ歪んだ結果ダイアナの双極性障害が始まり、ゲイブの存在を封じるダンがさらに幻覚症状を生んだのか、いずれにしてもダンが発端となってゲイブが現れたと思う派だけど、蓋をしてきた時間が長ければ長いほど回復はしんどいよね、、と。
Dr.マッデンにダイアナの近況を尋ねるところでダンのためのケアを紹介してもらう場面があり(やっと…!!!遅すぎるよ…!!!と思ったけど)、そこが救いだった。
「灯りをつけよう」、「夜が明ければ光が(射す)」とそれぞれが再生を歌って声を重ねていくナンバー。印象的だったのが、冒頭の”Just Another Day”で触れられていた「生きていると辛い」「苦しい」を別の角度から肯定して受け入れるような形で繰り返されてる点。生きることは痛みを伴うこと、光だけじゃなく心には雲も雨もあること、中には消えない苦しみもあること、愛することは痛みを生み出すこと、生きることは戦いを含むこと、でも「それでも生きていく」。
原語版聴いてた時も歌詞は頭に入っていたのだけど、一本通してちゃんとお芝居の形でもって全曲聴けたことでより一層クリアにメッセージがまっすぐ心に飛び込んでくるのを感じて、「あぁやっぱり、生で、生身の俳優で、この脚本をおそらく噛み締め練り尽くした創り手達によって台詞と音楽と歌とで今、この物語と出逢うことができて良かった…!!!!!!」と心の底から実感した。
日本語訳の中で「幸せよりも大切なもの」とダイアナが歌う箇所があって、”you find out you don’t have to be happy at all/To be happy you’re alive.” が原詞。ここのhappyはおそらく繰り返し劇中出てきた「normalな」happyで、その枠に入れない自分(達)に苦しむことよりも、まずは生き延びること、幸せに生きるよりも先に「まずは(自分を)生きることを大事にして」、というメッセージが驚くほど深く刺さった。
ミュージカルでもストレートプレイでも、「それでも/苦しくても/生きるんだ/生きてくれ/生きろ」というメッセージは何度も何十回も受け取ってきて、言葉にすると同じ答え(=テーマ)ながらそこに辿り着くプロセス(=物語の運び方)が異なる中、Next to Normalが採ったモチーフ/題材は本当に観る側のタイミングと体調と気持ちの余裕をとても選ぶもので(間違いなく素晴らしい脚本/音楽だと断言できるけど、でも決して誰にでも勧められる作品じゃない)、それだけに、「誰がどこまで繊細に理解して演出するのか」「台詞を歌詞をどう訳すのか」「どういう力量の俳優がどのくらい読み込んでいかに形にするか/どれだけ楽曲を歌いこなせるか、ただ美しく歌いこなすだけじゃなく、意味を120%伝えるために、いかにその上に持って行けるか」「録音なのか生演奏なのか」が残酷なほど仕上がりを左右する作品だったなと改めて思った。
この音楽じゃなかったら受け止められなかった、このメロディ、このアレンジじゃなかったら空中分解してた、と思わせる必然だらけの素晴らしい楽曲が、歌に乗るからこそ心の奥まで自然に染み込む造りを本当に支えており(ここまではスコアの素晴らしさ)、歌で雑念を与えない確かな力を持つ方々によって客席で全曲まっすぐ受け止めることができたのも素晴らしく(ここはcast の素晴らしさ)、この2つが合わさってこそ舞台におけるベストな「歌」のあり方だなと何度も噛み締められたのも幸せだった。
Nチームも観て作品の理解と受け取れるエネルギーを広げてみたかった、という心残りはとてもあるけど、でも、今回2022年の春に、このNext to Normalという作品を、安蘭けいさん/海宝直人さん/岡田浩輝さん/昆夏美さん/橋本良亮さん/新納慎也さんで、上田一豪さん演出、小林香さん訳詞で心に焼き付ける機会を持てて、本当に本当に幸せだった。
観てる間、客席では震えるほど毎回辛くて,家に帰って様々な場面を回想しては涙が止まらず、実際かなり眠れなくなり、過去乗り越えたはずのエピソードや全然関係ないと思ってた経験の蓋が開いてしまって苦しくなったりとかなりしんどかったのだけど、でも、それでもあまりあるほどのものをこの公演から受け取ることが出来、時間を巻き戻せたとしても「絶対にもう一度劇場に行きたいと思える」公演だった。
今回のような、確かなcast/staff/奏者による再演を、心から待っています。
ここまで読んでくださった方、貴重な時間でお付き合いくださり、ありがとうございました!!
参考にしたサイト/脚本:
https://www.amazon.com/Next-Normal-Brian-Yorkey/dp/1559363703
4/18…目次追加
4/23…参考資料に直接飛べるよう目次編集