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2022年Next to Normal感想(安蘭/海宝/岡田/昆/橋本/新納チーム)-1/3

<前書き…この感想はNext to Normal初心者によるものです>

2013年の日本初演/2018年のTENTHを共に逃し、もちろんアメリカ含む海外公演版も一度も観たことがなく、今回の2022年でようやく初めてちゃんと、待ちに待った「お芝居の形で」Next to Normalという作品に触れた組の一人です。「お芝居の形で」と書いたのは、海宝直人さんの歌う”I’m Alive”をきっかけに強烈に作品に興味を持ち、何度も繰り返しBroadway版を聴いて初観劇の日を待っていたから。「ネタバレしないで初日迎えた方がいいですよ」という心優しい他の方の注意書きに出会うよりも先に、英語版の歌詞やらWikiやらで自らネタバレの谷底に飛び込んでしまった後の観劇だったものの、それでも事前の予習を悔やむどころか「観て初めて響いた/打ちのめされた」瞬間で一杯の、心が震え続けた時間でした。

ここから下は、Apple Musicで配信されている”Next To Normal (Original Broadway Cast Recording)”音源と、公式、後に記載する海外のファンサイト/Wikiを頼りに、1曲ずつ時系列順での感想です。

ものすごい勢いでネタバレします。


観劇の記憶は局所的には強烈とはいえ、翻訳やら各エピソードの場所やらが実際と違っちゃってるところはおおいにあると思うので、記憶には限界があるよねと薄眼で見逃していただけると助かります。または読んでくださっている方の正しい方の記憶で、脳内で補完/修正してあげてください。。。

*印は4/15以降の編集

1-1.幕開き/Prelude

 緞帳が開いた状態での客入り。全体的に濃いこげ茶色の枠組みが縦横にあり、1階と2階を繋ぐ階段が中央と上手にそれぞれ1か所ずつ。中央に簡素なテーブルと4脚の椅子が置いてあり、舞台前方に10cmくらいの段差。舞台上部にこれでもかと屋根の形の枠が2重3重に渡してある。「これは”家”を舞台にした物語ですよ」とはっきり印象づけてくる感じ。

 ピアノによるoriginal版と同じ音楽でスタートし、暗転の中でドラム、青い照明がうっすらついて、グッドマン家のリビングが浮かび上がる。

入れ替わり立ち替り一人ずつリビングに入ってダイアナと言葉を交わす。どこにでもありそうな、「普通の」家族。穏やかで落ち着いた、ダイアナからの「セックス」の誘いにも気まずいリアクションを返すどころかコミカルに応じる「夫婦関係に問題なんか微塵も感じさせない」岡田さんのダン。容姿も口ぶりもニクいほどバランスが取れていて、明らかにスクールカースト上位にいそう!!な海宝さんのゲイブも、「すべてが完璧」と繰り返しながらレッドブルを片手に宿題の進捗を語るステレオタイプに神経質な秀才高校生昆ちゃんも嫌味などころか猛烈にハマっていて唸る。なんだこのパーフェクトな子供達に夫婦トラブル無さそうなご主人!と天を仰ぎたくなるような形で幕が開いた、のに。

1-2. Just Another Day

 家族4人によるナンバー。「家族みんなが愛し合えるように」努めてると歌うダイアナに続き、それぞれが毎日文字通り生きるか死ぬかの危ういバランスと戦いながら過ごしていることを吐露する。

 早速2回目の観劇で、ゲイブがさらりと歌う「盗んできた時間」というフレーズに殴られた。16年前にダイアナが幻覚症状を発症させて以来*、全員の(ナタリーに至っては会ったこともないのに!)心にずっと亡霊のように言わば取り憑いて、みんなの生活に影を落とし続け、膨大な時間を奪い続けてきたよね、確かに。

 ナタリーのダンへの耳打ち、「ママ興奮してる」は後の展開への警告だったのに、「あははそうかも~だってさっき(デレ)」みたいなリアクションが返ってくる点に、あぁこの二人お母さんを巡って全然連携取れてないんだな、とぐったりする。

 朝食の支度。4枚のお皿に4つのスプーンをセットするダイアナを見つめる3人の目が、蔑みでも諦めでも無くただ感情のスイッチを自ら落として「まただ(または「まだ4人分なんだ…」)」となってるのが見事に揃っていて、自分にも(立場は書かないけど)重なる経験があって、しんどくなる。

サンドイッチ作りがどんどんヒートアップして大量のパンを床にまで並べてしまうダイアナ。「いつものことなのに」やっぱり心配ですぐには出発出来ないナタリーの表情に苦しくなる。

1-3.Everything Else

 学校のピアノ室で一人モーツァルトを弾きながら、家のこと、ダイアナの病気のこと、(そこから来ると思しき)借金など「あらゆること」を頭から振り払おうともがくナタリー。家のめちゃくちゃと対照的に「秩序のある」クラシックの世界に没頭したいのに、弾けば弾くほどしんどい家のあれこれが頭から離れない苦しさ、逃げ出したいのに出口がない苦しさが昆ちゃんのパワフルな歌声でもってまっすぐ胸を突き刺して初見時*ここで既に涙だった。野心溢れる、出口に向かって駆け上がっていくような転調の後でふっと失速し、「(弾いてる間は)あらゆる(煩わしい)ことが(頭から)消えていく(消えるはずなのに)」と自分に言い聞かせてるところも。

 はっしー君のヘンリー登場。ナタリーの触れたら切れちゃいそうな鋭さ/痛々しい激しさと対極の、ゆるーい、毒の無さそうな、つまりは(誤解を恐れず書くと)刺激もスパイスも無さそうな若者オーラを醸しつつ(最後まで観て改めて納得したんだけど、計画の上なのか天性のものなのかはさておき昆ちゃんとのバランス面では絶妙な柔らかいオーラ)、「(話したことはないけど)ずっと見てた」と割と大きめの告白。内気なように見えて「君って複雑なんだね」とストレートに指摘。

1-4.Who’s Crazy/My Psychopharmacologist and I

 ナタリーのピアノに置いた手とシンクロするタイミングでイントロが始まり、ダイアナの診察タイム。新納さんの最高にロボット感ぶっちぎってるDr.ファインが古いからくり人形よろしく膨大な量の薬の飲み合わせをカチカチ解説。「ダイアナの目から見た」姿だから勿論デフォルメがあれこれ入るんだけど、彼女の妄想が突っ走ってる様子がはっきり分かる。

 薬の名前を列挙するのに合わせて2階で4人が奇妙なダンス。ぐわんぐわんに音量の強弱からして不安定に歪んだ&しかもシンコペーションを含む歌が、メロディーも歌詞もSound of Musicの「私のお気に入り」を踏んでいて強烈に皮肉。

 「聡明で大胆だった」と過去のダイアナを回想するダンの歌を聴きながら「分かる。とうこ(安蘭けい)さんのダイアナいかにもそうだよ、めっっっちゃくちゃ想像つく」と目の前とのギャップに尚更胸が苦しくなる。「僕はずっとこんな生活に耐えている」ことを吐き捨てるように歌う姿に、ダン自身が相当限界なのを感じ、16年にわたって薬漬けとはいえ何らか「治療を受けている」ダイアナと対照的に、ダンはまさか何もケアを受けていないんだ…と救いの無さ、状況の酷さを感じる。ってことはほぼ確実にナタリーもだよね。無理だよそんな、根気と誠実さだけで自分の人生もやりながらこの状態の家族と毎日一緒に暮らしていくなんて普通の人には過酷すぎる!!と辛い。

 薬の副作用でどんどん感情の起伏や身体の感覚すらも失っていき、表情が一つ一つ落ちていくダイアナ。ハイだった時の狂気もろともごっそり感情が封じられた、マネキンのような虚ろな姿がロボットなドクターの隣に残る。

1-5. Perfect for You

 「時間の無駄だった」。一連の治療への感想と重ねるような形でナタリーの声が聞こえ、ジャズを弾くヘンリー(このジャズはさっきの曲がジャズだったのとおそらく繋げてある)とピアノ室にいる姿が2階下手に現れる。「ジャズの何が良いの。ただめちゃくちゃに弾いてるだけじゃないの」という指摘に、”ナタリーの場合「即興=予測不能な音」や「突発的な不協和音」は日常生活でお腹いっぱいだもんね…”と納得。

 ヘンリーがADHDで、治療用に(?)マリファナを吸ってること、ヘンリーがある種若者ならではに「毒された世界を厭う」子であること、「君(ナタリー)が狂ってるんじゃなくて、君の周りが問題だらけなのさ」とナタリーを否定せず肯定的に受け入れてることが分かる場面。「君のためならPerfectになるよ」「お互い傷つけない存在に」と声が重なる。

 ヘンリー>>>>ナタリーで圧倒的にヘンリーのが気持ちのシーソーは重めなんだけど、マリファナ吸いながらとはいえ、まっすぐ自分を見つめて言葉を贈ってくれるヘンリーを信じてみたい、と揺らいでる昆ちゃんの瞳がオペラなくてもめっちゃ劇場の空気を切なく震わせていて、「だから好きなんだ昆ちゃんのこのお芝居の確かさが!!!」と唸る。

1-6. I Miss the Mountains 

 家の前で別れる2人に「あの子いつからボーイフレンドがいたの?」と驚くダイアナ。「気づかないことばかりさ」と返すゲイブの言葉の後ろに”あなたはナタリーの成長や変化に、これまでだって気づいてこなかったでしょう?”という静かな指摘が聞こえるよう。

 若い2人を見るうちに「炎」がかつて自分にもあったこと、若い頃は自分にも、瑞々しい感性、はっきりとした感情の起伏(mountains)があったこと、深い悲しみや迷いと共に、眩しい歓びもあったこと、それが今とても恋しいとダイアナが歌う。

 original版聴いた時は想像力がなさすぎて「これどういう位置付けの歌なんだ?野山を駆ける少女だった?ダイアナが?都会的な印象なのに??」とまるで解ってなかったんだけど、舞台で聴いたら、頭に打ち込まれるように「ダイアナが失ってしまった”鮮やかな感情”を切実に恋しがる歌なんだ」とすとんと落ちてきて、とうこさんの目に愛おしそうに蘇る燃えるような豊かな感情に胸がかきむしられた。

 「いいよね?」ゲイブに背中を押してもらって、大量の薬をついにすべてゴミ箱へ。ここ、ゲイブがお母さんを静かに気遣わしげな眼差しで(いかにも心配してます!!じゃなくて、捨てる決断をするダイアナを見守りつつ、薬が切れることから引き起こされるこの後の事態も冷静に想像しているような顔付きで)背後から近づいてくるのに、ダイアナが捨てることへの同意を求めてきた途端にパッと顔付きが変わって「大丈夫さ!(父さんは)気づかないよ」と挑戦的に言うところが…!!ゲイブの解釈は相当いろいろあると思うんだけど、「体を持たないまま16年この家で3人を見守り続ける、独立した人格を持った成仏できていない霊としてのゲイブ」がいる上で、「3人がそれぞれに(直接的にせよ間接的にせよ)幻覚として見ている/見ないふりをしているゲイブ」がいるんだな、と確信。

1-7. It’s Gonna Be Good

 (ゴミ箱を持ち去ったのはゲイブだけど)ダイアナが薬を「トイレに流した音」がつなぎになって「すっきりした顔で」ズボンを正してダン登場。「緊急電話の呼び出しもないし」という痛々しいフレーズがさらっと挟まれつつ、(ダイアナが安定してる!!)「うまくいってる!!」「今度こそ大丈夫かも!!いや、うまくいくんだ!!」とうきうき小躍りして歌う。

 家までナタリーを送ってきたヘンリーをディナーに誘い、「理想的な家族の団欒」が早回しでヒステリックに楽しげなリズムで繰り広げられる。ちゃっかり真ん中に座ってにこにこ団欒に加わっているかのようなゲイブ。

 が、ダイアナがケーキを持って登場した途端、ヘンリー以外のみんなの顔から笑顔がすっと消え、ゲイブすらも「また起きてしまった」とでも言いたげな静かな顔で笑顔のダイアナを見つめる。いっそ辛そう。

1-8. He’s Not There

 「ここなんて訳すのかなぁ。”か、れ、は。い、な、い”かな、もしや?」と思ってたら本当にそうだった。ダンが火を吹き消すようにゲイブはもうこの世にいないことを静かに告げる歌。ダイアナの表情がこわばって、目が逸らされ、ダイアナも実際にはゲイブの不在を認識してること、お芝居にみんなが付き合ってくれてるだけだと知ってたことが露わになるシーン。

 「最っ低!」ってナタリーが吐き捨てて2階に駆け上がっていくところ、最初観た時はヘンリーを混ぜた状態でのこの顛末に対してかな?と思ってたんだけど、2回目観た時は「彼は死んだ。もうもどってこない」とお母さんにストレートにぶつけるお父さんの、日頃取り繕ってるくせに肝心なところは何もオブラートに包まず直接ぶつけてしまうその配慮の無さに対してなのかもな、と感じた。ナタリーなんだかんだお母さんから逃れたいと言いつつもお母さんの事を放っておけない、守らなきゃと感じてるのが伝わってきて、その空回りにより一層辛くなる。

1-9. You Don’t Know

 原曲予習していた時に、歌詞の壮絶さに電車の中だというのに涙が止まらなくなるくらい抉られたと同時に、「これ私とうこさんで聴けるんだ!!!!!!」と興奮した一曲。

 ダンの「分かるよ」が呼び水になって、ダイアナの苦しさ/希死念慮/出口の無い絶望が一気に堰を切って奔走るナンバー。歌詞の重さに負けないくらいパワフルな、魂が音と言葉を得たらこうなります!!!!!!!と目の前に叩きつけられているような空間が一気に客席を圧倒して、毎回肩が震えるほど泣いてしまい、視界が曇るのと必死にこっちも闘ってた。

ちなみにYou don't knowのリズムにドンピシャに乗ったパンチある歌詞をどう訳すのか、「わかってなーい、わかってなーい、あなたー、何もわかってなーい」かなまさかと(センスなさすぎ)想像してたら全然違った。日本語の一音一文字からは逃げられないけど、それを逆手に取った、溜めに溜めて重く打ち込む感じの歌詞になってて納得。

1-10. I Am The One

 ダイアナからの豪速球に対するダンの返歌。こっちもロック。穏やかなようでいて、あらゆる波風を「なかったことに」「見ないふり」で済まそうとしてしまうダンが、じゃぁ何を返すのかなと思いきや「僕こそがずっと君を側で見守り支え続けてきたんじゃないか」とまるで噛み合わない内容。でもこちらもダンにとっては本気で渾身の、偽りの無い叫びなんだということが痛いほど伝わってきて、「このすれ違いがずっと16年間この家を蝕んでるのか」と思い知らされる。「僕こそが君を」というこの曲、まるで噛み合わない内容のダンの歌に途中からゲイブも加わり、「お母さんが壊れないように支え続けてきたのは僕の方だ!!!」と、声を重ねて対峙する。現実逃避的に描かれてるダイアナの幻覚としてのゲイブなんだけど、確かにダイアナに安らぎを与えてきたのはおそらく間違い無く彼だよね、と感じながら2人の声のぶつかり合いを聴く。

 You Don’t Knowから続くこの2曲、まるで弾力がありすぎる鉛のボールで豪速球のスカッシュ(壁も含めて打ち合う室内テニス)をしてるようだなと思って観てた。

1-11. Superboy and the Invisible Girl

 3人の魂剥き出しの激唱に続き、美しいメロディと昆ちゃんの張りのある歌声が心の渇きを際立たせるナタリーのナンバー。ママは実在しない兄に夢中で、目の前に実際にいる私のことはまるで気にかけていない。幻覚の兄には勝てっこない、私が飛べたらすぐにここから逃げ出せるのに…!ここでナタリーの隣にいる挑発的な視線のゲイブは「ナタリーがいつも感じている影としてのゲイブ」で、直接幻覚として見ていなくとも、彼女がゲイブの影に苦しめられているのが目にも耳にも突き刺さってくる。

 あんな壮絶なぶつかり合いがあったのに、「まぁ気楽に考えよう」、「薬を使わない医者を探そう」とダイアナに新しい精神科医を提案するダン。この切り替えのいっそ怖いくらいの清々しさが、個人的なことだけど正に自分と夫に重なって、なんとなく考えないようにしてただけに言葉にしきれない具合悪さがあった。。。この切り替え、救いにもなるんだけど、「え、あなた深刻なこととして受け止めてないの?」と時としてものすごい絶望を与えてきたり、信頼に傷が入りそうになる。。

 「うつ病のチャットに書いてあったんだけど」「会社で勧められたんだ」。それこそ浮気やお酒に走る人、帰ってこなくなる人もいるのに、ダンは自分の時間を自ら本当にダイアナに捧げてるんだ、ダンなりに…と(噛み合ってるかはさておき)献身的なダンが印象づけられる一方で、「私の知らないところでそんなとこ覗いてたんだ。」「(私がおかしいって知ってる人が)会社に3人もいるんだ。」とショックを受けるダイアナのリアクションが2人の違いを浮き彫りにしてて、ある意味なりふり構ってないダンと冷静なダイアナの差にまたズキンとする。ズキンじゃなくて言語化したいのにうまくできず。


 「年齢不詳」「自信家」と設定にあるDr.マッデン登場。さっきのロボロボした(=ロボット味溢れる)姿から一転、いかにも落ち着いていて、優秀そうな、そして恐ろしく見た目の整った(新納さんの強烈な武器である計算しつくして特注したような美貌がマッデンの良い意味での胡散臭さに拍車をかけていてcastingと握手)医師と対面。「ロックスター並の人気」というダンの紹介が引き起こしたのか、ダイアナの妄想に早速「ゴリゴリのヘビメタを歌って診察を進行する姿」が現れ始め、現実のマッデンと交互に出て彼女を混乱させる。ダイアナのリアクションと間(ま)の良さも相まって、この公演おそらく唯一の「さざ波のように響く客席のくすくす」が三段落ち風に来る。 

 心理療法から始めましょう、とダイアナの今、過去、を尋ね、「彼(ゲイブ)は誰なんですか?どうして今も現れるんでしょう?」と核心に迫る。

1-12. I’m Alive

 ゲイブが自分の正体を尋ねるDr.の問いに自ら答える形で歌うロックナンバー。長らく日本語版の詩で歌だけ独立して聴き、original cast版も聴いて漠然と全貌を理解していた気でいたのに「彼が誰に向けて何を語りかけているのかまるで解っていなかった」と思い知ることになった曲。

 1番はもちろんダイアナに向けて。2番はむしろナタリーやダンなど”グッドマン家の人達が感じている脅威としてのゲイブ”に思えるのだけど、どこまでが「彼らが”自ら”聴いている声」で、どこからが「ゲイブ自身の(亡霊としての)主張なのか」が極めて危うくマーブル状に作ってあるようでものすごい面白い。「傷つけ癒す」、「あなたを操る」、「誰よりもあなたを知りすぎてるよそ者」(舞台版いろいろ変わってたのに思い出せず、CDに入ってるTENTH版)「隠れようとしても無駄さ」「逃げないで」。あの翻弄するような歌詞はそういうことだったのか!!!!!!!!全部がダイアナに向けてだと漠然と思ってたけど全然違うんだこれは…!!!!!と雷に打たれまくった。

 おそらくこのナンバーの途中なんだけど、「新しい先生のところにそんなに(頻繁に)通ってるの??」と驚き、「もう治らないんでしょ?(中略)嘘でも治るって言ってよ!!!」と叫ぶナタリーに「お前の気持ちは問題(重要)じゃないんだよ!!お母さん”を”支えよう!!」と返すダンのやり取りが挟んであって、「重要だよ!!!!!!!!! 」「なんで重要じゃないなんて言えるの!!!!!」と心の中で声を殺してまた泣き叫んでた。ダイアナを"ダンなりに"愛しているのは解るけど、ダイアナで頭がいっぱいでナタリーに回せる気持ちが全然残ってないのも悔しいことに透けて見えるけど、どうしてそう肝心なとこに限って取り繕うどころか最悪な形で関心の薄さを露呈してしまうのか。馬鹿なの。馬鹿なんだな本当に。誠実さと忍耐強さが取り柄ならせめて誠実さをちゃんと徹底してよダン!!!と憤りに震える。けどダンは普通の人で、16年に渡っておそらくサポートは無く、全く余裕が無い。

 疾走感のあるテンポに乗せて盆が回り、文字通り縦横無尽に駆け抜けて「生きている(I’m Alive!)!!」と全身で叫ぶゲイブ、海宝さんの独壇場!!!!な歌声の張りと伸びやかさ、怖いまでの迫力とお芝居のメッセージ性とで、正にショーストップものの拍手が雷のように鳴り響いてて、これまで息を詰めて舞台に見入ってた客席が無我夢中で拍手で歓声を届けているような印象だった。

(流石に力尽き、今日はここまで…)

参考にしたサイト:

 

4/15以降の修正点:

*曲のナンバリングを1,2,3から1-1, 1-2に変更して2幕以降のと揃える(4/15)
*16年前にこの世を去って以来=>16年前にダイアナが幻覚症状を発症させて以来、に変更(4/15)
*初日と初見の記載が混ざってたので、初見時の話については"初見時"に修正(初日観てないので…)(4/15)
*目次を追加(4/18)
*参考資料に直接飛べるよう目次編集(4/23)

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