「誕生日ありがとう」
新型コロナウイルスが猛威を振るう中、6月に母親、7月に父親が相次いで誕生日を迎えた。高齢者という区分けに入ると、誕生日を迎えた喜びは、実際の当事者より、むしろ周囲に大きくなるようだ。母の誕生日、父の誕生日ともに、そんな印象を受けた。祝う側のわれわれ夫婦だけが、喜びはしゃいでいる感もある。少し恥ずかしい。
思いのギャップ
誕生日を迎えた本人たちは、どこか寿命に向かって一歩近づいた感覚があるのだろう。祝ってもらうこと、それ自体は嬉しいのだろうが、「また一つ年を取った」と苦笑する両親の言葉には、何とも言えない複雑な気持ちが感じ取れる。その思いは理解できなくもない。
われわれ夫婦も、一つ齢を重ねた両親の年齢を意識しないわけにはいかない。住んでいる場所が離れていることもあり、だからこそ、この一年を両親が無事に過ごせた喜びをひしひしと感じるところも大きい。この先、そんな思いは年を追うごとに増していくだろう。
今後、こうした誕生日をめぐる両親とわが夫婦の思いのギャップ(差)は、さらに広がっていきそうだ。そう考えると、両親の誕生日には「おめでとう」ではなく、「ありがとう」と伝えるのがふさわしい気がする。無事でいてくれてありがとう、長生きしてくれてありがとうー。そんな感じだ。
そして、8月に義母が誕生日を迎える。これまた高齢。
(トップ写真:白いバラは7月17日の誕生花=フリー素材を基にりす作成)
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