俳句で"オレアチ漫遊記"(弐拾)
今回、連載「俳句で"オレアチ漫遊記"(※)」で、"note仲間"やまきちさんが俳句の題材に選んだ写真は、嵯峨野トロッコ電車(下り)の終点、トロッコ亀岡駅(京都府亀岡市)の周辺の風景だ。この付近には、戦国武将・明智光秀ゆかりの亀山城があった。織田信長を討った"本能寺の変"で光秀は、この城を出立し、京都に向かったという。当時、光秀の眼差しの先に見えたものは何かー。時代は違えど、同じ風景を眺めれば何か分かる気がして、夫婦揃ってしばらく目を凝らした。悪くない時間。
この連載は、りすが書いた旅行記「オレとアチキの西方漫遊記(※)」のワンシーンを取り出し、それをテーマに俳句修行中のやまきちさんが句を詠む企画。この旅行記はすでに完結している。
追憶の句:
題材テーマ:「オレとアチキの西方漫遊記(39)ー期せずして聖地巡礼」
この長閑な風景は、われわれ夫婦がやまきちさんに送った写真のうち、奥さんが撮影したものだ。「亀山城の城郭からはこんな眺めが見えたに違いないというイメージを目に見える形にした」(奥さん)という。
亀山城を出立して本能寺に向かう光秀の姿を思い描いた奥さん。やまきちさんによると、この句はそんな奥さんの胸の内を表現したそうだ。「秋寒し」という言葉がポイントだと、やまきちさんは得意げに話す。
したり顔
本能寺の変は1582年6月21日の早朝に起こった事件。季節は秋ではない。われわれ夫婦がトロッコ亀岡駅を訪れたのは19年9月半ばだから、秋寒しと詠むことで、句の主体が光秀ではなく、われわれ夫婦だと分かるはずという。
説得力はそこそこある。ただ説明する際のしたり顔にイラっとする。
(トップ写真:りすとやまきちコラボ企画のイメージカット=りす作成)
題材リンク:
「俳句で"オレアチ漫遊記"」シリーズ:
「オレとアチキの西方漫遊記」シリーズ:
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