進化する2Dドットと認識の限界への挑戦の行方 アイディアのタネ #12
2Dドットの世界に萌える
ゲームの世界での表現の方向性ってVRやほぼ実写に見えるようなCGのようなリアルを突き詰めたものもある一方で、未だに2Dドットの作品は出続けているのってご存知ですか?
開発3年。2DドットのRPGがインディーゲームで登場
まず初めに触れたいのがこちら。緻密なピクセルアートの世界を旅する、というだけでたまらない魅力の詰まった作品。EASTWARDは日本のRPGやアニメに魅せられた上海のスタジオが3年以上の開発期間を経て制作したといいます。
ピクセルだからこそ小さいスタジオでも制作できるという開発のしやすさはもちろんですが、このレビューでも語られる通り、2Dドットだからこそ掻き立てられる想像力というか、様式美のようなものがそこにはあります。
私自身もこの世界観が好きすぎてずっと眺めていたくなる魅力を感じます。
大型タイトルも「HD-2D」という進化を遂げて大好評
来年春に発売予定の「オクトパストラベラーⅡ」も2Dドットの流れを汲む作品。スクウェア・エニックスが出す大型タイトルですが、こちらでも進化した「HD-2D」という進化した2Dドットが敢えて採用されています。
HD-2Dって何?改めて調べると下記のようなもののことをいいます。
「本物みたい」であることと「美しい」ということはイコールではないんですね。イラストタッチを残しながら立体感を出すことで、リアルよりも豊かな世界観を描写することができるのです。
古き良きJRPGの意志を受け継ぐ作品を扱う際にこういった手法がよく用いられているのですが、進化する2Dドットは懐かしいJRPGを経験していない人にはどう認知されるのか、まったく美しいとは思えないのか、そのあたりの感覚の違いがもしあるなら、さらにこの話は興味深いですね。
リアルに近づくメディアと人間の認識の限界
空間知覚とのミスマッチで起きる「3D酔い」
ところで、私はあまりにリアルに近い映像を見ると、すぐに3D酔いして、気持ち悪くなってしまいます。これは視覚以外の感覚が3D空間を感じられていない状態で視覚だけが3D空間を認知するとそのズレが酔いを引き起こすのだそうです。
進化する2Dドットは視覚を通じて伝えられる情報の解像度を下げて、認知できない部分を想像力で代替することで、逆に豊かな認知が可能なるというメディアの活用だと現時点で私は思っています。
一方この3D酔いは視覚だけにリアルな情報が与えられすぎて、その他の認知機能とのギャップが酔いを引き起こしてしまう事象のようです。
こういう話をきくにつけても、メディアというのは人間の一部の感覚器官だけに働きかけるもので、人間の認知機能と密接なかかわりを持ちながら存在しているんだなと気付かされます。
「魔法の世紀」における人間の感覚を超越した設計
だとすると、メディアというものの技術的な進化は人間の認識とどう影響しあっていくのか?そのたびに思い出すのが落合陽一さんの「魔法の世紀」です。
人間の認識を超えない範囲でのメディア設計から人間の認識を超えて物質同士が働きかけあい、自然とメディアが溶け合う世界へ変化していく。人間は自然かデジタルかを区別して認識しなくなり、それが実現した世界は今の世界における「魔法」と同様にとらえられる、という話と理解しているんですが、とてもSF的でロマンチックで素敵です。
初めて読んだとき、目からうろこが落ちるような感覚がありました。
数年前にこの本を読んで以来、こうしたメディアの在り方に近づいていく現象を日々ウォッチしています。
今日はその視覚編ですが、視覚メディアだけで進化していくことは、そろそろ限界に近づいてきているのかなと思っています。一方、視覚情報を絞ったうえで人間の脳に働きかけるという試み(HD-2Dのような話)は古いようで進化し続けており、これから進化していくのかもしれない、と思っています。
メディアと人間にまつわる現象がとても好きです。
実はこのアイディアのタネ、聴覚メディアの話もまとめて書こうと思ったのですが膨大になりそうだったので次回に回します。