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教員志望だった私がエンジニアになる理由
こんにちは。あやねです!
私は21年の人生の中で、誰も予想しなかった思いも寄らない人生の方向転換をたくさんしてきました。
母親からはよく「あなたは自由奔放で楽しそう。誰に似たんだか。」とよく言われます。
人生の方向転換
私は小学生の頃から陸上をやっていて周りには「将来は陸上選手になる!」といった調子で大口を叩いていました。
中学3年生まで部活を熱心にやって、短距離・長距離のどちらの種目でも県大会に出場するなどしてそこそこの結果を残していました。
ところが中学2年の頃、そろそろ自分の進路を考えようと悩んだ末、「音楽の道に行く!」と母親に話したので相当びっくりしていました。
「なぜまた急に音楽!?」
私は、スポーツに力を入れながらもピアノをずっと習っていました。
そして幼い頃から歌うのが好きで、音楽の授業やカラオケで歌を歌うと周りに褒められるので自信がありました。
そのため将来は、「得意な歌を活かせる仕事がしたい!歌を勉強したい!」と思い、音楽や歌を必死に勉強・練習しました。
また、人に教えるのが得意だったりリーダーの役に徹していた経験があったりということも含め、
今の大学に入学し、音楽教員になるための勉強をしています。
しかしここで2度目の方向転換を決意します。
「教師じゃなくて、エンジニアになりたい。」
※公務員である教師から民間企業に就職する方向に切り替えたきっかけについては、下の記事でお話しています。
⇨【大学生時代と就職先】『女性に夢を与える女性になりたくて』
教員志望だった私がITエンジニアになる意味
今まで音楽や教育を学んでいた筈なのに、急に「エンジニアになる!」と言い出したモンだから、母親はひっくり返る程驚いていました。笑
「なぜまた急にエンジニア!?」
私がエンジニアになる理由は明確にあります。
それは、私が『未来のエンジニア』を育てたいからです。
IT業界では、今後エンジニア不足が深刻化すると言われています。
デジタル化が進む社会の中で、専門的な知識やスキルを持つエンジニアが不足する傾向にあるという統計を見れば、『ITエンジニア』が今後社会で必要とされる職業であるということが分かります。
※ 2030年には45万人の人材不足になると言われています。
引用:IT人材白書2020/独立行政法人情報処理推進機構社会基盤センター
また、小学校でプログラミング教育が必須化されたため、コンピュータを使いこなす力が将来的に必要という考えが一般化していくと言えます。
そのため私は、エンジニアを育てる立場に立って未来のエンジニアの教育に注力し、エンジニア不足という社会問題を解消するために貢献したいと思っています。
やはり教育に携わりたいという想いは変わっておらず、教育を学んできた経験は私にとってエンジニアとしての付加価値になると思っています。
子どもたちも含め、少しでも多くの人にIT業界に魅力を感じてもらうために、まずは自分自身が知識や技術を身に付けたいと思っています。
私がIT業界に興味を持ったきっかけ
何を隠そう、私は元々『機械音痴』だったんです。
ですがやはり、新型コロナウイルスの影響で『機械音痴』は致命的だなと感じ、苦手を克服しようとPCスキルを身につけるために勉強しました。
私は今までコンピュータに関して苦手意識がありましたが、ブログサイトを立ち上げてみたりプログラミングを勉強してみたりするとどんどん出来ることが増えていき、
「もっとスケールの大きなことをしたい。コンピュータを使ってもっとできることを増やしたい。最先端の技術を追求したい。これを極めて仕事にしたい。」
と思うようになったのがきっかけでIT業界に興味を持ち始めました。
最後に
「進路がコロコロ変わりすぎ!ブレブレじゃないか!」と突っ込まれそうですが…
包み隠さず事実をお話しできて、自分の気持ちを整理するきっかけとなりました。
私はこれまでの人生において様々な方向転換を経験しましたが、『やりたいことを追求したい、得意なことを活かしたい、現状に満足しない』という軸はブレていないとも思っています。
私には、決めたことを頑固に押し通すよりは、柔軟に適応し、潔い決断をすることも大切だといった考えがあります。
自分の考え方の変化や時代の変化は避けられないため、
適応する力や決断力がなければ結局自分が望む結果は得られず、絶対に後悔すると思っています。
後悔しないためにも私は、何度も自分を見つめ直して、「自分は何をしたいのか。どうあるべきか。」と考え、将来像を明確にすることを大切にしてきました。
とは言っても、頻繁に進路の方向転換をしているというのはお恥ずかしい事実だと思っていますし、支えてくれていた家族にも相当迷惑をかけたなあと感じています。
絶対に恩は倍にして返します!
特に、自由に生きることを許してくれた母親に対して感謝の気持ちが溢れるばかりです。
追記
教員になる道を応援してくれていた母親に負い目を感じ、進路の変更についてなかなか話せないでいたのですが、思い切って話してみました。
すると「あなたは突拍子もないことを言うから面白い、楽しそうでいいね。後悔のないように頑張ってね。」と言われました。
つくづく母親の偉大さを感じます。