見出し画像

息子と一緒に、おもいでの列車の旅へ

『息子のリアル読み聞かせチャレンジ①~④』として約1ヶ月半に渡りコラム連載してきました。その後も、母子の眠る前の楽しい時間として定着し、息子ばかりじゃなく、児童館としての図書館につとめる私自身の新たな発見を日々くれる時間が本当に愛おしいです。男の子の大好き絵本といえば、はずせない「電車・のりもの」。今日はそんなテーマで手にした大切な2冊をご紹介させてください。

①『えのでん タンコロ』倉部 今日子:作/偕成社

主人公であるふたり「しょうちゃん」としょうちゃんの「おじいちゃん」が、江ノ電・藤沢駅できっぷを買っておでかけする所から始まる物語。

「しょうちゃんと でんしゃに のると おもいだすなぁ。」
「なにを おもいだすの?」
「おじいちゃんが こどものころの ことさ。」

おじいちゃんの脳裏には、かつて自分がこどもだった頃の街の景色が浮かんでいました。

「あのころは、ちいさい タンコロが、はしっていたなぁ。」

”タンコロ"とは、1両で走る、当時の単行電車の愛称。おじいさんは記憶をそのまま遡り、タンコロで家族と出かけたある夏の日のことを思い出します――。

街のけしきも、人々のようすも、どこか、のんびり。うみの駅での「花火大会」にいくためにお母さんと妹と電車にのって、「早く早く!」とお母さんを急かすだいきちおじいちゃん(だいちゃん)の姿も、どこかほほえましいほどに長閑です。一駅、一駅、丁寧に描き出される車窓からの景色に、まるでタイムスリップしたように往時を思い、私たちもページをめくりながら「タンコロ」に揺られているような、不思議であたたかな、そしてワクワクする心地にさせられます。

単行(一両編成)列車ゆえ、お客さんが多いときは、”続行運転”といって、2両続けて走るそうです。だいちゃんが一番後ろに陣取ると、乗っている「107号」の兄弟電車である「108号」が、まるでひとつの連結車みたいに続けて走るのです。少年にとってそれは、どんなにか心躍る光景だったでしょう。

やがて、街をぬけて海へ。七里ヶ浜に当時会ったという牧場。併走して道路を走るバスの姿。直ぐ目の前の海岸線から、波の音しか聞こえない。ちいさな電車の、ちいさな、そしてどこか幻想的な「旅」は由比ヶ浜で終着し、だいきちおじいちゃんが、楽しい花火の一夜までをくっきりと思い描いた頃、「しょうちゃん」と現在のおじいちゃんは、目指す鎌倉駅へと着きました。道すがら、しょうちゃんに”タンコロ”の思い出話を語り聞かせていたのでしょう。にっこりと微笑みあうふたりは、「ホットケーキでもたべにいこうか」「うん!」と笑いあって、時を超えた江ノ電の旅が終着です。電車に乗ることも、おでかけすることも、そんな”非日常”をちょっと嬉しく、そしてドキドキしながら胸に刻むのは、何十年昔のこども達でも、今の私の息子でも、変わらないのかもしれません。

それでも、伝え、繋げて行かなければ消えてしまう、だいきちおじいちゃんんのような沢山の人々の思いが、倉部今日子さんの優しく、そしてくっきりとした絵と言葉によって、色鮮やかに”あの頃”の時代のすがた、電車とひとびとの姿を伝えてくれることをとても有り難く嬉しく思うのです。

【倉部今日子さんのHP】

現在も、稲村ヶ崎を拠点に作家活動を行われているそうです。

②『はしれ!きかんしゃ まめでん』間瀬なおかた:作/金の星社

こちらは更にすこし昔の、日本のひとびとの暮らしが機関車の目を通して語られる作品です。

「ぼくは ちいさな でんききかんしゃ。みんなは「まめでん」とよんでくれる。うんてんするのは げんきな げんさん。やまおくの ちいさな えきで、ざいもくや すみを つみこんで、 ふもとの まちまで はこぶんだ。トンネルを ぬけて、 てっきょうを わたって、やまの むらを とおると、「まめでんだ」「がんばれ~!」 こどもたちが てを ふってくれるよ。

「まめでん」と運転手のげんさんは、いつも一緒。あるときから、まめでんは客車をのせて走るように。町の人たちは炭を使わなくなったし、木も買ってくれなくなった。だから、山の人たちは町に働きにいくんだよ」げんさんの言葉通り、客車として山から町へ、町から山へと人々をのせて走るようになったまめでん。最初は感謝していた山のひとたちも、段々変わっていって……。

町での経済、時間の効率化とともに、自動車も普及し、ゆっくり走る「まめでん」に乗ってくれる人は少なくなりました。ある日、どこも壊れていないのに車両基地へ連れて行かれたまめでんは、「…山の電車はもういらないんだってさ、長い間、ありがとう。元気でね」そう言ったげんさんの言葉を最後に、基地に取り残されることになりました。まめでんの気持ちも勿論ですが、後ろ向きに描かれ、「ぼくの言葉が聞こえないみたいに」さよならを言う「げんさん」の心中にも、きゅっと胸がしめつけられるシーンです。

「まめでん」は車両基地の隅っこの窓から、変わっていく街(と暮らし)、そして電車の移り変わりを見ていきます。特急列車。そして、新幹線。”まるで飛んでしまいそうな速さの”電車が、どんどんきれいな外見になって活躍していく代わりに、じっと動けずに汚れていくばかりの自分。

ある日、げんさんが「久しぶりだね!」と尋ねてきてくれた。見違えるように立派な制服に身をつつみ、「超特急の運転士になれたんだよ」と報告に来てくれたのです。立派になっていくげんさんの姿は嬉しいけれど、もう自分を運転してくれることはない。そう思うと、涙がとまらないまめでんでした。

高いビル、どんどん高速になる、人々の暮らしと、電車技術。わたしたち「人間」がそれが正しいと信じ、たくさんの人々の夢とともに、必死に目指してきた「成長」、のぞんだはずの「未来」なのに、なぜこんなにも不安に不穏に、感じるのでしょう。まめでんはさびだらけになり、ゆっくりと力を失い、外の景色を見ることさえ出来なくなっていきます。

毎日、目を閉じて、夢の世界を行き来するようになったまめでん。やまのなかを、げんさんと走る夢。「まめでーん!」「頑張れー!」子供たちが掛けてくれる声のこと……。そのとき、「まめでん!まめでん!」呼ぶ声が聞こえます。夢ではありません。子供たちの声でもなく――

目を覚ますと、しわくちゃなおじいさんがにこにこと笑っていました。優しい笑顔を、忘れるはずはありません。「げんさん!」

「ながい あいだ ほうっておいて ごめんよ。 すっかり ボロボロに なってしまったね。 わしも じいさんに なってしまったけれど…」

「まめでん、また一緒に走ろう!」」げんさんは若い人たちと一緒に、さびついたまめでんをまるで新品みたいに、ぴかぴかに磨き上げてくれました。エンジンもきれいになり、すっかり元通りになったまめでん。「街の子供たちに、山の景色を見てもらうんだ」かわいいトロッコ客車をつながれたぴかぴかのまめでんに、大人に手を引かれた子供達が目をきらきらさせて、次々乗り込んできます。

「ちいさな でんしゃ!」「まめでんだー!」こどもたちは みんな えがおだよ。

おおはしゃぎの子供たちをつれて、山に向かうまめでんとげんさん。「ぼく頑張って走るよ」一生懸命早く走るまめでんに、「ゆっくり行けばいいんだよ。山の景色をたっぷり楽しんでもらうんだから」と、優しく言うげんさん。それから毎日、げんさんとまめでんは、昔と全くおなじように、毎日、一緒に走りました。山や川は、少しも変わっていない。子供たちの元気な声が、今日もこだまする。「はしれ!まめで~~~~ん」……。

ものごとに簡単に「良い」「悪い」とレッテルを貼ることも、何が正しくて正しくないのか、考えたり伝えるのもとても難しいことです。私たちや私たちの親、そのまた親の世代が、信じて進んできた道。気の遠くなるような時間を経るからこそ、気づけることがあり、原点へと立ち戻ることもきっとたくんさんあります。「まめでん」の物語は、まさにそうした、”時代の流れ”に翻弄されたきかんしゃ(本当は翻弄されたのは私たち自身だったのかもしれません)の目を通して、時に行き過ぎたとしても温かさを取り戻すことのできる社会の希望を描いています。作家の間瀬なおかたさんの、いきいきと力強くそして優しいタッチの絵に、ほろり、と何度も涙をこぼし、直接はしらなかった筈の時代の流れ、その残酷さや忘れてはいけない”大切なこと”を、心に刻んでくれた作品でした。5歳の息子の心にもきっと、作品に通底する『優しさ』が、消えることなく留まってくれればと願います。

いかがでしたでしょうか。特に男の子が大好きな「のりもの」がテーマの作品はそれほど星の数ほどあり、楽しみ方も良さも様々です。けれども、”鉄道”というものが人びとの暮らしに今も昔も密接に関わるものである以上、そこには必ず、単なる輸送手段として以上の「ドラマ」があるのだなと、教えて貰うことのできた2つの作品でした。

【間瀬なおかたさんと、その他の作品】

おもに電車、のりものに関する沢山の作品を発表されています。著者のプロフィールも掲載された、上記「絵本ナビ」該当ページから是非ご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?