レカネマブの治療効果
アルツハイマー病の新しい治療薬(抗Aβ抗体治療:レカネマブ)の対象となるのは次の2つの診断である。ひとつは「軽度の認知症mild dementia」である。もうひとつは、「軽度認知障害mild cognitive dementia」である(いずれもアルツハイマー病であることが検査で確認されなければならない)。
「軽度認知障害」とは、もの忘れなど認知症を疑わせる症状があるものの、日常生活には明らかな支障がない状態である。認知症には至っていない状態である。(ただし、同じ物忘れでも暮らしによって支障が出る人とでない人がおり、普遍的とはいえない基準である)。一方、症状が明らかになって生活に支障が生じた段階を「認知症」と呼ぶ。
具体的に「軽度の認知症」と「軽度認知障害」はどのような状態であろうか。レカネマブの治験で使用された評価尺度のCDR (Clinical Dementia Rating)に基づいて説明しよう。この尺度は脳の働きを6つに分けている。
「軽度の認知症」から説明しよう。「記憶」については、日常生活に明らかに支障のあるもの忘れで、とくに最近の出来事に関する障害が目立つ。「見当識」については人や場所の見当識には障害はない(道に迷うことはあるかもしれない)が、時間の見当識に障害がみられる程度である。「判断力」については、複雑な問題に関して明らかに障害があるものの、一般常識的な判断には支障がない程度である。「社会的グループの活動」については、割り当てられた役割を自分で果たすことが難しくなった状態。「家庭生活と興味・関心」については、複雑な家事は遂行することができず、興味や関心は明らかに以前より低下している状態である。以前はしていた趣味や日課をしなくなっている。入浴や着替えなどの「セルフケア」に関しては、怠るときがあり、ときに励ましが必要な状態である。これが「軽度の認知症」のレベルである。
続いて「軽度認知障害」について説明する。いわば“認知症の疑い”の状態である。「記憶」については出来事をすっかり忘れることはなく、部分的に思い出すことができる程度の軽い物忘れである。「見当識」に関しては明らかな障害を認めない。「判断力」に関しては問題解決に多少の困難があるかもしれないが、必ずしも明らかではない程度である。「社会的グループの活動」はグループ活動に支障があるかもしれないが、必ずしも明らかではない程度である。「家庭生活と興味・関心」では、家庭生活や興味・関心の活動に若干の障害が疑われる状態である。「セルフケア」には障害を認めない。これが「軽度認知障害」である。
では、その軽度認知障害の人が抗Aβ抗体薬のレカネマブの治療を受けた場合、進行を抑える効果はどの程度期待できるのであろうか?治療薬の開発試験の期間は1年半であった。その間の進行についてみてみよう。レカネマブの投与を受けた患者と受けなかった患者の比較である。治療を受けなかった患者は、上記の6つの脳の働きのうち、3つないし4つの項目で悪化した。例えば、「記憶」に関しては出来事を部分的に思い出すことができる程度の軽い物忘れから、日常生活に支障のある程度の物忘れに悪化し、「見当識」に関しては明らかな障害がなかった状態から、時間の見当識がみられるようになった。「社会的グループ活動」は、多少のつまずきがありながら、それなりに役割を果たしていたが、一定の役割を果たせなくなった。「家庭生活と興味・関心」では、いくつかの活動をしなくなった。ここではCDR上、4つの側面、すなわち「記憶」「見当識」「社会的グループ活動」「家庭生活と興味関心」の変化を示したが、この変化をCDR上の得点の変化でみると2点の悪化になる。レカネマブの治療を受けなかったグループは1年半の間に1.66点低下したので、平均して上記4つないし3つの領域で悪化したとみることができる。一方、レカネマブで治療した群では低下が1.21に留まったことから、平均的に3つないし2つの側面の悪化で済んだことになる。治験の結論としては、治療しなければ悪化したであろう1.66をレカネマブは1.21にくい止めたことから、進行の程度を27%減らすと結論したわけである。
治療を希望する患者の多くは(実際には家族の意見が強いが)、「2割から3割でも進行を遅らせることができるなら、治療を受けたい」と言って治療を受けている。それも一つの考えであるが、治療したとしても進行を止められるわけではなく、1年半で平均2つか3つの側面が低下するのである。そして治療を受けるには月に2回1時間程度の点滴、必要に応じた家族の同伴(とくに治療開始初期)、2から3か月に一度の頭部MRI検査が必要である。そのための通院も一定の負担となるであろう。それぞれの患者は、それらの治療にともなう負担が、悪化する認知機能の領域を一つ減らすことに見合うかどうかを、自分の暮らしや人生において考えることになる。
私が出会ってきた患者や家族は「少しでも進行を遅らせる効果が期待できるなら、やれるだけのことはやっておきたい」と言い治療を受けた。それでいいのであろうか。治療の受けるために使われる時間と労力は、決して小さいものではない。比較的若年の患者であっても「自分は治療受ける条件を満たしているが、あえて治療を受けないことにする」という判断もあってもよいのではないかと思う。点滴や検査やその通院に費やす時間とお金を、別のことに使うという選択肢もあると思う。
要は、認知症の診断を受け、抗Aβ治療薬を受けるか否か選択を迫られた時、私はどのように暮らし、それからをどのように暮らそうとしているかだと思う。
私は治療者として、どちらの判断になったとしてもその判断を尊重したいと思う。そして判断した以上は、その後は最後までその判断を支えたいと思う。