命の重さとは
インターステラーって映画で“愛の重さ“が出てくる。
それを質量として計測できる5次元の世界。
インターステラー
この映画の詳細はこちらを参照
重力は私たちのいる3次元を超え、パラレルワールドなるそのレイヤーを抜けていくことができる。
重力はそういうもので愛はとても重いもの、だからブラックホールすら超えちゃう重さで。
重さの感覚も3次元でのものだけど。
それで..この“命の重さ”って。
愛よりも重いものなのかなと思った。
命あっての愛だし。
だから私たち生き物はこの重力を持って5次元なり、次元を超えることが今ここででもできるんじゃないかなと思う。
これ裸の特異点とか?
ブラックホールとかもうよくて。
でもただその部分(方法?)は大半の人はわからない、もしくは知らない、知ろうともしないだけか?物理学者とか解こうとしてるが。
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やまゆり園の事件、被告の死刑判決、そこから思ったこと。
命の重さはとてつもなく重いと思う。
“障がい”、“障がい者”って言葉はどっから来たの?
3次元のこの感覚で考えるから偏見みたいなものになるだけじゃないか。
別に障がいとかってこの3次元レベルで収まってるからでしょ。
障がいとはもしかして5次元とか高次元のものじゃないのかなと感じる。
何でそれを3次元の物差しで押し込めなければいけないの?
“障がい”って表現、言葉とか感覚とか。
命は重い。
その先の次元へ運んでくれるその一人一人の命を誰も消したりすることはできないと思う。
重いから。
綺麗事とかそういう次元でもない。
3次元にこだわる自分には判断、理解できない、そういうものが命の重さなのかも。
むむむ。。