格闘家への態度に見られる日本人の幼稚さ
旧K-1が全盛期だったころ、確かNumberだったと思うが、雑誌の記事にこんなことが書いてあった。「私たち格闘家は、ヨーロッパでは尊敬される人ではない。部屋を借りることすら渋られる。近所に住んでいる人が私をk-1のチャンピオンだということなど誰も知らない。だが日本に来れば、最大級の尊敬を私たちに送ってくれる。武道の伝統があるからだろうか。私たちを痛みに耐え、精神を磨き、技術を研鑽してきた修行者として尊敬の眼で見てくれるのだ。」こういう内容だった。
その一方で、私はこれを日本人の幼児性と表裏一体の現象とみる。尊敬するということは、自分たちにとって都合のいい存在であるという表明だ。人を資源とみなし、資源が生み出す機能を評価する装置として尊敬という態度を利用する幼児性だ。つまり、格闘家は気は優しくて力持ち、辛いことがあっても愚痴ひとつ漏らさずにじっと耐える、鍛えた技術は格闘家同士でしか使われず、一般人は彼らと向き合った時に安全を担保されている。非常に付き合いやすく、利用しやすく、甘えやすく、適当なところで早く死んでくれる存在なのである。そういう人たちを尊敬するポーズを見せることで、大多数の人間をそういった存在へと誘導しているに過ぎない。
さらに、これは興行の観戦者の態度としても、とても文化的とは言えない。尊敬に値する2人の人間が技術を観戦者に披露してくれて、拍手を送り、ハイおしまい。これで満足する観客と言うのは要するに、自分は文化の誉れ高さを理解できる高尚な人間と見られたいから、高尚っぽい雰囲気のものを腕組みしながら気難しそうに観戦し、タダモノではない人のコスプレをしたいだけなのだ。心の中では、なんにも楽しんではいないし、格闘家の試合中の心理の機微や、裸一貫の一匹の人間としての強さが明らかにされることになど期待していない。本当の闘争というのはなりふり構わぬ見苦しさを伴うものだが、彼らはあくまで高尚ぶりたいだけなのでそこまで踏み込む必要はなく、格闘家が社会人として尊敬できる立派なふるまいさえしていれば、何を見せられても拍手をして帰るのである。はっきり言って、こういう人たちはマナー講座でも見ていればいいと思う。
SNSで互いに悪口を言い合う格闘家が徐々に広まりを見せているのは非常に好ましい傾向だ。悪口を言うというのは、相手に効きそうな攻撃をクリエイトするということだし、その悪口に対して絶妙な切り返しをすることで悪口を言ってきたほうにかえってダメージを負わせる行為は、格闘技でいうカウンターである。一般人はリングに上がることはできないし、ほぼすべての人が往来での殴り合いの喧嘩すら経験せずに一生を終える。だがどんな一般人でも普段から言葉は使う。この点では格闘家と同じ土俵に立っている。一般人にも参加できる土俵で、格闘家が格闘技の神髄を見せてくれるのがSNSでの舌戦なのである。大人ぶって余計なことを言わない格闘家も多いが、私からすればケチな人だなという印象はぬぐえない。
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