悩みが幸せに変わったとしたら
僕は幸せなのかもしれません。
一種の満足感を得ています。
前座の話なんですが、最近KOKIAさんの『本当の音』と黒木渚さんの『美しい滅びかた』をよく聞いています。
前者は歌詞の「私は今何を信じていいのか」と「私の棲む世界はこのままじゃあまりにも悲しすぎる」って歌詞がすごく素晴らしくて独りでに感極まることができます。信じるものが何もないって悲しすぎますよ、冗談抜きで。こういう世界に至る人は多くはないかもしれませんが。人の死より悲しいです(って書こうとしたんですけど比べるのは良くないですねっていうことを後から思って書き足しています)。僕は祖父母より近い人を亡くしたことがないので多くは話しません。話せません。そもそも話したくない。いや誰も話せなんて言ってなかったわ。素晴らしい人でしたよ。お坊さんに和顔施って言われてましたもん。それほど徳の高い人でした。僕も覚えていますよ。誰もができるわけじゃないですからね。なんならやってみればいいじゃないですかあなたも。できるもんならね。めっちゃ煽りますけど、まそれでこれ読んだ人ができるようになったら嬉しいですね。冗談抜きで。
後者は「美しく滅びてく私を見ていてよ」「幸せに滅びてゆく」「鮮やかに枯れてゆく」「安らかに滅びてゆく」「幸せに滅びてゆく」の滅びゆくシリーズ。これもう「祝うように滅びてゆく」とか「生まれたように滅びてゆく」って言い方をすれば色々作れちゃいますよね。あと面白かったのが「宇宙を裏返したりスニーカーを洗ったり」ってところ。
滅びてゆく過程にはもう何も後悔なんて無いんだなあって、死ぬ瞬間や老いというものが一瞬なのか長い間のものなのかわからないけど、その過程に入った時に自分の中に染み込まされた思い出とともに消えていけるのは最高に幸せな時間なのかもしれないって思っていました。だとしたら幸せに滅びてゆく誰かを見てみたいなあと。自分も味わってみたいですけど。
宇宙を裏返すって表現が意味分からなくて意味分からない。宇宙ってひっくり返すと虫が隠れてる大きな石だったのかな。はたまた宇宙はレコード盤みたいなもので、端と端を両手の人差し指で支えて親指でくるくるーっと回すみたいなものなのかなって。ともかく宇宙を軽く無邪気に扱っているところがおもしろいのかもしれません。それに続くスニーカーを洗ったりというのは、さっきまで現実とはかけ離れたことしていたのに打って変わって日常感あふれる場面になっちゃっているその抜け感が面白いのかもしれないです。
*(2020年上旬。ことのはじまりはいつからか、もう記憶の彼方。ことのはじめは就活)
正直な話、自分は何もなかったんですよね。あるだろって言われてもないんですよ。ないもんはないんです。でもそこから変わろうとして変わることができたなあって思っているのが今なんですよ。自分は自分で自分をつくることができた。それが嬉しくて嬉しくて仕方がありません。自分との対話で一番感謝したのは言葉です。書いた。打った。発した。思った。実は大学の授業で言葉それ自体を意識する機会がありまして、その先生には非常に感謝しています。ま、履修しようと思ったのは自分なんですけどね。
なんか、悩みに対する光は言葉でしたね。前に進むためには言葉にするしかないって思ってました。このくそみたいに広がる考えを落ち着かせるには。そうでないと頭が耐えられない。なぜなのかなぜなのか、ずっと問いかけてぼろぼろになってはなんとか言葉にし、手がかりをもとめてネットを検索し本を読んでいました。幸いそこにはたくさんの言葉があってたぶん自分が覚えている以上に世界に何かを求める行為というものをたくさん試みています。テレビのちょっとした特集に目を向けていたこともありますし、自分の見ていた聞いていた考えていた感じていた何もかもに自分がいまここで生きていることを支持する意味があります。でも、いつからだったんでしょう言葉にするという決意をしたのは。
この話は前もしたかもしれませんが、僕は悩んだ期間の頭の中を荒波と船に例えています。まず、不快な世界に僕はいました。希望とか何もない世界は曲ではよく闇とか言われますが、闇でもいいんですけど、僕が例えるなら、僕の暗闇には手に負えないほど暴れる感情というか動きがあったので波が一番しっくりしました。嵐の夜を荒ぶる波に揉まれて漂う船、そこには出口がなくて、囲われていて、その箱中を液体がうごめいている世界、みたいな。その世界の大変なところは掴めるものも気を休める場所もないってとこです。僕はそこに船もなく流されていました。で、今は波も収まって安全な場所もあって落ち着いているんですが、その安全な場所(船みたいなもの)は実は自分で作っていて、言葉で出来てるんですよ、他人が落としたものを自分で見つけたり自分で作ったりした。何回も言葉にしようとして考えた言葉がいつしか足場になり、僕を支えてくれるまでになった。僕が唯一使えたものって振り返ってみれば言葉だけだったなと。自分が持っていた武器ってそれだけだったなと。僕こつこつやるのって一番苦手なんですけど、その時に限っては間違いなく1つずつを積み重ねていた気がします。
この悩みながらも出した言葉は自分にとって大事なものなっています。言葉自体に意味はないんですけど、言葉を使えば大丈夫って感覚が非常に頼りになるというかなにかから抜け出す鍵になっている気がしますね。はい。無人島に何を持っていくかと言ったら言葉ですかね。いや、紙と鉛筆かも。いや、パソコン?鉛筆削り?ナイフ?(笑)とにかく書くものがほしいですね!
泥臭い考えを解決に導くには言葉にするしかない。絵も書いたことはありました。上手なわけじゃないですけど。
で、自分の中の話をしてきましたが、答えを出すのは自分だけど、変わるのには他人は本当に必要ですね。
出来事にどんな意味を見出すかは自分だけど、変わるには誰かが発した言葉でも誰かが作った本でもを参考にしなきゃやってけないよ。とにかく他人という存在が絶対に必要なんです。全部一人で創るのは大変すぎる。どれだけトライアンドエラーを繰り返したり、傷ついたりしなきゃいけないかってちょっと怖いです。でももしそうやってきた人がいれば、今気づいたとしても絶対に死なないでほしいですね。というのは、自分のことを話してそりゃつらいですね、って言われて、あ自分つらかったんだって実感して悲しくなったことがあるもんでね。なんか、気が緩みますよね。気持ちが楽にもなれるんですが、悪い方にも飛んじゃえる気にもなるんです。悲しみを自慢してもいいと思いますよ。心から悲しめるってのは誰もができるのでなく貴重なことなんですよね。
話が飛びました。だからたぶんこれまで関わってきた人たちは全員に感謝するほどじゃないんですけど、まあ、いややっぱりなんとも言えないなあ…(笑)でもいてくれてよかった人は間違いなく何人かいます。
なんだろう、前もこんなこと書いたなあって思ってるんですけど、でも幸せだって何回も言葉にしていいのかもしれません。
これが終わりではないんですけど、僕は達成感というものを初めて実感していて、それが他人に依存するものでなく(他人のおかげで今の自分がありますが)、一時的でもなく、勝手に自分からこみ上げていて、それがすごく心地よいもので、それを言葉にするなら幸せという言葉が一番当てはまっている気がして、だから僕はとても幸せなのかもしれないという話です。
僕は何をすればいいんでしょうか。次はたぶん僕はこれから誰かになんかしなきゃいけないんですよね。良いことを。まあしなきゃいけないってものでもないんですけど。でもたぶん自分じゃなきゃできないことってありますよ。自分のせいで人生変わっちゃうやつもいますよ。それはイキってるんじゃなくて、僕とこの先交わる中に誰かそういう人間が紛れ込んでいるって確信に近い予想です。ただ、そこにも考えるべき問題がたくさんあると思うので、絶対多分色々変わっていかなきゃいけないと思います。
なんだろう、でも僕はやっぱりアダルトチルドレンという言葉はもういらないのかもしれません。
まだまだ物足りないものはある気がするんですが、少なくとも親からぶーぶー言われたからなんか…というのはもう違うというか。自分の感情は取り戻せた気がします。つらかったことが消えるわけじゃないですが、いや逆につらかったことが消えたら困るんですよね自分がやってきたことの意味がなくなってしまう。それくらい遠くまで来れた気がします。そう、もうどうでもいいんです。そんなこと。どうでもいいからもう考えたくもありません。見事なまでの掌返し!なんて薄情なやつでしょう。
なんか、アダルトチルドレンとは別にそもそもの自分って結構だらしない気がするんですよね。ほんとに。冗談抜きで。そっちの方が大問題というか(笑)
アダルトチルドレン卒業ということでいいでしょうか。
う~ん。
なんか物足りないなあ!!
なんでだろう。
それはですね。認めてくれる誰かですね。だってちょっと言いたいじゃん。すごいことしたんだから。あ、認めてもらうというよりかは誰かに言いたいですね。認められなくてもいいので。
で、逆に怖いのは僕が次にどの言葉を背負って生きていこうかなってその言葉が見つからないことです。
やっぱなんかほしいです言葉が。僕はなんだ?ってへの答えが。ま、なんなんでもいいんですけどなんなんでしょう。
これからまた始まる予感がするのです。始まるって言うとゼロからでゼロからって言うとリゼロになっちゃうんですが…。
終わりがあって、始まる気がするんですよねえ。
あー終わりは始まりっていいますけど、終わった瞬間始まりって思えなくないですか?いつしか終わりは始まりだと思えたとしても。どうでもいいか。
何を始めるんでしょう。自分の人生を始めるんでしょうか。やっとですか?今22っすよ!まあいいんじゃないでしょうか。たぶん死ぬ一日前だってそうなれたら喜びますよ。
どれだけ自分の人生を豊かにできるかは自分に懸かっていて、どれだけ人に迷惑をかけるかは自分に懸かっていて、どれだけ自分に満足できるかは自分に懸かっていて、どれだけ人と自分のすべてを掛けた時間を過ごせるかは自分に懸かっている。どれだけ素晴らしいものを作れるかは自分の人生に懸かっている。
自分の可能性と責任を自覚するためにすべきことがある。この作業から始めましょう。
はいおわり!
やっぱりなんなんだ!って思いますよ、最後にまとめを書こうとして。僕は今回も自分をまとめるためにつらつら書いてしまったけど、これを読んだ他の人にもなんか得るものがあればいいのではないでしょうか。それしかないですね。ここまで読んでくれた人にはありがとうございましたとお疲れさまでしたという言葉を贈ります。ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。自分はまだ続きます。 2020年3月3日0時頃
なぜこんなことが書けるかというと、僕がずっとマイナスの世界にいたからで、今幸せに感じていることはたぶんみんなにとっての当たり前程度のものな気がする。でもその程度の幸せだったとしても自分で掴んだ感触があることに最も意味がある。
やっとゼロに至ることができたからこれからはプラスの世界に足を踏み込む。