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【時評】悪夢にいたる病──『ゴジラ−1.0』について

 1954年、銀幕の上で、ゴジラの黒々とした巨体が東京を蹂躙したとき、そこには一映画上の表象以上の意味が付随していた。ゴジラ。それは核の象徴であり、敗戦の象徴であり、そして絶望の象徴だった。海から来訪した絶望。だがそれは「現実」の、「現在」の姿ではなかった。それは公開された当時でさえ、ある種の「過去」として演じられていた側面がある。サンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本が──アメリカの核の傘の下ではあるが──国際社会に復帰したのは1952年、「もはや戦後ではない」というテーゼが発されたのは1956年、そして同年には、戦後復興の歪さと、そうした時代(SCENE)の中で疎外された個人を描き出した、三島由紀夫の『金閣寺』が発表されている。『ゴジラ』が公開された1950年代とはGHQ、および新生日本国政府による戦後復興が、歪なかたちではあるが果たされつつある時代であった。かつてゴジラが穿ったのは、そうした時代そのものだ。そしてその穿孔の根拠となったのは、『金閣寺』が描いたように個人の精神だったように思う。戦後復興という圧倒的な流れの中で混乱し当惑していた個人の精神。時代の中で疎外された精神を──こう言ってよければ「気分」を、ソリッドな表象として銀幕に焼き付けること。それこそが「ゴジラ」という虚構の実存であり、また映画であった、と。

 『ゴジラマイナスワン』は、今や半世紀以上前の「敗戦」を主題とする映画である。それが象徴する時代はもはや過ぎ去って戻らない。無論、国体や伝統といったものが時間的連続の中に存立する以上、ある時代を忘却・矮小化することはできないが、とはいえ70年だ。当事者の多くは死に、語り手の不足はもう何年も前から問題であり続けている。
 そうした、分かちがたく過去であり続ける物語を現代に提示するうえで、山崎貴は個人の精神にフォーカスするという表現を選んだ。観客の気分の反映物ではなく、登場人物の気分へと、そのカメラを向けることを。

 この映画の恐ろしく緻密で、恐ろしく高級なVFXが作り出すのは、恐ろしく過剰な破壊だ。過剰さ。それがどこまでもこの映画を覆っている文法だった。それはかつてバーホーベン(『スターシップ・トゥルーパーズ』)やスピルバーグ(『プライベート・ライアン』)、リドリー・スコット(『ブラックホーク・ダウン』)がそうあったような過剰さ、映画的な過剰さだ。

 だから、この映画のVFXは決して「リアル」ではない。その映像文法が作り出すのは、現実に属していながら、どこまでもその重力圏から遊離しようとうごめくイメージ──悪夢なのだ。

 主人公である敷島は絶えず、いま・ここの現実が悪夢でないことを確認する。それは取りも直さず、悪夢を悪夢として感受してしまう心性を表しているが、この映画において心理が心理の裡にとどまり続けることはない。登場人物の心理は、その身もふたもなさまで含めてすべて口述され、開示される。そして絶望もまた、実体として開示されうる要素となっていた。ソリッドな表象として、現実でありながら絶えずそれを超克する、過剰な破壊そのものとして。

 そう、ここにおいて、敷島の心理、気分とは、ここにおいてゴジラそのものなのだ、と言うことができる。

 その悪夢性はまた、ある種の公共性を伴うものとしても描かれうるものだったのかもしれない。だがここで、そうした表現が選び取られることはなかった。それはどこまでも個人史的なものとして提示されていた。大状況(=世界)と敷島。ここで語られる物語とは、究極的に、その二者関係の裡に完結する。

 悪夢としての映画空間。それを精緻に構築してみせた映画として、これはたしかな質感を伴って存在する。

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