【エッセー】河原木桃香はOrangestarを聴いていたのか?──『ガールズバンドクライ』と初夏の追想
1.近接するノスタルジー
河原木桃香。2004年生まれ、20歳。バンド:トゲナシトゲアリのギター。無論、それら言葉の連なりが指し示すのは、複数のクリエイターによって形成され、絶えず更新され続ける幻像──有り体に言えば「設定」だ。しかしそれゆえに、その存在は一つの切実さをもってわれわれに迫る。
2004年に生まれるということ。それはゼロ年代に生まれるということであり、そして2010年代(テン年代)の文化環境において思春期を送るということである。その点に関して、この一連のプロジェクトの音楽プロデュースを担当する玉井健二は興味深い言及をしている。少し長いが、以下に引用する。
2015年前後。その言葉はやや射程が広すぎ、イメージを収斂させるには浮薄であるようにも感じる。しかしその広さは、むしろこの言及を際立たせているはずだ。
例えば2016年を名指した場合、われわれはただちに、いくつかの──興行的に成功し、文化史にその名を刻むような「大作」──映画のタイトルを想起するだろう。そうした文化的なクリティカル・ポイントとして2016年はあったのだし、それを受けて批評家の杉田俊介は文化批評として『戦争と虚構』を記した。
しかし2015年にも目を向けたとき、そこには別様のテン年代が、その文化が立ち上がってくるように思う。2016年という転換点とも響き合う、ある固有の文化が。
それを明らかにするために、われわれは一人のアーティストの名前を思い出す必要がある。
Orangestar。《DAYBREAK FRONTLINE》や《アスノヨゾラ哨戒班》などの楽曲によって広く知られるようになったボカロP。とりわけ後者は、2015年、YouTubeにMVが投稿されてから現在に至るまでの間に、5600万回以上再生されている代表曲だ。最近では三島由紀夫賞の最終候補に残った間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』にも登場するなど、ある時代を代表する楽曲としてあるかにみえる。2015年は、Orangestarにとって一つの画期であったはずだ。
そんなOrangestarの作風は無論多様だが、あえて一言で、ざっくりと素描するとすれば、「感傷性」を炸裂させるところにある、ということになるだろう。そして後に大塚製薬・カロリーメイトのCMにあてられた楽曲《surges》には、さらに「青春」の二文字に象徴されるようなコードが刻まれることになる。
「青春」。トゲナシトゲアリの楽曲と、これほど折り合わないものもない。音楽的な関連は──少なくともメッセージやイメージの次元においては──皆無と言っていいだろう。
しかし、と思う。では、河原木桃香は、果たしてOrangestarを聴いていなかったのだろうか? その追憶の中に青春なるものの気配は──Orangestarを据えることのできる位置は、本当になかったのだろうか? あったとして、あるいはなかったとして、それは何を意味するのか?
いくつもの疑問符が駆け巡る。論旨が、秩序だった論理体系が、思いつく端から放埓に拡散していく。
だからこれは批評にはなりえない。それは一つの態度(アティチュード)としてある。ゼロ年代に生まれた個人の──こう言ってよければ固有の態度。『ガールズバンドクライ』(以下、『ガルクラ』)という特異点と向き合うために、僕はいま、それを示す必要があるように思う。
そのような文章として、これはある。
2.十代と冷笑、あるいはその破れ
「僕は十代でいることに失敗していた人間だと思う」。1998年、『ブギーポップは笑わない』のあとがきに、上遠野浩平はそう書いた。投稿生活を始めてから、すでに10年が経過していた。当時彼は数年勤めた警備会社を退職し、小説の執筆に専念していたという。「今で言うニートみたいなものだった」と後に語ることになる、デビュー前夜の時間である。
十代という時間からの疎外。上遠野があとがきにおいて直接的に口にし、また小説内に横溢させ続けていくことになるこの情念を、僕は切実なものとして、実存と分かちがたく結びついた現実そのものとして受け取ったことを、よく覚えている。そしてこの「疎外」はまた、より大きく漠然とした「時代」ともかかわっていた。
あらゆる十年期がそうであるように、僕が十代を送った2010年代(テン年代)もまた、一言で説明することが難しい時代としてある。しかし確実に言えることは、そのテン年代の、峻厳な山脈に閉ざされた地方都市において、上遠野浩平を読んでいる同輩が一人もいなかったという事実である。僕の追憶は、十代は、そのような欠如によってしか記述することができないものとしてあった。時代からの疎外(感)。その中に、音楽もまた、ある。
「夏」。それはKID'S A、およびその作詞作曲編曲を一手に担っていた崎山蒼志の作品世界にしばしば登場するモチーフだ。そして彼の歌う夏に、夏の鬱屈と閉塞と激情に、僕は圧倒的で絶対的な曇天のイメージを重ね合わせていた。その歌には、曇天こそふさわしい、と。
入道雲も青空も、僕には遠かった。夏の度に来襲した台風の影響もあっただろう。自分の記憶の中の夏は、いつも曇天に押しつぶされている。青空の欠如。青春の欠如。追憶の欠如。そして皮肉にも、そのイメージによって、僕は決定的に同時代なるものを疎外することになる。
2016年、僕は『君の名は。』を見に行かなかった。はっきり言えば、当時の僕は不遜にもその種のコンテンツを(というか、テン年代における新海誠的なものを)冷笑していた。後にブルーライト文芸と呼ばれることになる特異なハイティーン向け小説ジャンルにも背を向け(にもかかわらず、スターツ文庫の新人賞にはなぜかタイムリープものの長編小説を応募していた)、三秋縋を読むこともなかった。
しかし冷笑はまた、同時代の冷笑に対してもかかっていた。僕は当時、男性向けライトノベルの世界に現れていた、いくつかの特異なラブコメ──しばしば消費者の冷笑的な身振りによって自虐的に振り返られる──にも背を向けていた。自分にとっての冷笑の身振りは、あらゆる連帯を、あらゆる共感を遠ざけることによって成立していた。
感傷マゾ、という言葉があり、その異化発展したかたちとして、青春ヘラ、という言葉がある。いくつかの重要な文脈が抜け落ちてしまうことを承知で簡潔にまとめれば、この二つはテン年代において現れた、ある鑑賞態度を指す言葉だった。前者が「マゾ」ヒスティックな陶酔──虚構による傷──を目的とするのに対し、後者は共有可能な「エモ」によってゆるやかに連帯することを目的とする。そしてそれはまた、先に触れたブルーライト文芸とも結びついている。それはこう言ってよければ「メインストリーム」の思想であり、ゆえにこそ、僕は思春期という時間が、同時代性を失って文化的空白を被ることの重大性に気づくこともなく、それを疎外していた。あるいは、それから疎外されていた。
しかし、あくまでもそれは、映画や小説においての話だった。
音楽において、僕はブルーライト文芸的なものと、同時代の「空気」と、結びついてしまっていた。同文芸ジャンルの原イメージの提供元として、ペシミ氏は新海誠・三秋縋・ヨルシカ(恐らく、たぶんにn-bunaの仕事を意味する)を挙げたが、ヨルシカだけはなぜか僕の消費行動の射程に入っていた。とはいえ、真剣に聞き始めたのは20年代に入ってからで(自動再生で流れてきた《思想犯》に耳を奪われたのがきっかけだった)、当時はそれほど切実さを感じてはいなかった。10代とヨルシカが、固有の記憶によって紐帯されることはなかった。
しかしあのころ、僕は決定的にOrangestarを見出していた。
激情とも鬱屈とも夏とも青春とも違うかたちで(聴いていたのはMVが上がっている数少ない曲だけだ)、しかしそうした精神の核心に触れていたという記憶。その陶酔。十代を振り返るとき、自分はそれを無視することができない。冷笑に居直ることは、どうしてもできない。冷笑も青春も、すべてはラベリングされ流通可能な商品にすぎないのだが、しかし、そうした相対化のまなざしには、唯一交換不可能な個人の生、個人の追憶というものが重くのしかかってくる。いかなるスタイルとも連関をもたない、いかなるかたちの秩序にも回収されえない、「この」自分の記憶が。
3.未来になれなかったあの夜(のため)に
改めて、本記事を書かせた問いに立ち返りたいと思う。「河原木桃香はOrangestarを聴いていたのか?」。
トゲナシトゲアリの楽曲は、『ガルクラ』各話のタイトルがすべてパロディであることに象徴的なように、ある種回顧的なロック・ミュージックとして成立しているはずだ、という指摘がある。それ自体は至極真っ当な指摘であるように思う。回顧的なロック。回顧的なレベル・ミュージック。そのようなものとして、20世紀的なイデオロギーの復古として、トゲナシトゲアリ(の音楽・文芸面)はあるのだ、と。
同バンドが最初にMVを投稿した楽曲──《名もなき何もかも》。その鬱屈は、常にカウンターとしてはたらきうる性質のものであったはずだ。
しかし、と僕は思う。トゲナシトゲアリは、そして『ガルクラ』は、本当に20世紀のものとしてのロックを歌っているだろうか、と。それはある種の切断を、どこまでも切断として演じるような作品ではないだろうか。
20世紀を切断し、21世紀のロックを演じること──より正確に言えば、あの2015年以降のロックを演じるということ。それはタイトルに刻印された回顧的な性格からも、遥か遠くの米英のカルチャーからも、そして現代の「ロック」アーティストがしばしば公言するようなバンプやアジカンといった固有名が有効であった年代の音楽からも隔たったような地平で、なお、何かを歌うということなのではないか。
無論、「音楽」とは精緻な構造の上に成り立つ作品群に付された名称である。そして僕は、ここで提示されている音楽が、あらゆる文脈を相対化しうるほど特異で新奇であると言いたいわけではない。そうではなくて、そこで語られていること、そこで歌われていること自体を、どこまでも同時代的なものとして──カウンターとして、同時代に対して常に拮抗する位置にあるような意味で〈いま・ここ〉にあるようなものとして──見ることは、十分可能なのではないか、ということだ。
テン年代の「初夏」。その鬱屈。その閉塞。それを裂開させること。そのすべてに──かつて中指を立てられなかったすべての人々のために──中指を立てること。唾棄すること。それは「僕ら」には絶対に必要なものだったし、いまもなお、必要でありつづけているだろう。大資本に支えられた、分かちがたく商業であるようなコンテンツであったとしても、否、であるがゆえに、『ガルクラ』は、そうした需要に応えうるように思う。
応えうる。そう書いてしまったとき、ふと頭を、違和感がよぎる。
応答。それは本当に、このアニメが、コンテンツが志向していることだったろうか。
立てられた小指──中指の代替であると同時に、別様の意味をはらむ記号だ──は、漠然とした社会全体へ、だけではなく、ステージの「こちら」へも差し向けられていた。そのことの意味を、僕はいまいちど考えたい。そしてそれはまた、あの問いに立ち返ることにも繋がっている。
かつてamazarashiが激烈なかたちで成立させ、n-bunaが見出したような、テン年代の鬱屈のすべてを「爆破」させるようなリリックのありかた。そのようなパーセプションの強度は、2015年前後、という時間(≒テン年代、という十年期)と結びつくことで保証され、強化されていたはずだ。だがそれもまた、通用しないとしたら。
しばしば「バンドアニメ」として紹介される、ゼロ年代末を代表するアニメであるところの『けいおん!』の一話。ギター初心者である唯の言い澱みを拾うかたちで、各キャラクターがギタリストの名前を連呼するシーン。それは「永遠の放課後」を、辛うじてバンドという営為につなぎとめるうえで機能していた。
あるいは、やはり同様に「バンドアニメ」であるところの『ぼっち・ざ・ろっく!』。主人公後藤ひとりの家で飼われている犬は「ジミヘン」と名付けられていた。この二つのアニメには、20世紀のロックの影が介在していた。
ひるがえって、『ガルクラ』はどうだろうか。
第二話、バックミュージックとしてかかっていた曲を演奏していたバンド「グレレチ」は恐らく存在しない。すばるが何度か(二度?)発した「どんな音楽聞くの?」という問いは遮られ、どこにも届くことがない。この匿名性。この、本編における奇妙な「時間」の放逐に、僕は注目したい。
それは2015年前後という時間そのものをさえ、放逐しうるのではないか。この作品世界が志向しているのは、これまでに存在した、あらゆる時間から解放された〈いま・ここ〉を描出することなのではないだろうか。
だから「河原木桃香はOrangestarを聴いていたのか?」という問いに対して、僕は決然と「聴いていなかった」と答えたい。河原木桃香はOrangestarを「聴いて」はいなかった、と。
実際、聴いていなければいい、と思う。『ガルクラ』は、僕の感傷も夢も、すべて吹き飛ばすほど遠い存在であって欲しいと思う。個人的なノスタルジーとは無縁の存在であって欲しい、と。
そうして初めて──ノスタルジーそのものをはるか遠くに置き去ることで初めて──僕は歩き出すことができるはずだから。
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