Humans of 関大国際部 Vol.6
こんにちは。国際部 短期プログラム担当の山田です。
今回はわたしの海外生活黒歴史!?を恥ずかしながらご紹介します。
① アメリカ / サンフランシスコへ8カ月滞在(語学留学)
② ベルギー / ブリュッセルへ6カ月滞在(語学留学)
③ ニュージーランド / クライストチャーチへ11年滞在(現地ツアーガイド、コーディネーターとして働く)
幼い頃から “海外” へ人一倍強い憧れを持っていました。同年代の従妹ファミリーが父親の仕事の関係で世界各国へ赴任しており、かたやこちらは田舎で生まれ育ち、当時は海外がまだ遠~い存在でしたので、誰もが気軽に海外へという時代背景ではありませんでした。
ずっと “海の向こうへ行ってみたい” と夢抱きながらも、飛び出せたのは、あとあと社会人になってからでした。
はじめは「海外へ行ってみたい」で海外旅行へ出かけるようになり
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その後長期滞在をしたく「現地で暮らしてみたい」
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更に「海外で働いてみたい」と思うようになり、上記①②③海外生活を体験しました。
最初の長期滞在へ飛び出したのは、仕事を退職してからの “語学留学“ でした。
当時も今も日本では、長期休暇を取得する手段は難しく、少しづつ改善されているとは言え、現実的にはどうしても辞職してからの道しかほぼないのはとても残念です。
ドイツからきていた語学学校のクラスメイトが2年間長期休職しても元のポジションへ戻れることが保障されていると言っていて、とても仰天し羨ましかったものです。
夢見ていた “アメリカ西海岸でのホームステイ” ですが、初日にドスンとどん底へ崩れ落ちました。
ホームステイ = 庭付き白亜の家をイメージ ⇒ 小汚くアジア風外観アパートメント!?
そこの時点で、、、唖然でした。建物内に入ると思いっきりアジアの匂い??
チャイニーズオーナーの4階建てアパートで、その上階ワンフロアーがホストファミリー宅でした。
20代後半のフィリピン系アメリカ人のファーザー、ドイツ系アメリカ人のマザーと5歳と3歳の天使のような容貌の金髪の女の子ファミリー。(この2名がモンスター化しヤンチャにもて遊ばれました)
わたしの部屋は、プライベートトイレ、シャワー付きの独立した “シェアハウス” 的な滞在先でした。
部屋内の照明がラーメンどんぶり内側に描かれているような!?不思議なデザインで、初日の夜それを見ながら「こんなはずではなかった。ここは1日で出る!」と決心したのですが、結局そこへ半年程滞在したのでした。
語学学校で手配してもらった滞在先で、とてもあっさりとした対応で、1部屋を貸し出しているといういわゆる‘ビジネス的’なホストファミリーでした。
一緒に出掛けたことも最初のうちのほんの数回で、最初はべったり世話してくれるものと思っていたので、えっ!?と拍子抜けでしたが、そのうちわたしも語学学校で知り合った友人たちと一緒にいる時間が増え、ダウンタウンからも一番近い好ロケーション、干渉されない生活スタイルがとても快適でした。
短期プログラムで実施する “ホームステイ体験” 期待度が高いと思いますが、実際には夢抱いたものとはかけ離れていることも多々あります。
そんなとき、Flexibleに順応し柔軟な対応ができるよう “コミュニケーション“ を取り、どうか楽しんでください。
わたしが海外生活で得たモノは、①コミュニケーション力 ②外から見えてきた日本。現地の人々はもちろんのこと、現地の日本人との出逢いも一生大切なモノへ。
最初に日本を飛び出したときには、日本の窮屈さが重荷で逃げ出したという感じでしたが、外に出たからこそ改めて日本の良さに気付け、愛国心が芽生えました。
そう考えると海を渡ったからこそ見えてきた “日本” に繋がっている気がします。
何かと動きやすい学生のうちにチャンスを掴み “海の向こうへ”
一歩踏み出したら何かがうっすらとでも見えてきて、また次のステップへと繋がっていきます。
どうかアクションを!っとは言え今は全世界がコロナ感染影響で、じっと待機のモヤモヤ状況下ですが、今後通常が戻ってきたときにはすぐにGOできるようイメージして、こんな時だからこそ何ができるのかを見つめ直しスタンバイしましょう!
この予期せぬ状況下で、大幅にプランが立ち止まりやむを得ず別の選択をしなければならないケースもあるでしょうが、どんなときにもポジティブにチャンスを掴みましょう!