人間ってさぁ。

でかい主語から失礼します。
人間って誰しも大なり小なり中なり悩みとか不安とかそういうのを常に抱えながら生きてると思ってて、自殺はまだ見た事ないけど鬱でなにも出来なくなっちゃった友人とかリスカ痕だらけの先輩とかは知ってるのさ。
そういう人っていわゆる「キャパ」をオーバーしちゃった人じゃん。

そういう人の事を今まで本当に心の底からなんとも思ってなかった、どうでもいいとすら思ってなかった俺が、最近そっちになりかけてて思うのは、ちっちゃいんだよなって全部。
どれだけ壮大に主語をどデカくして語っても所詮168cmの俺の目線でしか見えない20年かそこらの歴史を語るにはあまりに短すぎる間に見聞きしたものの継ぎ接ぎでしかない思考と言葉で何を思っても無駄で、何を訴えかけても世界は愚か電車の隣に座ったおっさんの今日の晩飯すら変えられないわけじゃん。

そうしたらさ、そういう悩みとか苦しいとかそういうのどうでもよくなるのかなと思ってたら実際逆だった。
自分の中ではこんなにも壮大で人生を変えるようにも思える苦悩が他人からしたら本当にどうでもいいんだって悲しくなって。
自分に対してはそう思っても実際他人に深刻な悩みを打ち明けられるとその場では親身になるポーズは取れるんだけど心は一切動いてなくて。

何が言いたいか?それはただ1つ。
















「花束みたいに恋をさせろ馬鹿。」



は???????と思われても無理は無い。きもい。
1日以上経つとその時思ってたことなんて忘れてしまう。なんか冒頭の文字を打ってる時は何か言いたいことがあってその助走のつもりだったんだけど、今は何を結論言いたかったのかさっぱり思い出せない。

ただ今ここには抽象的に話すのがかっこいいと思ってる自分がいて、何事も俯瞰で見れることがかっこいいと思っている自分がいて、誰かに共有するわけではないのにnoteを書くのをかっこいいと思っている自分がいて、誰かとずっと話したい自分がいて、マッチングアプリはやりたくないけど2年前の元カノみたいに趣味が合って顔も雰囲気も好きだと思える自分より大人な彼女は欲しい自分がいて、ダサくてみっともない自分を「お前はしょうもないな」と笑い飛ばしてくれる友人が欲しくて、色々もう欲しくて。

望んでも手に入らないものがたくさんあることを知って。僕は悲しいのかもしれない。

卒論は1文字も書いてないのにこんなセンスの欠けらも無い駄文を書く時間はあるのは何故だろう。 
今日も今日とて明日以降の自分にまたかけてみようと思う。頑張れ未来の自分。


以上、aikoの「メロンソーダ」を聞きながら。

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