ホモ・デウス

人々はデータフローと一体化することに意義を見いだしている。
個人の経験も感覚もシェアされず、誰もそれを知らないとしたら、なんの意味があるだろう
ユヴァルはこれをデータ至上主義と呼ぶ。

人間を機能的に解釈した時、それは神経的なアルゴリズムに過ぎない、情動も選択もアルゴリズムが算出するものであり、その点においてAIは人間の上位互換になりうる。

このデータ至上主義的な考え方は、合理的で的を射過ぎているように感じられる。
自分の存在の不安定感や無力感すら感じる、絶望的に達観した考え方。
書内ではそれらのディストピア的な考え方への問題提起が行われている。
これはまだ問題解決の糸口がないという事を示している。
長期的な命題だろうし、それを考えることを自分の思う思想家やエリートに丸投げして、今を謳歌する事は可能だが、
それは自分の中に何も残さない。

全ての物事に関して言えるが、対象を自ら解釈し視座を確立する事で見えてくるものは、自分のアイデンティティの血肉である。
YouTubeのニュース解説や、テレビなどのコンテンツに流され続けるのは楽だ。
でもそんな人々は知的な充足感などとは程遠い環境から抜け出せない。
何が高次の幸福かと定義付けるのは不可能だが、私の場合は人間存在が生体のアルゴリズムに回帰することを否定しつつ、唯一無二の存在である自信を持つことにあるかもしれない。

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