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ただそばにいること

雨の夜、横断歩道上で右折車にはねられた。ショックなのか、息が詰まって呼吸ができない、動こうとしても動けない私にずっと傘を差し掛けてくれて、声をかけてくれたお嬢さんがいた。救急車が到着し、救急隊員にストレッチャーに乗せてもらう直前に、彼女はこういった。
「何もできなくて・・・。」
雨が降る中、彼女も濡れたであろうに、傘を差し掛けて、声を掛け続けてくれた、そこにいてくれたそれが何よりもありがたかった。
「そんなことないの。ありがとう。」
そう伝えるのが精一杯だった。

木曜日は事故の多い日だったらしい。
「今日は救急車で運ばれた、殆どの人が事故の人だったのよ。さっき、事故の人運んだ救急車が帰ったばかりなのに、また来ておかしいなって思ったら。運がいいね。消防署に帰る途中で見つけてもらったんだよ。」
って、看護師さんから伺った。
救急は結構、慌ただしそうな雰囲気だった。だけど、看護師さんは代わる代わる声をかけてくれた。急変していないかの観察もあるとは思うが、検査の説明や準備のためだけではなく、寒くはないか、痛みは増していないか、と声をかけてくれた。しんどくて、目が開けられなかったが、その声で存在を感じることができた。

検査に向かう途中、検査の間も、医療スタッフは声を掛け続けていた。私の中で「非常事態宣言」が発令されて、妙にハイになっている私に対して、ごくごく普通に、(恐らくいつも通りに、)声をかけてくれていた。
多分、彼らにとっては、ごくごく当たり前の声かけなんだろう。平然と淡々と声を掛けていたのかもしれない。でも、かえってそれが、段々と落ち着きを取り戻していくきっかけを与えてくれた気がする。

看護師さんは、傷の処置のためにストッキングを切る必要があったのだが、「ストッキング、破いてもいいかねぇ」
ってわざわざ尋ねてくれた。ストッキングなんて、とうの昔にビリビリなのに。忙しい中でもそんなことにまで気にかけてくれていたのだ。

検査の結果、翌日の精密検査は必要だが、ひとまず、帰宅することになった。手続きを済ませ、一人でタクシーを呼び、待っている間に、得体のしれない疲れと頭痛と耳鳴りが襲ってきた。とりあえず、ずぶぬれで申し訳ないと思いつつタクシーに乗り、やっとこさ自宅に帰り着いた時、娘から連絡があった。
「大丈夫?明日帰るから。」「ん、なんとか大丈夫」
そういったものの、翌日、彼女の顔を見たときに、ものすごくホッとした。

COVID-19は、オンラインの可能性を大きく示してくれたし、それによってもたらされた意識の変革があったことも否定はできない。(もちろん、マイナスの影響は計り知れないが・・・)
ただ、声をかけること、言葉を伝えることだけなら、オンラインでもできる。でも、「そこにいること」「そばにいること」、その「存在」がもたらす安心感だったり、力強さだったりは、オフラインでその威力を増す。その大切さを身を以て体験させてもらった気がする。

私の大切な人、特別な存在の人、その人達に寄り添うことができたら、その人達の力になるために、私は生かされたのかも知れない。

(横断歩道の写真は、きせしょうさんによる写真ACからの写真を使わせて頂きました。)

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