🌙内界とイマジネーション(創作)の違いを調べ思考した
DIDに内界があることがあると言われて、他者を疑うのではなく自分を常に疑ってきたのですが
(なので、お前のそれは内界じゃないぞ!とか、非難する心づもりは一切ないのでご心配なく)
要するに創作を行うときなども、空想、イマジネーションをフルに使えば"世界"を創造できるじゃないですか?
創作が深層心理を浮かび上がらせるという事実も輪をかけてややこしい。
つまり"心の中に世界がある"ことが内界であるのに対して、"心の中に世界をつくる"のが創作。
この差ってどうやったらわかるの?って、僕なりに調べてきました。
まず端的に言うと、
"建築様式や姿形などが不明瞭であるということこそ無意識的に形成された証である"
ということになるらしいです。
確かにな〜と思いました。創造する時って、まず建築様式とか姿形とか、ハッキリ定まっている。
外観から入るかシステムから入るかみたいな。
対して、無意識の産物であるなら、「なんだかよく分からないけど(なんの施設かくらいは認識しているけど)確かにそこにある」という感覚になる。
あとは、
"中のシステムと状況が一貫しているか否か"
だそうです。
つまり、外交役が外界により近いところにいるかどうか、一番加護が必要とされている人格が一番奥であること。
ただ、分からない点もありました。
そもそも、僕らの場合創作もかなり無意識の産物である件が、話を少しややこしくしています。
何も考えずに筆を取ることが多くて、着地点こそ不明瞭なものではないものの、はっきりと何故これを描いているのか理解している、というパターンは極めて少ないです。
だから結構境目って曖昧なのかな?と思いもしました。
内界は創作だ!とか言いたいわけではなくて、脳の防衛反応として内界という自分達が守られる場所を無意識に生成するというシステムは
無意識に任せて筆を取るときとの繋がりを少し感じました。
なぜいつもひとりぼっちの絵を描くのか?
なぜ気付けば海を描いているのか?
こちら側(メタ視点)への眼差しが多いのか?
一応画家として存在していた時期もある僕らですが、それの答えはないです。
何が言いたいかっていうと、内界が創作なんじゃなくて、創作が内界なんじゃないか?って。
内界がまずあって、そこから拾い集めたパーツや風景を描いてきたのか?と、今思っています。