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人から受けたやさしい言葉が一番心に染みるのは、心が弱っているときだと思う。 わたしはこれを、フレンチトーストだと思う。 切り込みの入ったトーストはメープルが中までじんわり染み込むし、 人の心も#が付くとき、かけられた蜜が良く心にしみこむ。 そうして美味しくなるのだ
その人の言葉の温度は、文字で見えるようにすると如実に表れる。 言葉は目には見えないから、音で言葉を聞くと流れて行ってしまう。 空気に溶け込み、形のないものになる。 文字は違う。 「この人きっついこというなぁ~」と思ったら、文字に起こしてみる。 より「きっついなぁー」と感じられる。
たまーに模写をする時に思う。 なぜ、人は人間を正しい形で(解釈は違えど)見る事が出来ているくせして、 それを書こうとしたとたんに頭蓋骨が馬鹿みたいに大きくなったり、 丸が楕円に変化してしまうのだろうと。 不思議だ
待っている。 この立ち込めた厚い雲が消えた先に見える快晴を。 絶対に現れる青空を。 ずっと曇りなんてことはないから 良くも悪くも、永遠はありえないから
試しにやってみればいい。 つらくてつらくて忘れられない事があるあなた 「どうせ忘れられない」って積極的に忘れないようにしてない? 試しに忘れてみようとあがいてみなよ そこでやっと「忘れられない」って言えばいい。
意外と人を引き付けるものは多様なのかもしれない。 顔が全て。なんてよく切れる言葉があるけれど。 耳が惚れる事もあると思うけれど。 「一目惚れ」って言葉は有名だけど、「耳で惚れる」類の言葉を知らないのは 言葉に疎いからだろうか。 別に見えるものから以外でも惚れちゃうことなんてあるさ
強い感情に出会った時殻がひび割れるような、そんな感覚になる。 本気で恋をしたことがあるだろうか。相手はなんだっていい。 こころから悲しみに浸る時、世界は重く、暗く、よどむ。 同じ世界を生きているようで、生きる人が違えば 強烈な感情は自分の中の知らない部分をノックするようなものだ
強がることは強さではない。 弱みを見せる事は弱さではない。 こうしてみるとまるであべこべで面白い。 本当の強さはなんなのだろうか 飾らないありのまま。真っ裸を見せられることだと思う。
『誰か』という読者を見据えて言葉を紡ぎ、投げかけられているのか。 この文章は「壁打ち」になのか、そうでないのか。 自分でわかってもいないのに、人に届けるなんて。 何がしたいのかを考えなくては でもいいさ、やりながら、もがいてもがいて、わかってくることもある。 そういう時ってあるよ
皆がそうかは分からない 傷つく分だけ強くなれる。 そう信じているから耐えられるのです これは一種の命綱 ただでは起きないという意地が、この概念に縋り付いている。
他人の気持ちは、つまるところ分からない。 「貴方、こう思っているの?」と聞かない限りは分からない。 訂正、聞いても「そうだよ」と言いながら内心「ちがうよ」と返しているかもしれないし、 第一自分の気持ちすら分からなくなることがあるにんげんに、 他人の気持ちは推測が精一杯
伝えたい。と思う事は臆せず書いて良いのだ 何かを書く時「こんな話何番煎じか」と思う事があるかもしれない。 大丈夫。世に回っている大抵のメッセージは誰かが既に書いている。きっとね 自分が元祖の発言なんて滅多にない それに、その話をまだ知らない人が1人いたら、出涸らしも輝くのである。
分かりやすい文章を書けるように心がけたいと思う。 分かりにくい文章を書くのは大層気持ちがいいものだ。 例え稚拙な内容でも、小難しい言葉を並べれば気づかれないからである。 しかし、それでは自己満足で終わると思うのだ。 易しい言葉で、気持ちを伝えられる様になりたい。