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世界は伸びやかで広かった

少し前に、母親のLINEと電話をブロックした。

22歳で摂食障害になり、苦しみ、その時に摂食障害は
深く親子関係に起因すると知った。

その後、29歳の時からお世話になっている方に、ずっと親子関係の
重要さを教わってきた。

生きてきた中でそういうステップがあり、これまでほんの少しずつではあるものの、「私には親子関係の改善が必要だ、しなくてはいけない」と考えていて、今までの人生がとても生きづらかったことを、母親に口頭やLINEで伝えてきていた。

しかし、全く伝わらなかったし、母も私も少しも変わらなかった。


今考えればそれも当たり前の話だ。
伝える内容も浅ければ、伝え方もただただ甘く、逃げ腰だった。
だから、自分の心を震わせることもなければ、
何も母に「響く」ように伝えてこなかったからだ。

今までの私は、母に気を遣い続けてきた。
「異常」な親子関係だから、本来なら全くもって不要なことなのに、
必要だと思い込んでいたのだ。

そして、心の中ではいつも母を肯定し、
その一方で自分を否定しながら生きていた。

「母が可哀想」「私が助けなければ」「母を責めてはいけない」
「母を、両親を大事にしなくてはいけない」「困らせてはいけない」
「悲しませちゃいけない」「なんとかして分かり合いたい、いや、
私を分かってほしい」「私を知ってほしい」「笑ってほしい、
私も笑っていたい」「繋がりたい、きっと繋がれるはず」

そんな幻想と、理想と、願いを抱き続けてきた。
なぜなら、世界で一人だけの母親だから。
誰よりも自分を愛して、好きになってほしい人だから。
そう、信じたかったし、実感したかったし思いたかったのだ。
自分は愛されていると、思いたかった。
その証明をしてほしがっていた。

そんな「自分の、自分だけの幼い願い」ばかりを見ていた。
ずっと満たされてこなかったから。
何も知らずに、知ろうとせずに、ただ幻想と理想を追いかけていれば、
ずっと「誰かのせい」にできるから。
自分のことは棚に上げて、頑張っている「フリ」ができるから。
「可哀想」に見えれば、母に、もしくは代わりになってくれる誰かに、
注意や関心を向けてもらえるんじゃないかと思っていたから。
だから、「現実の母親」を見ていなかった。見たくなかった。

30代半ばに差し掛かっても、そんな「幻想」に溺れていたかったから、
現実の母のことを見ず、知ろうともせず、同じくらい自分のことも見ず、
知ろうとせず、分かろうとしなかった。

そういう自分では、自分にとっての「大事なこと」や
「本当の気持ち」は、見えていないし見えてこない。

見えていないものは他人に伝えられるはずがなく、
「当たり障りのない、それっぽい上辺のこと」を掬って、また、
誰に向けるでもなく、体の良いように甘ったるくコーティングして
伝えているのだから、相手に響かせられるはずがなかった。


だけど、自分の思いをそうして隠していくことに、限界を覚えていた。
だから病気になったし、だから生きづらいと気付いてしまったのだ。
年を重ねるごとに、その苦しさは増していく。
そして、どんどん、ふとしたときに心の針が振れるようになってきた。

あれは今から3カ月前のこと。とある用事で母に連絡した。
その時の母の対応があまりにも適当で杜撰で、ひどいと感じた。

まず、全くこちらの意図や考えを汲まない。
比較的事務的な相談であるにも関わらず、回答がとても分かりにくい。
「誰が、いつ、何のために、何をするのか」という、
普通であれば回答する事柄が抜け落ち、「何をする」だけだったり、
「○○だから(何のために、という理由)」だけが
ポツポツとまばらに送られてくるだけだった。

母はそんなに頭の回転が早いわけではないし、
そもそも人に興味がないから相手が欲しい情報を渡せない。

そういうことが頭では分かっていたし、今まではそれを理由に
母を肯定していたけれども、その時の私は違った。
なんだか母に蔑ろにされているような気持になり、腹が立つやら、
悲しいやら、苦しいやら、どんどん悲しい気持ちが
溢れて止まらなくなった。

「ずっと私はこの人に、どんな時も気持ちや思いを汲んでもらえず、
無視をされ続けている。」
「いつも存在を否定されているような、逆に否定すらされず、
何も興味をもってもらえないと感じるような、心底自分が無価値で、
無意味に思えるような、悲しい気持ちが湧いてくる」

その考えが、気持ちが止まらなくなった。
そして、「もういい加減に私を無視するのをやめろ」と、
「悲しい、ずっと苦しい、ずっとあなたは私を苦しめている」ということを母の苦手なLINEで立て続けに送りつけた。

母はそれに対し、「きちんと答えたいから手紙を書かせてほしい」と
返事をしてきた。

甘い私は、伝えるだけで終わり、それを信じたのだ。


その後、案の定3カ月間、何も音沙汰なし。

それでも、「待ってあげないと」と、馬鹿すぎる私はまだ信じていた。
少しでも「応えてくれるはず」と信じていたかったのだ。

何とか、書き出しているんじゃないか、
母にとっては慣れないことだから時間もかかるだろう、と、
とんでもない理由をつくってあげて、いい年の母親を甘やかしてしまった。

だけど、さすがに、待たせ過ぎだ。

普通なら、相手が苦しいと訴えてきて、それがオオゴトだと思えば、
何とかできるのならと思えば、すぐに行動するものだ。

もし万が一、多少の時間がかかるとしても、それに関しては
きちんと謝罪をするのが、誠実であり当たり前のことだ。

本当に人間として当然の話なのに、そんなことは一切してこなかった。
それは、またしても私が蔑ろにされ、軽んじられているということなのに、私はそれを見ないフリをして、自分の心の不安や疑問を捻じ曲げて、
そうしてまで、母を甘やかしていた。

しびれを切らし、母にまた、
「怒り」を込めたLINEを立て続けにどんどん送った。

苦しみも悲しみも寂しさも腹立たしさも悔しさも不安も何もかも、
書けば書くほど溢れてきた。

もう母親面しないでほしいと、二度と関わってくれるなと、
そこまでして訴えたのに、返ってきたのは

「今ばたばたしていて忙しいから、また後で」と、
舐めた絵文字付きの1行だった。


ここまで、人の気持ちが分からないと思わなかった。
ここまで、人の気持ちを踏みにじることが出来る人だと思わなかった。
ここまで、娘を軽んじて、「ヒト」として扱わない人だと思わなかった。
ここまで、狂っていると思わなかった。

「近づいてはいけない」相手だと感じた。

断ち切らないといけないのだ。彼女への幻想と、理想を。

彼女は、彼女の苦しみを私に流し込み続けている。
それは、私が引き受ける必要が全くないものなのだ。
幻想と理想を抱いている間は、その流れを止められない。

断ち切って、拒絶して、吐き出して、返さなければ。


私の心は、もともと持っているはずの、伸びやかで広い世界に戻っていく。
それが、どこかで分かっているから。
それを、ずっと教わってきているから。

もっともっと、断っていかなければ。

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