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離婚してほしくなかった

離婚してほしくなかった。
仲良くしてほしかった。
思いやり合ってほしかった。
壊れてほしくなかった。

壊れた理由を、やるべきことをやらなかったからだと思っていた。
一般的な「あるべき姿」に向かわないからだと思っていた。
同時に、この人たちには、協力し合うことも、
仲良くすることも、思いやり合うことも無理だと知っていた。

「一般的・普通」と言われる姿は、理想・幻想なことが多いし、
どこかの誰かが何かを狙って、「仕組んだ」ことであることも多い。

そもそも、父も母も「普通」じゃない人たちだから、
思いやる、協力する、仲良くするなんてこと、できなかったのだ。

それでも、たった1人ずつの父と母だから、仲良くしてほしかった。
そうして、わたしは愛されていると感じたかった。
毎日が穏やかで、安定していて、生きることに不安を覚えない世界で生きていたかった。

両親の仲が良いこと、家庭の中が精神的にも金銭的にも安定していること、子供が優先されること、
そういうことが愛されているということだと思っていた。

そうされないのは私に価値がないからだと感じたし、父に、母に、価値を感じてもらうために必死だった。

今日は父の機嫌がよくても、明日は怒鳴り散らすような世界は苦痛でしかなかったし、
今日は母と一緒に料理ができても、明日は話しかけられないくらいに閉じている世界も、
心を引き裂かれるような、自分の無価値感を突きつけられるような、
わたしの気持ちをこれでもかと振り回して疲弊、落胆させるには十分だった。

そのくらい、わたしは父の分も母の分も、
彼らの気持ちや責任を背負い、自分のものとして、
べったりと共依存に陥っていた。

全く関係なかったのに。

仲良くできないのも、他人を思いやれないのも、協力できないのも、あの人たちの問題だった。

子供が産まれても変わらず、変えられず。
そんな人たちが離婚という道を選ぶのは、至極当たり前のことだった。

彼らの行動、振る舞い、あり方は、私に関係がないのだ。





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