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「つもり」と「現実」の違い

自分が見ている世界は、自分の認識・価値観・偏見というフィルターで
かなり、とても、ねじ曲がっているようだ。

目の前に対峙している相手の「気持ち」や「想い」や「意図」も
相手が思っているようには認識して把握できておらず、
捻じ曲がった「自分」というフィルターを通してしか、
受け止められていない。

「自分」で「自分に合っていないフィルター」を使い、
「認識」を捻じ曲げて、物事を受け止めていることが
ほとんどなんだと思う。

主には母親や父親から、そして、彼らのずっとずっと前の代から
引き継がれてきた「フィルター」は、自分にも勿論、
今の時代にも合っていないことばかりだ。

その、窮屈で、時代遅れで、不正解な「フィルター」を、
自分は「自分のフィルター」だとさらに勘違いして、
今でも大事に持っているんだと思う。

たちの悪いことに、その「間違ったフィルターを使うこと」も
当たり前になってしまっていて、世界を「歪んで見ている」ことにも
気付けていなかったり。

だから、自分が相手に対してよかれと思ってしたことは、実際は真反対で、
相手にしたら残酷なことだったり、嫌なことだったり。

自分に対して、良いと思ってしたことは、
本当は自分の首を絞め、苦しめ続けることだったりもする。

その反対もあり、相手が「よかれ」と思ってしてくれたことを、
捻じ曲げて認識し、「嫌なこと、苦痛なこと」として
受け止めていることだってあるんだと思う。

その「フィルター」に気付けないと、
ずっと現実の見え方が歪んでねじ曲がったままで、
自分の姿形さえ、歪み続けて理解できない状況を続けてしまう。

いつまでたっても、自分と繋がれない。

自分の感覚を疑って、検証して、確かめて、
「なりたい自分」になる「認識・価値観・偏見」を、作り直したい。

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