母との別れ

高校3年生になる前の春に、母は家を出た。

私自身は、大学に進学するつもりでいて、学部は既にいくつか絞っていた。
だが、大学自体はどこにするかはっきりとは決めておらず、自宅から通える県内の大学と、自宅を離れて一人暮らしをする県外の大学と、両方をやっと調べだしたくらいの時だった。
家から離れるつもりもあったが、いかんせん初めてのことで全然イメージが出来ていなかった。
一人暮らしをするということ、身の回りのことは自分で行うこと、専門職の学部なので実習などもあり、勉強も疎かにできないこと、学費と生活費を親に頼る分も含めなんとかしないといけないこと。
本当は自分の人生のために考えるべきことだったのに、甘ったれいたし、ぼんやりしていたし、見通しも甘かった。

あの時の私は、未来を見ることが難しかったのだ。
来る日も来る日も、一方的に同じような内容で怒り、怒鳴り、家族に鬱憤を撒き散らす人と、それに対し何もできずただ黙るだけの人たち、そういう人たちに囲まれて、わたしは、夢を持つこと、目標を持つこと、そしてそれに向かって試行錯誤することを、学べなかった。
そして、そのままわたしは、彼らを倣い、ただ黙るように、口をつぐんで心を殺すようになっていった。

目の前で繰り返される光景は、私から未来を奪った。
何をしても無駄だと思ったし、何をしても変わらないと思ったし、そもそも、何か考えを出すことすら、拒絶されていると感じていた。
この男の思い通りにならないと何も選択肢はないように思っていた。
唯一、高校進学とか、大学進学とか、そういうあの男が手出しのできないものだけは、選択の自由があると思っていた。

だけど、生活とか、お金とか、そういう基盤みたいなものはずっとズタボロだったから、そういう姿しか見せられてこなかったから、それが普通だと思っていたし、誰が何をどうしてくれているかなんてこと、そして、それが自分でまかなう必要があること、というか、まかなえることがイメージできなかったのだ。

そうして、ぼんやりと、そして永遠にこの地獄が続くと思っていた。
自分の中では未だ地獄認定が出来ていなかったから、地獄とも思えていなかった。

薄らぼんやりと、ふわふわと、ただ、学生生活を送っていた私は、母の異変にもすぐには気付けなかった。

突然、母から、「お母さん、出て行くから。半年くらいしたら落ち着くと思うから、あんたもおいで。」と告げられた。

え?どこに?
え?誰と、、?
半年、半年か、、結構受験真っ只中だけど、、
というか、なんで出ていくの?
わたしを、置いていくの?
自分だけ、逃げるの?
わたしは、要らない人間なの?
ずっと、わたしは、あなたを助けたかったけど、意味がなかったの?
一緒に頑張ってるんじゃ、なかったの?
家族を、どうにかするために、仲の良い家族になるために、なんとか、してたんじゃないの?
そう思っていたのは、わたしだけだったの?
でもしょうがないよね、あなたにとって、この家は物凄く地獄だものね。
まだ40代なのに血圧の薬も飲んで、自己破産もして、限界なのかもしれないね。
わかった、いいよ。
というか、いいよしか、言えないね。
言えないじゃん、出ていかないでって。
あんなに、ずっと辛い顔をされていたら、言えるわけがない。
このあと、わたしはどうしたらいいんだろう。
ねぇ、どうしたら、いいのか、わからない。

そういう思いが心を巡ったが、わたしはその時、言葉にできなかった。
ずっとずっと前に、伝えること、言葉にすることを諦めてしまっていた。

母には、「そう、わかったよ」と告げた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?