無意識のジャッジ
この間、仕事で親切な場面に出会った。
お客さんのところへ外出している最中に、すぐに気付けないメールで私宛に急ぎの対応依頼が入っていた。
そこで、ある一人の同僚が気付き、私が外出中で対応が難しい可能性が高いことと、
他の方に対応してもらうことが望ましいことを返信してくれていた。
え、普通じゃん、って思うだろうけれど、今の職場ではそんなに見かけない光景なのだ。
チーム色や、フォロー精神がやや薄く、逆に言うと個々人に良くも悪くも任せているところが多い職場である。
それでも例えば、今回のような突然の依頼がメンバーに起こり、リーダーがフォローすることはある。
上で書いた場面は、わたしもメンバーで同僚もメンバーだったし、
わたしは過去その同僚のリーダーだったことがあって、
上下関係でもしかすると言いにくいこともあっただろうから、
余計にフォローしてくれたことが嬉しかった。
わたしは、気付いたときにすぐ、彼女にお礼の連絡をした。
ありがとう、嬉しかったよ、って。
それだけでよかったのに、その後ナイスフォロー、って言おうとしたところで気が付いた。
何目線なんだ?と。
ナイスなんだけど、ナイスじゃないというか。
上から、評価するように、というか、要らないのに評価してる言葉だよな、と。
嬉しかったよ、だけで十分なのに。
自分に向けて気持ちのベクトルが動いてくれたことが嬉しかったし、
同僚自身が上下関係があると発言しにくいことをよく知っていて、
過去とはいえそういうことを超えてくれたのかなと嬉しかったし、
でも、嬉しかったよ、助かったよ、だけで充分だった。
勝手に自分にとって良いか悪いかを判断し、
それで相手をジャッジし、相手の気持ちを考えずに一方的な評価を下す。
凄く身勝手で一方的で、それなのに一般的には自分を悪く見せないようにする言動が湧いてきたことにゾッとした。
立ち止まれてよかった。
違和感に気づけてよかった。