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知識の使い方

これまでは知識を、「身を守るため」に使っていた。
それらしいことを並べれば、父も母もやり込められるからだ。

父は、恐らく家を継ぐことを意識していたのか工業高校に進学し、
数学や英語などの教科はそんなに得意じゃなかったようだった。
言ってることもよく辻褄が合わなかったし、ロジカルとは縁遠かった。

母は地方の普通高校を出てからすぐに百貨店の販売員として働いていた。
母は本当に意味のわからない人間で、心に関することや自分が不利になることになると一気に心と頭を閉ざす。
言い訳は、情報量が多いと混乱するとか、話の前後の流れがよく分からなくなるとかで、
〇〇だから〇〇になり、結果〇〇なんだよ、だから私は苦しいとか、
だから謝ってほしいとか言う説明や話には明らかに顔をしかめて言い訳し、とりあえず謝るばかりだった。

だから、父や母が分からないこと、不得意なことが得意になったり、
武器として使えれば、踏み込んでもこられないし、やり込められることもないと思ったのだ。

その、わたしにとっての武器と道具が知識だった。

そして父は、よく勉強するわたしを自慢に思っていたようだ。
「頭がいいんだよ、この子」、なんて頬を緩めて知り合いに話していた。
わたしは普段の鬱憤を晴らすように、父に問題を出し、
答えられない父に対して「こんなことも分からないの?」とマウントを取った。
若干父は苦笑いをしていたくらいの陳腐な仕返しだか、なんとか嫌な思いをさせたかった。
そうでもしないと不満で、苦しさで死んでしまいそうだった。
そういう私を物凄く性格が悪いとも思っていたし、だけど、唯一勝てる方法だと思いこんでいた。

母とちゃんと会話をするようになったのは、社会人になってからだ。
母が特定の話題になると、理論や話の繋がりにそんなにも弱いとは思っていなかった。
ある日、わたしは今こういう状況で、こういうことが原因で、だからこうなっているんだよ、という話をしたら、「そんなふうに話されるとついていけない」とか、「一気に言われると混乱する」とか、初めて見るくらいの表情で拒絶していた。
これで、勝てる、苦しみを返せる、と思った。

この人たちと自分は違うと思いたかったし、
この人たちに苦しみをわかって欲しいと思ったし、
そうするためには分かりやすく伝えないとと思ったし、
逃げるんだったらとことん追い詰めてやる、とも思った。
そして、知識がないことで両親が苦しんでいたんだとも気付いたから、
わたしが頑張ることで、知識をつけることで守ってあげられると思った。

だけど、わたしが知識をつけたところで、守ろうとしたところで、伝えたところで、わかって欲しいと言ったところで、何も彼らは変わらなかった。

甘かったし、何も知らなかったし、ただ殴るだけだったし、何も、変わらなかった。

知識をつけて、人を殴っても意味がなかった。
そして、知識をつけただけで、私は全く使いこなせていなかった。ただの上辺だけだった。

知識は自分の糧にし、咀嚼して噛み砕き、疑ってみたり信じてみたり、自分なりの形を確かめ、形を作り、また壊して作り直す。
そうして、自分に落とし込んでいくものだった。
受け取る人は、勝手に受け取っていく。
それでいいんだと思う。

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