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選択肢と家族
何か行動をしようと思うタイミング、いや、
その前の、行動を起こすことを決める段階から、
色んな選択肢が削ぎ落とされている。
それは意識できる「自分」が選んで、削ぎ落としているわけではない。
無意識の「自分」が選択肢を選んで、それ以外を削ぎ落としている。
無意識の自分は、「子供時代の自分」であることが多くて。
その、「親の子供」を続けている限り、
「家族のとき」に与えられた価値観、
そして、それに伴う選択肢で物事を取捨選択しているのだと思う。
自分の育った家庭がめちゃくちゃな家族、
めちゃくちゃな親であればあるほど、「その子供」をやっている訳だから、
その選択肢は狭いやら、世間一般とはかけ離れているやら。
さらには、「自分を押し込めて、親の子供をやっていた」ので、
無意識の選択肢は「自分らしいこと」、「やりたいこと」とも
大きくかけ離れていることが多くて。
次々起こっていく生活の中の選択が、どんどん「ありたい自分」と
離れていってしまうのだと思う。
どんな親でも、子供の自分にとっては「生きるために必要な人」で
「守ってくれるはずの人」で。
その親に「愛されたい」と思うこと、その親を「信じる」ことは
至極当たり前なんだけど。
残念ながら、親から受け取ったその「愛情」や「教え」は、
歪んでしまっていることがほとんどだ。
少なくとも私は、「歪みに歪んでいる」と認識している。
「歪んでいる」し、わたしに「合っていない」。
本当に、親から与えられた価値観、選択肢は、
自分の奥底あらゆるところに、細かい細かい粒子になって、
そこかしこに散らばって、埋まっていて。
顕微鏡で見て、ピンセットで一つ一つ取り出して、
埋まって傷になっていたところに薬を塗り、治し。
そういう途方もない作業で、行為だけど、もう、大人だから。
何よりも自分のために、私は価値観を捨てて、選び直せる。
そう信じて一歩一歩丁寧に、進むしかない。