動けないように、抱え続ける
今日、ふと気づいた。
私は、持てもしない荷物を抱え続けていた。
父の悲しみや寂しさを受け止めなければならないと、
母の悲しみや拒絶を緩和しなければいけないと、
ずっと、2人のために生きてきていた。
父と母、それぞれが自分でしか持てない荷物を、
私は一生懸命抱えようとして、それらを抱えられないこと、
前に進めないことを、悲しい、苦しいと嘆いているばかりだった。
愛してほしかった。受け止めてほしかった。
2人の荷物を持てば、愛してもらえると思っていた。
2人の荷物を持てば、2人とも「私」が見えるようになり、
愛してもらえる、見てもらえると思っていた。
だからいつも、誰かの荷物を欲しがった。
誰かの荷物を勝手に背負おうとして、勝手に入り込み、
勝手に嘆き、勝手に苦しみ、勝手に悲しんで居座っていた。
重くないと、苦しくないと、悲しくないと。
そういうやり方でしか、一緒にいる方法を知らなかった。
もう、要らない。
私には私の持つべき荷物があるし、人の荷物は持てないし、
何より、進めなくて、重たいのはもうお腹がいっぱい。
自分の荷物を見つめて、磨いて、前に進む。
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