「助け合い」がないと成り立たない、なんてことなはずがない
「自分を取り巻く世界に光がほとんどなくて、モノクロだった」
社会人になってすぐ、摂食障害になった。
摂食障害の始めは拒食だった。
食べてもほぼ0カロリーの蒟蒻とか、おからとか、海藻だけだった。
友達に誘われて外食する時は、
てのひらいっぱいの色んなダイエットサプリを飲んだし、
外食のあとは何が何でも16時間食べなかった。
そんな食生活だったから、動くエネルギーもなくて
仕事と友達に誘われて会う以外は、ほぼ家から出ずに横になっていた。
仕事中も、友達と合っている時も、
何も頭に入らないし、頭はそもそも動かない。
どんどん自分の命を奪って、「何もできない自分」を体現していた。
初めて、誰も知っている人のいない土地に住み、
初めて、一人暮らしをして、
初めて、そして突然、社会人として責任を与えられ、
初めて、社会に放り込まれやるべきことに囲まれて。
初めてだらけの毎日と、
父や母から教わり、受け取ってきたものと、
他人や社会とのギャップの大きさに戸惑い、
私の足場は無くなってしまったように思っていた。
頼れるものが何もない。
頼れる自分もどこにもいない。
生活はずっと親に庇護してもらっていたし、
地元、実家にいたから、常に知っている人が近くにいたし
勉強だけできたから、学校でされる評価に怯える必要もなかった。
誰かと向き合って、関係を構築していくことに悩んだことはあったが、
どれも「学生レベル」で深いものではなかった。
そんな状況から、生活も、人間関係も、自分一人から始めなければならず、医療者として人と向き合い、命に触れる場面もあり、
その中で心や頭を使うことも、未知数で、畏れ多くて、
どうしたらいいのか何も分からなかった。
その状況で、私には、
「自分を信じて頑張る」という選択肢が浮かび上がらなかった。
「他人」を頼り、相談するという選択肢も、持てなかった。
助けてほしかった。
「他人」じゃなく、母に、父に、助けてほしかった。
できない自分を受け止めてほしかった。
だから、どんどん「できない自分」を作り上げた。
どんなに「できない自分」を作り上げても、母は気付かなかった。
私も「言葉」にする術を知らず、毎月のように実家には戻っていたが
言葉で伝えることもできず、「体型」や「表情」や「雰囲気」で
「気付いて!」「分かって!」と訴えていた。
そうしていても、母から何か動きかけてもらうことはなく、
助けようとしてくれることもなかった。
ようやく絞り出して、
「辛くてたまらないから、地元に帰りたい」と伝えたが、
「買った家電が勿体ないからもう少し頑張りなよ」と、
心底どうでもいいものを引き合いに出され、受け止めてもらえなかった。
いい加減に飽き、その方法で助けてもらうことを諦めた私は、
その後過食に転じ、ブクブクと太り、とりあえず命を繋ぎ生き延びたのだ。
痩せていく間、ずっと、世界に色がなかった。
色を感じられないくらい、自分を弱らせ、助けてもらうことに必死だった。
父にも、母にも、助けてもらえないのだ。
助けてもらわなくても、「私は大丈夫」ということなのだと思う。
ずっと父と母のことを、自分を削って「助けてきた」と思っていたから、
「助け返してほしかった」のだけど。
そんな風に、「助ける」という条件で、
親子として、家族として繋がろうとすること自体が、間違っていたんだ。
「その条件」がないと、
「家族として繋がれない」ということも、間違いだったんだ。
なんだ、もう、捨ててしまおう。
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