離れるか、のしかかるか
目の前の人に振り回されすぎていると思う。
特に、何か感情が絡むような会話の時だ。
自分の気持ちや疑問、意思なんかはどこかへ行ってしまう。
目の前の人が何を思っているか、何を考えているか、何を感じていそうかにフォーカスしてしまう。
主に父の影響だと思う。
機嫌で怒ったり笑ったり暴れたりと、左右されたから。
訳の分からない理由だから予測できなくて、
筋の通らない理由だから予測できなくて、
わたしが筋の通らないことをしていても怒らないときもあり、本当にわからなかった。
複雑で分からなかったんじゃなくて、めちゃくちゃで単純だったから、分からなかった。
怒らせない、はできなかったけど、
怒りそうなときに上手く取り繕う、はやっていた。
怒ると面倒臭いし、意味が分からないし、話しても無駄だし、筋が通ってないから腹が立つし、疑問をぶつけると「生意気だ」とか「屁理屈だ」とか「良いからお父さんの話を聞きなさい」だとか、怒鳴られ、否定され、拒絶された。
わたしの無力感はどんどん積み上がり、蓄積し、心の奥底に敷き詰められている。
人と関わるとき、特に男性と関わるときに、この気持ちがわたしを覆う。
言っていることより、機嫌がいいか悪いかに引っ張られてしまう。
言っていることより、何をしたら肯定することになるかに引っ張られてしまう。
言っていることより、期限を良くする、または当たり障りなくやり過ごせることに引っ張られてしまう。
そういうことをしなくても大丈夫、と分かった相手には、むしろ全力で甘ったれてしまう。
だって、助けてほしかったから。
話を聞いてほしかった、認めてほしかった。
否定しないでほしかった、受け止めてほしかった。
わたしをサンドバックにしないでほしかった。
わたしを自分の機嫌を取る道具にしないでほしかった。
人間として見てほしかった。
機嫌を伺うか、全力でのしかかるか。
そういう関係性が続くわけがない。
始めることすら、苦しい。
自分も相手もいない。
そして、自分も相手もすぐ崩れ落ちそうな狭くて冷たくて息苦しい場所に居る。
共依存で、孤独。
そうまでして親子関係を続ける必要は、全く無い。