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1歩、また1歩

動けない、動かない。

これが私のこれまでの人生にとって、
通常の姿勢、スタンダード、前提、だった。

目の前で起こった出来事に対して、自分が動いて働きかけることで、
何かが進むとか、解決できると思っていなかった。

目の前の出来事には、私ではない別の「主役」がいて、
その人が舵を握り進め方を決定する。
私はその人と一蓮托生で、その人の舵に任せるしかない。
何があっても信頼せざるを得ず、
その人の「機嫌を取る」ことでしかサポートできないし
自分の方向が悪くならないことを祈るしかできない。

ずっと、そう思ってきた。
親との関係の中で、そうして生き延びてきたから。

どんなに頑張っても、父と母が仲良くなることも、
会話することさえなかったし、
どんなに頑張っても、家にはお金がなかったし、
どんなに頑張っても、電気やガスや水道が止まる日がやって来て、
その度に生きる不安を感じたし、再度それらが通るまで待つしかなかった。
どんなに頑張っても、父親が酔っぱらわない日も、怒鳴らない日も、
母親が笑う日も、家庭が温かさで溢れる日も、来なかった。
待つしかなかったし、だけどどれだけ待っても、
何の幸せもやってこなかった。

待つしかできないと思っているのに、待つのはただただ苦痛で、
つまらなくて、悲しくて、悔しくて、いたたまれなくて、
無力感でいっぱいで、腹立たしくて。
そういう気持ちを感じることすら苦しくて、
私はどんどん気持ちを抑え込んだ。
心を閉じ込めて、頭で考えるようにした。
世間知らずな自分で、頭の中でめちゃくちゃな理論や理屈をこねくり回して武装して、言い訳ばかり探して、何とか目の前の状況をやり過ごせるように辻褄を合わせた。
身体は太って、感覚を鈍らせるようにして、普段の食事もお腹が膨れるまで食べて、余計なことを考えないで、感じないで、そして動かないで
済むようにした。

感じてしまったら、親を否定しなきゃいけなくなるから。

身体は重たいのに、心はスカスカで、置いてきぼりで。
私は機械のように、人形のように、中身を空っぽにした。

だから、社会人になり、医療職に就き、初めて目の前の出来事や人に
「自分の選択が影響を及ぼす」と思ったら、怖くてたまらなかった。
私の判断一つで、相手の状況を悪くするかもしれない、と思うと、
これまでの自分の「動けなさ」と「それに伴う苦しさ」が自分を縛った。

「正しい行動をしなくてはいけない」
「相手に負担のないようにしなくてはいけない」

その反面、これまで動けずに苦しかった私も訴えてくる。
「我慢するしかないなら我慢させればいい」
「我慢することも愛情なんだから」
「本当に大切なら受け止めてくれるはず」

どちらの気持ちも、重たくて、苦しくて、悲しくて、負担でしかなくて。

「機嫌を損ねないよう、最低限に関わる」か、
「思い切り寄りかかって、受け止めてもらう」か、
極端な行動しか、取ることができなかった。

そんなの、失敗するに決まっている。
失敗でよかったんだ、今までは。

「だから親が、親の愛は正しかった。
親の愛を受け止めて、選択してきた私は正しかった。」って
思いたかったんだから。


今はもう、そんな気持ちは不要だ。私は動けるし、進める。
自分の荷物を背負い、自分の好きに手足を動かせる。
自分の足で立ち、好きな方向へ歩いていける。

それを当たり前にして、一緒に誰かと歩き、
時には誰かを支えられるようになりたい。

のしかかられることも、のしかかることもなく、
着実に1歩1歩、進んでいくんだ。



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