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まだまだここから

カウンセリング2回目を終えた。

ここで書き出していたことで、「物事」は少しずつ思い出してきていたし、
これはきっと「ひどいこと」だった、「ひどいこと」をされてきたいたんだ、と漠然と思うことはできていた。

だけど、まだ全く感情が追いついてきていなかった。

カウンセラーさんが父と母の行動に怒ってくれて、
私がうけてきたのは「ひどいこと」だと思っていることを肯定してくれて、
「よく生き延びた」と認めてくれて、何度もそれらを伝えてくれて、
やっと、少しだけ、泣くことができた。

頭で分かっても、心でちゃんと受け止めること、
感じることがどれだけ難しいか。
それだけ、心を凍らせて、感じないようにさせないと、
生きてこれなかったんだと思う。
それだけ、私の心は蔑ろにされ、軽んじられ、
モノのように扱われてきたんだと思う。

「泣く」ということは、辛かった、悲しかったと認めることで、
辛かった、悲しかったと認めることは、父や母を責めているような気持ちになることだった。
私は嫌なことをされていて、軽んじられていて、蔑ろにされていて、
大切に扱われていないということを認めるのは、とても、つらい。

この世に産まれて、初めて出会い、土台になる人間たちに
大切にされなかった、愛されなかったということ、
私の土台には、大切にする、愛するということがないこと、
それらを認めて、感情に乗せる、感情を出すことは、
まだまだハードルが高い。

なんで私だったんだろうか。
どうして大切にしてくれなかったんだろうか。
彼らの心は痛まなかったんだろうか。

嘆いてもしょうがない。
だけど、思い出さないと前に進めない。
思い出して、心を生き返らせて、前に進むしかない。

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