(連載小説)キミとボクの性別取り換え成人式③
「えっ?!、と、トランスジェンダーぁ??、そ、そうなんだ。」
「そうっス。ビックリしちゃいました?。」
志郎は操からの思いもよらない「カミングアウト」にさすがに驚きを隠せなかった。
今日帰京する新幹線の車中で初めて会ってからずっと操の事はてっきり男だとばかり思っていた。
スタジャンに野球帽と云ういでたちもだし、話し方や会話の内容はもちろん何よりもあのてんこ盛りの「若者定食」をいとも無くパクつき、酒も遠慮なくグビグビ呑む姿からは女子のかけらも感じさせなかった。
ただ言われてみれば身長は志郎とほぼ同じ位で、男子としては小柄だが女子となればどちらかと言えば大柄な部類に入るし、着ているものは男物だが髪形は短めだけど中性的な感じと言えなくもなく、声の高さもソプラノとはいかないまでもテノールくらいのトーンで男女どちらにも取れるレベルだ。
「んまあ初対面の志郎クンにいきなりカミングアウトもどうかと思ったけど、志郎クンってなんか俺にとっては話しやすいし、それに・・・・・。」
「それに?。」
「志郎クンって悪い人じゃないって思えたんで隠しても仕方ないかなって。なんででホントの事言ったんだけどやっぱりビックリしちゃったか。ははは。」
確かに今日会ったばかりの人物からいきなり実はトランスジェンダーですと言われてビックリしない人の方が少ないのではないかと思うし、実際志郎は操が実は女だという事にはかなり驚いていた。
「うん・・・・・ちょっとって云うか結構ビックリしちゃった。でも・・・・・。」
「でも?。」
「操クンがトランスジェンダーって事や身体は女なのに男の恰好してるって事については僕は偏見や嫌悪感は特に持ってないよ。だって・・・・・。」
「だって?。」
「僕も操クンと似たようなとこあるから・・・・・。」
「ん?、俺と“似たようなとこ”って何?。」
そう操に言われた志郎はひと息ついて恥ずかしそうにうつむき加減でこう言った。
「ぼ、僕・・・・・じ、女装子なんだ・・・・・。」
次の瞬間、「しまった!、言わなきゃよかった!。」と云う想いが志郎の頭の中を駆け巡っていた。
同じ街に住んではいるがたまたまなのだろうがこれまで会った事もないし、通っている大学は違っていてしかも別方向にあるし、特に二人の間には接点は無いように思える。
ただこのネット全盛社会で意外な誰かが「友達の友達」と云う事はよくあるし、何かの拍子で志郎の知り合いと操が今後知り合う可能性は人が沢山住んでいるここ東京に於いてはゼロではない。
これまで「身バレ」しないようにこっそりと女装を楽しんできた志郎にとってもし仮に女装趣味がバレてしまうともしかして数少ない友人には気持ち悪がられ、挙句の果てには「変態」「オ〇マ」扱いされてその評判が拡散されてしまうかも知れない・・・・・。
ただ志郎は操が正直に自分がトランスジェンダーである事をカミングアウトしてくれた事に対し、志郎も自分の一番の秘密である女装子であると云う事をカミングアウトする事が誠意ある対応のような気がして操に自分が女装子である事を告げたのだった。
そしてお互いカミングアウトをした二人の間を沈黙が包み、そして微妙な空気が一瞬流れていた。
「あはっ、僕なに言ってるんだろうね・・・・・。いやいやいきなり変な事言ってゴメンね、ま、気にしないで。へへ。」
と、気まずい沈黙の場を何とかしなくてはと取り繕うように志郎は言うのだが操は沈黙したままだった。
「ヤバい・・・・・。操クンって何かが気に障ってるんだろうか?。」
と感じ、これ以上取り繕うような事を云うのもどうかと思い、志郎は黙ってしまったので再び沈黙の空気が二人の間を包んでいた。
しばらく黙ったままの二人の間にはなんとも言えない重苦しい空気が漂っていて、さっきまでのあれほど楽しくてあっと云う間に過ぎていった時間が今度は一転してなかなか経たないもどかしさに変わり、仕方ないのでおひらきにして席を立とうかと思い、そのタイミングを探っていると操がポツリとこう言った。
「志郎クン、別に変じゃないよ。」
「え?。」
「だから志郎クンが女装するって事を俺は別に変だと思わないから。」
「ああそうなんだー。そっかー、よかったー。」
操が沈黙を破って喋ってくれた事、そして自分が女装する事を変だと思っていないと肯定的な反応を見せてくれた事で多少なりとも志郎は安堵した。
ただまだ先程までの打ち解けた感じではなく、複雑な表情を操が見せている事で心から安心はできず、一抹の不安は残っていた。
そうしているうちに店主のおじさんが志郎と操の座っているテーブルまでやってきた。
さっきまでは地元客で結構混んでいた店内も気づけば志郎と操だけになっていて幾分手持ちぶたさになっているようでもあった。
「ドシター、二人トモさっきまでとっても楽しそうだったノニ、すっかりおとなしくナッテルジャナイカー。」
「いや陳さん、そんな事ないよ・・・・・。」
「ま、今日はもう看板ダカラ店じまいスルンデ、ほらこれでもヨカッタラ持って帰って家で3次会デモすればイイヨー。」
と店主の「陳さん」はお持ち帰り用の容器に入った唐揚げと春巻きを志郎と操のそれぞれに手渡してくれた。
「コレ、陳さんからの“お年玉"だヨ。今年もヨロシクねー!。」
と言われ、お会計を済ませた二人は陳さんの持たせてくれた「お年玉」を手に店を出た。
気が付けばすっかり辺りは暗くなっているどころか夜も更け始めていて、店の周りも23区内にしては人通りも徐々に少なくなってきているし、おまけに北風も結構吹いていて寒々しい。
「じゃあ、ここで。今日はありがとう。」と云う志郎だったが、操は「あのさ、陳さんからツマミになるようなもの貰った事だし、よかったらついでにこれからうち来る?。」と言う。
そう言われ普段の志郎だったらなんやかんや理由を付けて断るところだったが、変に沈黙したままお別れするのもどうかと思っていたし、それに例の振袖の入った大きな荷物を操一人で運ばせるのにも気が引けていたからこのまま操の家に行く事にして、二つある振袖一式が入った荷物のうちひとつは志郎が手に持って運んであげた。
道すがら操が陳さんの人となりについて教えてくれたのだが、「台東飯店」と云う店名はお店が台東区にあるからと云うのもあるが、陳さんの出身地が台湾東部の台東だと云う二重の意味があるとの事だった。
日本では余り知られていないが、台湾には先住民族としていくつかの少数民族(原住民)の部族があり、陳さんも山あいにある少数民族の家庭の出身だった。
ただ「少数」民族と云う位だから既に生まれながらにして陳さんはマイノリティだし、実際問題としてこれまでに少なからず少数民族の出身と云う事で陳さんに限らず同じ地区の人や近親縁者の多くがマイノリティに対するマイナス的な扱いを受けた経験があるようだった。
加えて台湾は東アジアでいち早く同性婚が合法化されるなどLGBTQに対する法整備や社会的な理解が進んでいる地域でもあり、それもあって性的マイノリティへの寛容度が比較的高いので普段からLGBTQ当事者に接する事も普通にあり、そのような経緯から陳さん自身もマイノリティには理解を示してくれていたので操にとって台東飯店は居ごごちがよく、足蹴く通よっていた。
そんな話をしているうちに操の住んでいるマンションに着いたのだが、そのマンションはこの辺りでは二番目に大きなマンションだった。
「操クンってここ住んでるの?。」
「そうだよ。」
そう言いながら操は玄関脇の10キーでオートロックを解除し、自動ドアが開くとそそくさと二人はマンションのエントランスホールに入った。
自分の住んでいるアパートは日当たりこそ天気のいい日にはまあまあだが、間取りは狭く、ドアもこんなオートロックなんか付いていない普通のシリンダー錠に鍵を差し込んで開けるタイプのものだし、それを考えると操は大学生にしては高級なマンションに住んでいると言える。
エレベーターに乗り込むと「5」のボタンを操が押したので部屋は5階にあるのだろうが、志郎はエレベーターなんか付いていないアパートで自分の3階にある部屋に上がる際に荷物が大きかったり重かったりすると難儀する事もしばしばだったから、こんなエレベーター付きのマンションに住んでいる操がうらやましく思えた。
エレベーターを降り、操の部屋に入ると志郎が住んでいるワンルームの部屋よりずっと広い間取りだった。
「適当にその辺座っといて。あ、ビールでいい?。」
「ええ、お構いなく・・・・・。」
同い年で同学年の大学生なのに操は志郎と比べて随分と高級な部屋に住んでいるんだなと率直に思っていると操が缶ビールを冷蔵庫から出して持ってきた。
しばらく留守にしていたので缶ビールもずっと冷蔵庫の中で「お留守番」していたせいかよく冷えていて、二人は早々にプルトップの栓を開けた。
「操クンっていいところに住んでるんだね・・・・・。」
「まあ親が”東京で女の子がひとり暮らしするんだからセキュリティとかしっかりしたとこじゃないとダメだ”なんて心配したものあってここになっちゃったんだよね。でも俺”女の子”じゃないっつーの。ははは。」
「ははは・・・・・。」
缶ビールを飲みながら横目で志郎は操の部屋の中を観察していた。
「男の一人暮らし」」にしては比較的片付いているがところどころ無造作に服や雑誌が積みあがっているところは幾分「男の一人暮らし」感がある。
全体的に家具や調度品もシンプルで、色調もモノトーンにまとめられていてピンクをはじめとしたいわゆる女の子の好む色合いやデザインのものは何一つ無いし、女の子の部屋によくありそうな姿見やドレッサーも無く、パッと目に見て何も言われなければこの部屋の住人は男性なのだろうと思ってしまうような雰囲気だ。
そんな1LDKの間取りのこのマンションだが操は今居る部屋しか実際にはほぼ使ってないのだそうだ。
「だって掃除とか面倒だし、俺料理とかあんまりしないんでキッチンも家呑みの時に簡単なツマミを作る以外はお湯沸かすかレンジで温める時ぐらいしか使わないんだよね。」
そう言う操はここでも地方から東京に出てきた一人暮らしの男子大学生そのものでまるで女子らしさを感じさせないし、それどころか操には男子大学生らしさがしっかり板についている。
そして陳さんにお土産にもらった中華料理をツマミに缶ビールをひと缶呑み終え、二缶目のプルトップを空けた頃から操はこれまでの経緯をポツリポツリと話し始めた。
操の実家はいわゆる「中山間地域」にあり、周りを森と畑と田んぼに囲まれた中で操は産まれ育った。
山あいの集落に家がある事もあって小さいころから周りの山や森が男女問わずこの集落に住む子供たちの日常的な遊び場で、操も男の子たちに交じって毎日山や森で遊び、元気に駆けずり回っていた。
そんなここの集落の子供たちの遊び方は都会に住む人から見れば男の子はいいとして女の子にしてはみれば随分と「おてんば」のように見えただろうが、ここではこれが普通だったので自分自身もそして周りの大人たちも特に何も気にせず、大人たちからは操は特に何か言われたりする事もなかった。
ただ年齢や学年が上がっていくに連れ、好むと好まざるとに関わらず少しずつ周りから「女の子扱い」されるシチュエーションも増えてきていた。
七五三は女の子用の着物を着せられてメイクもされ、髪は短かったがその分大ぶりの髪飾りやリボンを付けられすっかり「女の子らしい」姿にされた。
「七五三のときが俺にとって”初女装”って感じかな。お参りに行くと他の男の子がブレザーや羽織袴を着てるのを見て”あっちの方がいい”って思ったし、それに”女装”させられてるのが嫌でグズってたんだけど慣れない着物が窮屈でグズってるって勝手に勘違いされちゃってさ。はははっ。」
そんな小さい頃から既にトランスジェンダーとしての兆候が表れていたのかと少しびっくりしながら志郎は操の話を聞いていたのだが、次に嫌な思い出として印象に残っているのは小学校入学の時だったと言う。
「都会とかなら今は別にランドセルの色って好きに選べるしそれでどうこう言われる事ないけど、うち田舎だったもんで”男の子は黒、女の子は赤”って不文律みたいにそれが当たり前って云う感じで俺にも赤のランドセルが届くし、学校は制服は特には無かったから普段はジャージみたいな恰好で通ってたんだけど、でも式典の時は”よそ行き”の恰好してこなくちゃいけなくてさ、入学式の時にはメイクはしなかったけどレースの衿の紺のワンピースにコサージュが付いたのを着せられてさ。あれってヤダだったなー。」
操の子供心にはいわゆる「女の子らしい装い」をする事を本能的に嫌がっていたのだがそれがなんでなのか幼かった事もあってトランスジェンダーと云う概念もまだ知る由も無く、それにまだ幼いこの頃にはパソコンやスマホで検索する術を知っている訳でもなく、周りからも操はとても「おてんば」なのだろうという事で片づけてられていた。
それに小学校に上がってからの操は家では宿題を済ませると後は山や森で前と同じように近所の子と遊び回っていて、特に学習塾に行ったり通信教育を受けていた訳ではなかったが勉強は非常によく出来て、運動の方も日頃から野山を駆けずり回っていたせいで基礎体力が付いていたのと元々運動神経が良かったようでこちらの方もよく出来る「文武両道」な子だと云うもっぱらの評判だったため、少々のおてんばぶりは家でも目をつぶってくれていた。
ただ近所や学校でいつも一緒に遊んでいた子供の中で女の子は年齢が上がるに連れて徐々に「おしゃれ」に目覚める子も増えていたし、前ほど野山を一緒に駆けずり回るのはしなくなってきていた。
それは女の子としてはごく普通の事なのだが、操にとってはついこの前まで一緒に野山でアドベンチャー的な遊びをしていた女の子が髪を伸ばし始めて好んでスカートを履き、ファッションやプチプラコスメ、はたまた料理やお菓子作りと云った話題に花が咲くのには違和感と物足りなさを感じずにはいられなかった。
違和感と言えばよく一緒に遊んでいた近所の上級生の女の子が中学校に上がり、セーラー服を着ているを見かけた時に操はいつも以上に違和感を覚えた。
元々その子も女の子にしては活発で、操たちの集落では「おてんば娘」として名が通っていたが、6年生になった位から短かった髪を徐々に伸ばし始め、中学入学を期にばっさりとおかっぱにはなったがその後はまた伸ばして長くなった髪を時には三つ編み、時にはツインテールに結び、紺のセーラー服を着て学校に通う姿からはあのおてんば娘だった頃の面影が消えていた。
この辺りの子が通う中学校には田舎だった事もあって男子は学生服、女子はセーラー服と昔ながらのスタイルだが小学校とは違ってちゃんと制服があった。
本能的にスカートを履くのが嫌でしょうがなかった操は自分も中学生になったらあんな風にセーラー服を着せられ、髪も三つ編みやツインテール、はたまたおかっぱと云う「女の子らしい」髪形にさせられてしまうのかと思わざるを得ず、しばらくその事を思い出す度に憂鬱な日が続いていた。
そんな時に学校の総合学習の時間でパソコンの使い方を勉強する機会があり、操もインターネットのイロハから教わった。
そして同時期に小学校高学年になっていた事もあり、基礎的な「性教育」と同時に「性の多様性」を授業で教わる機会があったのだが、この2つの学校での出来事が結果的に操を大きく変えるきっかけとなった。
「もしかして”LGBTQ”ってのに当てはまるんじゃあ?・・・・・。」
ひと言で言えば少数派だけど世の中には心の性と身体の性が一致しない人や表現したい性が戸籍上のとは違う人が一定数居て、それは決して珍しくもないし恥ずかしくもない事だと云う事を聞かされた操はまるで凍っていた氷が急速に溶けるように自分の心の中にあったわだかまりが崩壊していくような感触に突き動かされ、無心で学校のパソコンで検索をしたのだった。
「やっぱり・・・・・。」
検索ワードを色々変えてやってみても概ねどのサイトにも書かれてある事が同じなのを読んだ操はどうやら自分はFTMトランスジェンダーである事を悟った。
ただ学校でも今日自分が見たどのサイトでもLGBTQは悪い事でもなんでもなく、もちろん恥ずかしい事でもないと書かれてある事には操は安堵はしたが、かと言ってじゃあ周りはこの「少数派」に理解を示してくれるのかと云うとそうではなさそうな事も感じていた。
クラスでも時々いわゆる「ナヨっとした」仕草や喋り方をしてしまう男子が居て、彼の事はその度に「オ〇マ」とか「女の腐ったような」と揶揄されたり失笑や嘲笑の対象になっていたし、操自身も活発なところから「男勝り」と言われるのはしょっちゅうで、何よりこの中山間地域にあって絵に書いたような里山風景が広がる自分の地元では風景だけでなく人々の心も「古き良き日本」と云った感じで、理解を求めるのは難しそうだった。
そうかと云って数年後には自分も自動的に中学生になる訳で、なってしまうと髪を伸ばしておかっぱや三つ編み・ツインテにして、着たくもないセーラー服を着て毎日学校に行かなくてはならないし、休みの日や家に居る時はジーンズやジャージでいいけど髪形は当たり前だが家と学校で変えられないのでずっとおかっぱかセミロングでいないといけない。
それに服装や外見面もだが、友達も今は仲良く男女関係なく同じように遊んでいるけど中学生になっても同じような友達付き合いができるとは限らない。
「はあ・・・・・トランスジェンダーって結構面倒なんだな・・・・・。でも絶対に髪を伸ばしたくないし、セーラー服を着るのも絶対嫌だ。」
そう思った操はある事を思い付き、翌日から実行に移したのだった。
(つづく)