078普遍化✳構造化✳不射の射✳結果自然成と永遠の森プライオリティ原点回帰ジャムセッション
ここは仮想世界。
私は球体ビル九階の自部屋で佇んでいた。
きらきらと輝く海を、窓から眺めながら。
「よぉーし」と息を巻きつつ、脳内の『球体ホログラム』で『精神と時の部屋』の様な空間イメージ。仮想世界内に、私を中心として球体の仮想空間を出現させた。
私は既にその空間内にいる。仮想世界では、以前ギルドネットワークスのオープンワールドにリンクした際、現実世界と同じ時間軸に同期された。
仮想太陽も約二十四時間で私たちの仮想世界を一周する。私が今いる空間は局所的に時間の流れがコントロールできる為、限りなく時間の進みが遅くなっている。
この空間で何時間、何日経っても、便宜上の外に出たら一瞬にすることも可能なのだ。
時間を限りなく早くすることも出来るが、早くし過ぎると、現実世界で歳を重ねる浦島太郎状態になるばかりか、いつの間にか天に召されてしまう。
事故と涙のスーサイドも避ける為に、こちらの一時間は外の仮想世界の三時間経過と、三倍までにリミットされている。うまく活用すれば、インスタントラーメンが体感では一分で作ることも可能だ。
それなら、時の流れが遅い仮想空間に生活、社会空間をつくればいいじゃない、と思われるかもしれない。理論上はほぼ永遠に生きられるじゃない、と――。
しかしながら、どうもそうとはいかないようだ。人間には脳の休息、睡眠が現代では必要。
私たちは現実で睡眠を取りながら、同時に仮想世界、あるいは時の流れが遅い仮想空間内で活動することもできる。
それでも脳の限界がやはり――ある。
いつか――いずれは――この仮想空間でほぼ永遠なる生活も、不可能ではないのかもしれない。
さて、私はこの時間資源が豊富にあるとも言える仮想空間で、原点の呼吸動作法に立ち還ることにした。
自動的に呼吸と動作(無動作)とエネルギーそしてエントロピーの流れを最適化する為。自動的に。
後ほど、他のクランメンバーに連絡してフォーメーションで行う手筈にもなっている。
まずは自動的に準備運動のような動作をする。準備運動のようではあるが、本動作と境目はないとも言える。
舞台、本番の前に準備運動のような馴らし運転をするか、舞台、本番で馴らし運転も演出とするか、それらに近いのかもしれない。
準備運動はルーティンにはほとんどならない。からだ、あるいは環境そして宇宙に内在する知性、叡智によって最適な動作が流れていく。
馴らし運転が終わると私は意思を反映させることにした。立ちながら足幅を横に大きく開き、両手のひらを上にしながら、身体に沿って頭上に、息を吐くか、叫びながら両腕を上げていく。
この格闘ゲームでのエネルギーチャージのような、よさこいでよく観られる振る舞いは、おそらく大地のエネルギーを身体に通しながら天なる宇宙に繋げる。リンク。アクセス。(正確には地球内にいる私たちは今もいつでも宇宙にもいる)
物理的には背筋や中心骨、神経、ネットワークス系も解放されるたろう。
ただ、この動作のみだと地から天までの一方通行の為、天から地への流れも必要と推測される。相互通行。相互作用。そして同期。
「どんな動きがいいかなぁ」
私は自動的に探ることにした。(検索、そして抽出エッセンシャライズ)
探ろうとしたところ、地面から観て時計回り(ネジ締め)で、両手をまっすぐ頭上に上げながら、からだは前を向きながら円を描く動きした。フラフープをするような動きだ。
空から観ると反時計回り(ネジ開け)になる。
次に時計回りに回転してみた。下に向かってエネルギーが流れる気がする。
回転系のエネルギーの流れはもしかすると、台風の目の回転が逆になるように、北半球と南半球では異なるかもしれない。
説明も検証もややこしいのでここでは割愛。戦略的撤退。面倒。(ぼそっ)
時間と空間も量子であり、物質や肉体と精神体という量子との、相互作用で現象……精神と時の部屋のような、この時間コントロール空間の原理は……(割愛)
……地から天(宇宙)の方向だけでは、宇宙に行きっぱなしで、天(宇宙)から地球への方向は、ゴールなグランドデザインを創造する上で重要の模様。大地に根ざすグラウディングとも呼ばれる。両方向そしてSync/同期が望ましい。
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私たちクランが、『並列集合共生体』として、機能し始めていない頃の記憶で回顧録、現象クラスタ(プレート/DISC)、別の言い方で言えば『アーカイブス』――。
私は宇宙の情報なのか、どこぞのプロデューサーなのか――聴こえたのだ
『ジャムセッションの普遍化と構造化』
構造化を単純に定義すると、わかりやすくまとめて明らかにする、かしら。
釈迦が体験→言語化→サンガ→上座部→そして大乗仏教の経典を一般層にわかりやすく共有、伝播するような。…→民藝。…→ポップソングのような。
逆ベクトルに然り、すべて同時発生とも言える?
しかしながら――
1)「文化=精神的」 /「文明=物質的」
2)「文化=個別化・多様化」/「文明=普遍化・統一化」
とするならば
目標は文化にしつつも、結果的に浸透し、適度の普遍化または一般化、共有化が好ましいか。
全ての人も生物も救う必要はないだろうし、結果的には救われているのだと思う。
プライオリティはこれまでの通り、身近に感じる、縁深い、快い人々。
法と快い適度な秩序を犯す者、予備軍は他団体に委ねる。心無い者も同じ。私たちにとって大切な人々を守る為。豊かな暮らしを守る為。
システム運用に支障を来たさない、最小適度な渾沌はアップデートの為にOK。最適な開放感が望ましい。
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まずジャムセッションとは――
禅。
のような現象。
禅には座る禅、歩く禅、食べる禅、動く禅等があるが――セッションは踊り手、演奏家、芸術家等の有機的な連携集団による、リアルタイムの踊る禅、セッション禅となる。
現代禅。
一方、遊びのようなこととも言え、未知な要素も多く、解明が望まれる。
一般的視点のジャムセッションは――
〈準備した楽譜、アレンジにとらわれずに、主にミュージシャン達が即興的な演奏をすること。類似にアドリブやインプロヴィゼーション〉インプロと略。
語彙と文法を駆使する日常会話も、一般的なインプロセッションと言える。
演奏家以外に踊り手、芸術家、他分野、業界、職種もセッション可能。
段取り、決まり事、暗黙ルール等ローカルルールも見られる。状況に合わせて種々パターンがあっていい。
フリープレイと称されることも。こちらも活用する。
とらわれないにしてもセッションが始まる前の準備も大切に思う。
ステークホルダーの根回しとまではいかないが、大方、ファシリテーションする前と同じ。心とからだの準備とも言えそう。無意識でそれが可能なのはスペシャリストか。
「生きることは即興だ」「好きなように描いて幸せに死ね」というプレイヤー、小説家も。
「作曲とはインプロをゆっくり行うことだ」とシェーンベルク。
ミケランジェロは「彫像は石の中にすでにある。時の始まりからそこにあるのだ。把握しそれを出現させることだ」
※六十秒以内に終わらせるセッションも効果的らしい。
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構造と自発性、規律と自由のバランス――
音楽は数字や幾何と密接な関係があるが、ジャムセッションは感覚的な部分、未知なる部分も多く、実践しつつLab的に研究、体系化して在野、場合でスクールにリリースする予定。再現性を高めていく。
わずかな適度な材料から、大きな適度な結果を生み出す。
明らかにして先入観により弊害が起こりそうなら言語化は避けるか、その周辺までは明らかにする。
コアな感覚的な部分も、その方法も人によって変わりそう。泉のほとりまで連れていけるが、口に入れるのは〜……。ほとりまでの方法も千差万別か。
踊りの場合、私自身は身体が自動的に動き踊るのだが、他の者が同様に動くことも出来そう。
ゾーン、フローも関係可能性大か。
踊る禅(の様な現象)と認識。現代禅セッション。
私たちにとって最適なカリキュラムが展開されていく。
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Bach、Mozart、Beethoven等、歴代の作曲家は即興演奏もお手の物の様。ダ・ヴィンチは友人らと詩と音楽をその場でつくりながら、オペラ上演した模様。
20世紀になりジャズで再登場。末にインド音楽や、伝統音楽で音楽家に影響。
近年では直木賞、蜜蜂と遠雷で即興演奏がしばしば登場。テーマは「音楽を外に連れ出す」(実写映画では残念にも連れ出せなかったようだが……)
込み入った楽器なら相当の実力が必要。可能なミュージシャン、演奏家とつながる必要あり。
楽器はかなりの修練が必要だが――
からだ、動き、踊り、ややもすれば声、唄からのアプローチなら、未経験者でも相当のジャムセッションができるようになると推測される。
一般層が楽しめるメソッドは数年前につくったので思い出して改良すればOKか。
身体や声を楽器にしたり、太鼓のような単純な楽器類なら十分楽しめる。犬の鳴き声、鳥のさえずり、雨音。
一種のグルーヴを感じることもあり、一般層でも適度の深淵も体験できるはず。
もちろん、ただ楽しむセッションがあってもいい。
※変形セッションのダンスウォーキングは、街中で銘々がイヤホンから音楽を聴き、歩きながら現代の街をサイレントに踊り楽しむ。道ゆく伝統阿波踊りのように。
コア層には現代禅、という言葉は有効か。用いないアプローチは?有機的セッション?新語?文化で十分?
ジャムセッションと団体の、価値が高まり浸透するには?
といったところか。
『ジャムセッションを文化に』
『ジャムセッションは文化(創造)
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私はそんな構想を考えつつも、矢面に立ってくれるパートナーを求めていた。
縁(よすが)なることは勿論であるけれど、私や私たち、そしてゴール実現にとってポテンシャルA以上、特にSSS、Sランクを求めている。
――私は明治神宮の秋の大祭に参加していた。
三日間開催され、一流の演者による能や狂言、邦楽邦舞など、伝統芸能の奉納が神前舞台にて行われる。
最終日は明治神宮で最も重要な祭儀が執り行われる。よくわからないが、宮中より勅使の差遣、つまりは天皇からの使いのある大祭の様。
明治神宮には厳かで豊かな森があり、主に明治神宮siteによれば――『永遠の森』を目指した壮大な計画のもと、大正四年から造営工事開始。全国から植樹する木を奉納したいと献木が集まり、日本のみならず北は樺太(サハリン)南は台湾まで、満州(中国東北部)朝鮮からも届いた。約十万本の木が奉献され延べ十一万人の勤労奉仕による植林によって代々木の杜が誕生。
当時は在来種等を含め三六五種、現在では二三四種類。東京ドーム十五個分の杜(もり)は、自然林のように大きく豊かに成長し、「鎮座百年記念 明治神宮境内総合調査」では、日本新発見の昆虫(ジングウウスマルヒメバチと命名)が報告された他、数多くの絶滅危惧種、都会には珍しい生物が報告された。
永遠の森をデザインしたのは日比谷公園を作った本多静六、本郷高徳、上原敬二氏。
神社の森は切ったり植えたりせず、最終的に自然に世代交代するのが、鎮守の森としてふさわしく、常緑広葉樹、樫、椎、楠などで実現可能と考えられた。
森作りの工程表は四段階。初段階、常緑広葉樹は初めは成長が遅く、まずは成長の早い松を主とする森。次に杉、桧(ヒノキ)を下に植え、その下に将来を担う、楠、樫、椎、その下に小さな灌木類。
五十年程で杉や桧に松の成長が負けて衰退、杉と桧の森へと変化。更に五十年後に、常緑広葉樹の成長に負けた杉、桧が衰退。四段階目で、椎や楠、樫である常緑広葉樹が、森の一番上を占めて、その下に子どもができて自然に世代交代する森。
今後、本数が増減しながら、自然の力でうねりつつ、二〜三百年経過して、神社の本森らしい森ができていく様だ。
当初は「百五十年後にそうなるだろう」と予想されていた森は、凡そ九十年で、当時予測されていた森の姿になった。
今後の将来は、どんな永遠の森になるのか。
さて、そんな明治神宮の大祭には流鏑馬(やぶさめ)、弓、合気、古武道による演舞、大会もある。
私は演者の動きを参考にしたり、琴の音色にうっとりすることもあった。
脳内イメージで、弓の的が目の前に現れる。
背中には弓矢。
『不 射 の 射』
そう聴こえた。
ガイダンスなのだろうか……。
(的に当てようとして射つな《射たないでくたさい》)
(……的ってゴールや目標のメタファーよね)
そう感じながら私は、いや私と言えるのかはわからないが……自動的に、身体が勝手に動き出す。
背中から弓矢が手に取られ、矢がつがれて弦が引かれる。
私はいつの間にか目を瞑っていた。
そして矢は放たれる。
私の目は開かれて、矢は的の中心を射抜いていた。
私は的を狙うことなく、自動的に的の中心が射抜かれた。
次に私は矢を射つことはなかったが、的は結果的に射抜かれていた。
論理も理屈もわからないが、そうなっていた。
そう成っていたのだ。
「不射の射……ね」
『結 果 自 然 成(けっかじねんじょう)』
そんな声も、聴こえた気がした。