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自分が理解していないことは、書けない、書かない。

『嫌われる勇気』で知られる古賀史健氏は、こう言う。

文章には”自分の頭でわかったこと”以外は書いてはいけない

20歳の自分に受けさせたい文章講義:古賀史健

たとえば「父」という漢字、「ちち」「ふ」などと読む。
漢字や日本史の地名などは暗記物だから、結局はその通りに覚えるしかない。

けれど、たとえば数学の場合。
「X=1」が答えだと聞いたから、とりあえず「X=1」だと答える。
でも、それってどうして1なの?
本当に1なの?
どうやって計算したの?
???

答えだけわかっていても、結局それが正解なのかどうかは答えられない。

冒頭の一文を踏まえると、文章も数学のそれと同じということだ。
誰かに聞いて、文章の結末だけを書いたとしても、それは借り物に過ぎない。
その過程がわからなければ、書いたことにはならない。

読者にゴール地点を見せるのが目的ではなく、「ゴールまでの道のり」を示すことが文章の役割なのだ。

20歳の自分に受けさせたい文章講義:古賀史健


これは、インタビュー記事とまさしく同じだなと思う。
たくさん深掘りして100%聞けたならば、それだけ取れ高は多いし、書く内容にも奥行きがあってより充実したものになる。

けれど、50%しか聞けなかったら?
書ける内容は50%の中にとどまる。
残り50%は、なんとしても書きようがない。
だって、わからないのだから。
書く本人がわからないものは、そもそも書けない。

書けない、というより、
「書いてはいけない」とも言える。
真実かどうかわからないことを書いても、
結局、相手の心には届かない。

それに、わかっていないことをわかった風に書くことこそ、恐ろしいことはない。

自分の中でよく嚙み砕いたものを、正直にアウトプットする。
そのためにも、普段からたくさんの情報を集め、アンテナを張り巡らせる。

自分の頭でよく考え、大切に、大切に、言葉を紡ぐ。

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紡/Tomomi Sugimoto
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