現在の離婚するかも問題が、少しずつ動きつつある
だいぶ前にあげた記事で、両親が離婚するかもという内容を書いた思いますが、どうやら母はその決断を下すべきなのか?それともまだここに残るべきなのか?という事がグラグラと頭の中で回っているそう。
交通事故の後遺症もあるし、あまり内側へ入り込むと支障が出る恐れあるので、心のケアが必要になってきている。しかし本人達が今どうなっているのか?またはお互いがどう考えているのかは、流石に僕でもわかりかねない。
だけど、一応僕の口からはどうなっても驚かないし、本人がそれで良いのならば受け入れると話してある。
正直そんな事で僕が悩んだり、落ち込んだりしてもしょうがないのである。それは飽くまでも本人達の問題で、誰が悪くて正しいのか、議論しあったり、粗を探している状況でもない。
いくら息子という立場でも、それは仕方がない事であるし、お互いがそれで居心地が悪い、辛いと思うならば、後は本人達の意向に任せるしかないというのが僕の答え。
その意志を伝えたら、母は大分楽になったのだという。
だけど僕は父だけが悪だとは思わない。勿論その逆も然りだ。もうこの年齢だから別に驚かないけど、それがティーンネイジャーだったらこうはいかなかったし、その間、お互いが上手くまとまっていたし、そういった真実を子どもたちに見せ無かったのは、僕は感謝したいと思っている。
現にここまで大きく育てて貰ったわけだし、たった一つの行動や間違いで、批判したり、縁を切るのは僕は違うと考えるからだ。
だからもし家族が分断したとしても、僕はイーブンでいる。そしてどちらかが助けを求めたら手を差し伸べるつもりではある。だけどいい加減面倒な問題はごめんなので、それはどうにか本人で解決をしてくれというのが本音。
これからの時代はそういった組織的な物や、一つ縛られて自由を無くすのならば、ふわふわと宙ぶらりんであっても、幸せに生きられる手段を早めに見つけて、小さくながら強く生きたほうが幾分健全だと僕は考えている。
ある意味執着を手放すという習慣をつけていると、どんな状況であっても、上手い突破口を見つけたり、下手なしがらみを回避する手段を見つけやすくなるのだと、最近良く思う。
もし仮に離れ離れになっても、形式としての家族ではなくても、僕からすれば親は親である。
潰れた元社員がうちの親父と母を、社長、部長と呼んでいる様なもの。
正式な家族ではなくても、肉親であり、息子である。ただ形が変化しただけなのであると認めれば、大した事ではないのではないか?とも思える。
別に離れ離れになったからと言って、命まで取られやしないので、今まで通り気長に生きるしかないのだろう。
まぁ生活面では少し大変になっても、別にやれないと決まった事じゃ無いし、いくらでもやりようはある。散々ぱら色んな経験をした中で見れば、まぁ大した事じゃない。家族として乗り越えれたのだから、大丈夫だろうと自信はある。
ただ一番の懸念点は。本人達の精神や体調などである。
ストレスだったり、そういったものは一気に来たりするのでそれが一番心配かな?特に母はただでさえ後遺症があるから。
なのでこれからどうなるかわからないが、何が起きても柔軟に対応できるように努めるつもりでいます。
そしてもうこの話題は記事にはしません。
読んでいて面白いものでもないし、変に美化するものでもないから。環境が変わろうが、生活が変わろうが、いつも通りに生きるだろうし、記事も書くだけ。
なので大きくは変わらないよ!大丈夫ですよと言っておきますwマジで文面通りの気持ちでいるだけですw
悲しいとか、辛いとか、不安よりも先ずどうやっていくかな?というプランニングとビジョンを考えていくことを優先しています。
まぁまとめると。
なるようになれ!それだけだ!!
である。(最後の最後でふざけ始めるな)
なのでそういう事もありますよ的な記事でした。
てな理由で次の記事のジジさんはー?
にわか小説好きが性懲りもなく本を買った
またコイツスピリチュアルな記事を書いている
久々に食べた吉野家の牛丼で盛大に腹を下す
の三本です!
それではお楽しみにー。
それではまた👋👋👋👋👋