自分の価値なんて自分で決められれば十分。
自分の価値を他人に委ねている時点で、自分の本当の価値を知らない。そして全てが他人軸で回れば、自分が自分では無くなる。
今までずっとそうやって資本主義は回って、搾取する者、される者が二分化されていた。でも一度考えて見てほしい。
ずっと今まで価値があると信じていた物とはなんなのか?
お金を出せば自分の価値や魅力が上がるのか?多くの犠牲を払って得た物が、果たして自分の魅力に繋がるのか?
僕は誰でも人はオンリーワンでありナンバーワンだと思っている。それは他人の物差しを取っ払った前提での話。
だけど世の中は常に他人を軸にして回る。
流行りのファッションも、話し方も、動作も、音楽も。全て他人軸で判断される。
考えてみて欲しいんだけれど、他人評価次第で自分の価値が変わって、他人評価次第で自分の存在意義が変わって、そして自分の価値を見出せぬまま、下手すれば自分の命を断つって。
僕はそれすっごく勿体ないと思う。
変な話。自分の世界や生き方は自分だけのもの。それを人に指を指されて、嘲笑われた所で、その人に何の意味があるのかと。
これは自分の世界であり、人は容易く土足ドカドカ入り込めるものではない。自分で自分を滅茶苦茶価値があると思えれば、それが最高だし最強。
でも世の中そうはいかない。そう甘くはないと人は言うけれど。じゃあ自分の価値を他人が決めていいのか?言われれば、僕は逆にその相手が甘いよと言いたい。
確かに人に迷惑をかけまくる害悪な人間ならば、他人がジャッジしてもいい。そうでもしなければ自分の行いを悔い改める事が出来ない。自分自身は人を通してみなければ分からない部分が多い。だから人は人と関わるんだけれど。
だけど最終的に、最後のジャッジを下せるのは自分。
処刑台に座らされて、大衆が歓声を上げながら今か今かと待ち受けている。でも最後の一振り。そのスイッチは自分が持っている。
大衆に促されて、自分で自分を処す。その最終決断を下せるのは自分しかいない。
だからこそ、最後はそのスイッチを大衆の前でぶっ壊して、俺はこれから最高の人生を歩む為に、自分を認め、愛してやると意思表明をしたその直後から、全てがひっくり返ると思うんだ。
僕の周りには素晴らしい人が沢山いる。でも過去に嫌な事を言う人も、バカにしてくる人もいた。惨めな思いもしたし、自分が嫌いになった事なんて沢山あるけど、僕は敢えてその人達に礼を言う。
本当の自分の良さを教えてくれた、気が付かせてくれた、そして僕がもし同じ思いをしたとしても、自分だけは裏切らず、信じ、愛する事が出来る。
その大切さを教えてくれたし、自分の価値が無数にあることに気がついた。
そのマインドから無敵な心掛が産まれて、自分なら出来る、上手くいくと思える様になる。
だからこそ自分の価値なんて、自分でつけられれば十分
自分が最高だと思えば最高の人間だし、最低だと思えば自分は最低になる。
最高の人生を歩む為に、自分は超最高だと思うしかない。そして自分自身の舵は奪われてはいけない。自分は自分。そして自分が生み出す全てを愛する。
人生とは作品であり、その間に起こる出来事は着色でありスパイス。自分が見下されようが、馬鹿にされようが、笑われようが、それに比例して自分がどんどん素敵に魅力的になるだけだ。
そのきっかけを作ってくれた事に感謝してやればいい。
自分は最強。超最強!!
もはやそれだけなんだと思います!
せっかくの人生だもんね。最高じゃなきゃ面白くない。
これが最強のマインドの作り方なのかな?と思いました。
それではまた🤟🤟🤟🤟🤟🤟🤟🤟🤟🤟
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