
子供がくだらない事をしていて何が悪い?
昨日から降り積もる雪に憂鬱になりながらも、毎朝の日課である雪かきを終えます。寒いし、夜中に積もった雪のせいでマトモに車を走らせる事も出来ずに、イライラしてます。
本当は今日釣りに行きたいのに、雪のせいで断念。
ムカついたので雪だるまを作りましたwどうですか?この雑さ加減。
でもねぇ、雪だるまって難しいんだよ。ちゃんとバランスを考えないと崩れるし、そもそもまん丸に丸められない。
良く凄い綺麗な雪だるまを作って投稿している人達を見ると、尊敬の眼差しで見てしまうよね?雪合戦だって、子供達は本気で遊ぶのかな?
さぁ本題に入る。
子供のやる事を下らないと揶揄する。僕も子供時代、知らない人に言われた事があります。
「そんな下らない事をしてるんじゃない!馬鹿になるぞ!」
その言葉には救いがなかった。確かにその理由すらも知らずに、何も考えずにやっていたらいつかは馬鹿になるかもしれない。でもさ、
「子供が下らない事をしていて何が悪いんだ!?」
って思うんだ。現に人なんて下らない事を一生懸命している方がイキイキしてる。性もない事を馬鹿みたいに懸命に頑張る人達の方が何かと楽しそうだ。それは若ければ若いほど、その経験って活きてくる事が多い。
ほんとに何でもいい。消しゴム集めたり、雲の数を数えてたりだって良い。子供の頃からそういう事に熱くなれる事が、多くの選択肢を生むケースが沢山ある。
だからこそ、大人が見て「下らない」と思うことを、その価値観を子供に植え付けては駄目なんだと思う。子供にとってみれば、それは下らなくない。人生をかけてでも追求したいものかもしれないし、守りたい事なのかもしれない。
そしてその大人も、下らない事に一生懸命な子供の姿を楽しそうに眺めてればいい。好きなお酒でも飲んで
「見ろよあいつら、あんなに馬鹿やってるな!楽しそうじゃないか!」って酒のツマミ片手に笑っていればいい。
下らない事をやって来て、下らないと揶揄されて自分を直して生きてきて、そしていつしか自分がその年代になって、下らないと思う若者の行動を揶揄する。
その無限ループがいつしか普通という枠で縛って身動きを止めていく。
何故?どうして?と考える猶予は与えられず、いつしか心だけが置いていかれて、身体は大人に成長していく。それがいつしか親の期待に応えねばならない、大人という枠に入らなければならないという焦りに繋がって、壊れた子供達は小さな怒りを溜めながらいつしかそれが爆発してしまうんだと思う。
いつしか子供達は親の期待のもとで育って、不良達が普通の子供達をコントロールして、驚異の対象として君臨していた時代から、普通の子供達の間で優劣が産まれて、弱いものへと牙を向けていく。
そんな組織の中で生きていかざるを得ない子どもたちが、尚子供が熱中している「下らない事」を取り上げてしまって良いものか?その罪がどれだけ大きいのか?考えた事があるのだろうか?
大人は大人なりの苦労を抱えているが、子どもたちだって同じ様に葛藤している。違いを知らない子どもであれば、尚更その組織は殺伐としているのではないのか?
下らない事を見つけて行動できるのが子供。
その下らない事を形にして常識に出来るのが大人。
どんなものでも下らない行動から産まれたという事を思い出して欲しい。そう考えれば下らないものってないよなという結論に落ち着くよね?
だからこそ、遠慮しないでどんどん下らない事を極めて欲しい。カッコいいとか悪いとかそんなの抜きにしてね!
それではまた👋👋👋👋👋👋👋👋👋👋