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書くことが才能ではなくて、書けるだけで才能があると思う。

どんな分野にもプロがいて、プロがいるから自分の作品を比べてしまう。趣味だったものを稼げるものへ持っていくために、自分自身の能力に対して高いハードルを設けてしまうように、書ける事から書くことへ変わっていく。そうなると浮かんだ物を捨てなければならなくなる。

ただ只管書けば良いでは成功しないのでは?と不安になる。だから他の人の作品と比べてしまって、自分の書けるという才能を忘れてしまう。本当は書けるのに、書けないと思ってしまう。

何故自分が辛いのだろうか。何故苦しんでいるのか?という気持ちを紙にぶつける時、自分の言葉で具現化出来る事って実は凄いこと。それを上手く文章にできているとか、形にできているとか、そんなの二の次三の次で、自分の頭に湧いてくる世界を表現するのは実は難しい。


自分から他に目を向けると、苦しみが産まれる。
世の中にもし自分しかいなければ、比べる対象がいなくなる。居なくなれば、上も下も無くなる。そして多くの作品だって、個で見ればどれも素晴らしい。他と比べなければの話。

人生の多くは他から産まれる。個を大事に生きていながらも、必ずと言って人は他に目がいく生き物だ。

プロ野球選手が羨ましいと感じる高校球児がいて、メジャーリーグに憧れるプロ野球選手がいる。個人で見れば素晴らしくても、団体スポーツではそうはいかない。


どんなに自分の気持ちを具現化出来たとしても、評価をしてくれる人が存在しなければ価値がないのだろうか?作品と言うものに優劣が存在するのだろうか?

作品に値打ちがついても、自己表現には値段が付けられない。人が生きて、身体に刻んだ多くの古傷は、誰にも真似できない凄みがある。

それを表現できるということはとてつもない才能なんだよと。だからこそ、書ける自分を誇らしく思えば良いのではないか?書ける喜びを感じれば良いのではないか?と僕は思う。


そしてどんな作品でも、必ずずっと残っていく。僕たちがこの世から居なくなって、閲覧できる環境が続けば、誰かがそれを拾ってくれるはず。その言葉が伝承されていくはず。新たな生き方を知る物が、過去の人々の生き方に触れられるキッカケにもなる。


だからこそ、今ここで書いている多くのクリエイターさん達は「皆素晴らしい才能の持ち主なんだよ」って事です。



優劣なんて何もない。



それではまた🌌🌌🌌🌌🌌🌌🌌🌌🌌🌌

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