ケース-1271364⑤
駐車場から出て、スタスタと亜城が歩く
道は荒れ果て、ほとんどが砂利だ。一部アスファルトが残っている所もあるが道も建物も土気色だった。
廃線になった線路やツタが絡みついているアーケードのトタン屋根など、どれも制御され、監視されてる区域とは違う。
まるで異国に来た様で、江藤は嫌でも視線があらゆる所に引っ張られていた。
亜城を見失わない様にだけ急ぎ足でついていきながらも周りの視線も痛い。
杖をついていると、柄の悪そうな恰幅のいい男性や改造人間、果ては壊れかけのアンドロイドなども見て
ヒソヒソと話をしている。
視線を戻すと、亜城は10mは先を歩いていた。
その行き先に目をやると文字が掠れて見えないが
ー ット
とだけは辛うじて見ることが出来た。おそらくマーケットだろう。
アーケードの屋根の骨組みのみが残り、そこからさす光が路地を照らしている
細い道に露店や人がひしめきあっている。
呼び込みのうるさい声や、喧嘩まがいな罵り合い
人が生きている、という活気と衛生的ではない臭気が立ち込めていた。
亜城は振り返らずその人混みのなかに消えていく。
彼女の毛量の多い真紅のショートヘアだけが
歩くたび揺れていた。
それを頼りにして江藤は人にぶつかりながら進んでいく。
一度も江藤を見ずに歩幅を大きくして歩いている。
不機嫌なのか、早く到着したいのかまではわからないが
異様な雰囲気でズンズン進む。
開けた所に突如出た。広場だった。
広場の突き当たりには大きい教会があり、パイプ椅子に座った自分と同じぐらいの年齢のお爺さんがベイブレードをしていた。
教会の入り口の階段を駆け上がって亜城が初めて振り向いた
「名前も脳移植の事も言わないで…聞かれたら答えて」
「わ、わかった」
教会の頑丈そうなドアを開けて、椅子に挟まれた回廊を歩くと左に扉があり
奥には細い階段があった。
それを上がっていく。人一人が身体を斜めにしてようやく上がれる螺旋階段だった。
登った先には薄暗い通路があり、「詰所」と書いている扉の前で亜城が止まって深呼吸をする。
ノックする。
「ボス、亜城戻りました」
「入れ」
関西弁だった。意を決して一人で入っていく亜城。
江藤は薄暗い廊下に取り残され、よく考えたらコンテナで気絶して以降、一睡もしてないのを思い出すと
身体がどっと疲れた。
12時間前には目的地についてるとは思ってなかった。
指名手配が監視社会でかかっている以上、監視カメラもIDチェックも無いこのスラムと呼ばれる街以外は
安心できる所はなかった。
最速で到着するに越したことはなかったのだ。
だが、誤算もある。
自分が誰かを認識している人間がいるのに江藤はかなりリスクを感じていた。
この後亜城のボスに何をされるかはわからない。
無法地帯は監視社会の安心感は無かった。
数分してドアが開いた。
亜城が部屋へ招き入れる。
「狭いとこやけど堪忍してや」
ソファーに座った男は新聞を見ながらタバコを吸っている。
「座り」
江藤は恐る恐る破れた革張りのソファーに座る
「エトー、やな」
「はい」
「元警視総監、脳の移植で手に入れた身体は、偶然ウチの隊員やったワケや」
亜城がボロを出したのが即座にわかった。
市崎はかわいい所だと言っていたが
下手をすると命に関わるので、江藤は一度もかわいいと思った事はなかった。
「…はい」
「ラッキーなんてもんちゃうで自分、ここ向かっとったんやろ?何で来るつもりやってん東京くんだりから」
「幸い、身体は動きますので、船と徒歩で」
「船と…徒歩…船と…徒歩で」恰幅の良い男は浮腫んだ顔で何回も江藤のつま先から頭のてっぺんに目を行き来させている。
「むっちゃくちゃやなお前!!」ゲラゲラと男は笑う
「無理やろ!!そんなん!!…息出来ん!!」
タバコも床に落としてゲラゲラと笑うのを
ただ江藤は見ていた。
この後の自分の処分がどちらに下るのかそれを考えると作り笑いも出来なかった。
亜城も暗い顔をしていた、少しボロを出したにしては暗すぎるとなんとなく江藤に印象が残る。
「おう、亜城、もう帰ってクソして寝てええわ」
亜城が一礼して去る。
ドアが閉まる音がした。
それまでゲラゲラ笑っていたが、ドアが閉まった瞬間笑顔が消えた
「…ほんで、江藤さん、真面目な話やけどな」
処分だ。江藤の直感が告げている。
「あの亜城っちゅう女は関東での任務で潜入してたけど、前に人間の夜明けっちゅうデカいテロ組織が解散した後は、九州と新潟飛んでってもろててな
ほんで、ウチの那篠の目撃情報があってここに帰ってきて、すーぐ東京に向かったんや」
「色んな所に…テロ組織予備軍が…」
ラーズ、前回も触れたがテロ組織や国に対しての反対運動が過激化する前にその組織に紛れ込んで
情報を国に流す組織。
警察とは別の指示系統で、警視総監としても情報でしか目を通した事は無かった。
江藤のドナー提供された身体に刻まれていた左の鎖骨の下にあるハヤブサのタトゥーのみが秘密裏にラーズかそうでないかの隊員同士の判断基準になっていた。
「6年前までは、人間の夜明けっちゅう組織の中におってな
その時亜城と別々の時期にテロ組織の潜入に入ったウチのメンバーの一人が
那篠や、お前の身体の持ち主や」
江藤はハッとした。
攻撃的な空気も、車の中の沈黙も、スラムに入ってからの態度も何もかもが繋がった。
大事な人の死と脳移植を心が受け入れてなかったのだ。
すんなりと受け入れては無かったが、報告するまでは感情を表沙汰にしまいと態度に出てしまっていたのだ。
タトゥーの位置まで知ってたという事は仲もそれなりには良かったんだろう。
「残酷な事を…」江藤の口から無意識で漏れ出た
後悔が襲ってくる。
「…まぁな、でも向こうに飛ばしたんは俺やし本人たっての希望で探しに行ったから、オッチャンは悪ないで。那篠自身、最後にえらい、危ない橋渡って情報流しとったからな…連絡取れへんなった時に、一回は死んだやろなって言うとったんや」
薬物のやり過ぎで那篠は死んだのではない。
消されたのだ、組織に無理矢理に薬を投与され脳のみを破壊して。
死体は当然の如く監視社会でドローンに発見され、身体のスクリーニングが行われ、江藤にドナーとして提供されたのだ。
タバコの煙を吐きながら男は目を細める。
「そこらへん、わかったってや…ほんで、そういう事やから、亜城には近付かん方がええ…すまんでいきなり」
那篠を知りたい。江藤はそう思った、この身体について
引き継いだ者として、知っとかなければいけない。
そう強く思った。
「もし、よければなんですが、那篠さんについて教えてくださいませんか」
男が呆気に取られた顔をする
「まだ知りたいんか?こんなけの話聞いて、えらいほじくるなぁ」
「提供された身体については、どこの損傷か、しか伝えられてなくて
私がどなたの何を得たのか、引き継いだのか
それを…もし良ければ…お教えいただきたく」
江藤は深々と頭を下げた。
「止めへんし、教えるけど自分、それ背負えるんかいや?」
男は真剣に、睨んでる様にも見えた
「彼が何を見て、どう暮らしたのか、身体を引き継ぎましたからなんとしても背負います」
江藤も目の奥が燃えていた。
全てを失ったと思って命からがら逃げていたが
その手足や体躯は数奇な運命を辿り、再び彼の縁の中に帰ってきた。
それを引き継ぐ者として、全てを知った上で
彼の目で見て、江藤は生きていくと誓った。
男は微笑んだ。
「変わった爺さんやなホンマ。まずは朝飯でも食いに行こや、俺がついとったらまぁどないでもなるわ」
財布や鍵束をジャラジャラとポケットに詰めながらサングラスをかけて陽気に扉の前に立つ
「俺の名前は洞のホラっちゅう字でウロ言うねん、ウロウロしとるからウロ、忘れたら死ぬ」
「死…?」
洞(うろ)はケラケラと歯を見せて笑った。
「おいなはれ、へんこのオッチャン、ここが大阪、ID化反対運動のメッカ、自治区域ネオニシナリや」
扉の外へと二人は出ていった。