ケース-1271364②
指名手配から二日目の夕方、KAが業務から帰ってくる
メモ書きに書いたリクエストの品を江藤の前に並べる
「ID認証無しの携帯、プリペイドです。
若者の着そうな格好の上下、センスはないので今日目の前を通った人を参考にしました
ミセスマフィンのパイナップルマフィンとブラックコーヒー
それと強心剤、ビタミン剤、包帯
抗生物質
紙幣と硬貨
以上です」
「ありがとう」
「メモに武器が書いて無かったのですが」
「武器は必要かね?」
「非常時に役に立つかと」銃を差し出すKA
「KA」と眺めていた物品から目だけKAの顔を見て江藤が呼びかける
「はい」
「普通の人間として振る舞うなら、引き金を引く事に躊躇する事だ、どれだけ正しくても、加害を選ぶ時は自分の判断に怯えるものだよ」
「覚えておきます」
「それとマフィン、ありがとう。食べるのはこれが最後になるだろうな」
「また差し入れます」
「いや、良いんだ、過ぎた品だったんだ。これを食べたら私は去るよ」
「どちらへ」
「知らない方が君の為だ」と江藤は微笑んだ。
部下の前で江藤が気を付けていた事の一つに"笑顔"がある。
どれだけの波風が江藤を襲おうとも、表情を曇らせた途端、江藤の不利な方向に行く事が多かった。
派閥争い、交渉、取り調べ、東出の死
いついかなる時も笑顔を張り付けてきたそのクセが
無意識に口角を上げさせた。
「もう16時間は経ってる…早いな」
江藤はマフィンを食べ、コーヒーを啜りながら夕焼けを眺めた。
元の身体の時はもっと味がしたかも知れない、と
答えのでない思案を巡らせていた。
そして太陽が沈みきった頃、KAの用意した服に着替えた。流行りの服。
何度か街で見かけた事があるタイプの服だった。
江藤自身、流行りの若者の服を着たのは久しぶりだがフリル、フレイズ、レースやつけ襟、ドレープがこの時代の流行だった。
布にゆとりを持たせたものが多い。
市民への抑圧が、それへの反抗がファッションとして余分な布を被服につけて着飾らせたのかも知れない。
ゆったりとしてるようで襟の下は窮屈だった。
江藤は少しぎこちなさそうに首元の襟を触った。
「3日後、メモ帳の一番後ろを警視庁の遺失物預かり係の机に置いておいてくれないか」
「何か書いてたんですか」
「君は知らん方が良い、単語も誰が取るのかも。それでは」肩掛けカバンをかけながら言う
KAは敬礼をし、それに江頭の表情がほどけて、微笑みながら敬礼を返した。
「達者で」と江藤。
彼はきっと上手く生きていくだろう、表情こそ硬いが立派に意思をついでいる、江藤は嬉しかった。
闇夜を江藤は杖をつきながら歩く。
明るい場所や監視カメラを避けながら。
いろんな思い出があったが、二度と戻れない街の事を懐かしみながら。
フワッと香ったパイナップルマフィンの匂いが猛烈に後ろ髪をひいた。
移動のたびに追手への警戒や車のカメラなども気を配らなければならないが
それをしてでも行きたかった場所があった。
30分程街を海沿いに歩いていると
後ろから追っ手の気配がした。
窃盗や恐喝をする集団も珍しくない場所だ
相手にこちら側が気付いていると勘付かれないよう歩を進める。
歩みを止めない事を優先した。
歩くたびに後ろの追跡者の情報がわかっていく。
人数はおそらく一人。
アンドロイドではなく人間。
などと、思案を巡らせて背後を30m程離れてついて来る人間を巻かない様に、近付き過ぎない様にしながら歩いた。
違う事に気を取られていると思ったよりも早く目的地まで着いた。
誰一人居ない霊園だ。
ここにはながらく墓参りをしてない江藤の先祖がいる。
IDで管理されないスラムに身を隠す前に
手を合わせにきた。江藤自身は真っ当に生きられなかった贖罪もどこかに感じていたが
次はいつ来るのだろうか、と、あるいは次はあるんだろうか、と手を合わせながら
覚悟を決めていた。この先に何が起こるかわからなかった。
追跡者もあっけに取られたのか、入り口でおずおずと躊躇っていた。
深呼吸をして江藤が尋ねる。
「どこのものだね」
話しかけると、フードをめくって現れたのは赤髪の浅黒いショートの女性だった。
背丈は江藤よりは低いが平均よりは高い方じゃないだろうか。
女はフードをめくってなお、こちらが誰かわかってないのに戸惑っている
「すまないがね、私は君の思ってる人間ではないのだよ」
「どういうこと」
「昔の記憶が無いのさ」
とっさの嘘だったが女は黙った。
現実を受け入れられないのだろう。
だが脳移植について触れるのは悪手だと江藤の勘が告げていた。
高リスク、高費用、となれば予測されるのは略奪だろう
全てを奪われてなお、何を守ってるのかと自分で言いながら戸惑い、江藤はキョトンとしてしまった。
少し口角も上がっていたかも知れない。
相手の女はジッと見つめていたが
幸いキョトンとした顔をしていたのもあり
敵意や嘘が感じられなかった故に
少し女の顔の緊張が解けた。
「左の鎖骨の下、タトゥーが入ってるでしょ」
「あぁ」
「それが私にも入ってるの」
ドナー提供された身体には、タトゥーが入っていた。
女の話から察するに団体に属する事を証明するためのタトゥーの様なものなのであろう。
ハヤブサの頭部が描かれていた。
脳移植後、何度かデータベースを調べたが該当する組織は無かった。
恋仲でもない限りはまだ複数名仲間がいて
彼女の様にこのドナーの死について知らないメンバーとの接触があるかもしれないと江藤は予想する。
「消えた方が良いなら私は二度と目の前に現れない様にする、約束しよう」江藤は目的を探る
「どこへ行くの?」
「さてね、何にも干渉されない所が良いがね」これは本心だった
「記憶が戻るかわからないけど、貴方には戻るべき場所があるの」
「嫌だと言ったら?」
「晩御飯だけ付き合って」
江藤は後悔した。ただの記憶喪失という設定ならばそれは可能だが
今は追われている身
「何故かわからないけど、警察に追われている、迷惑はかけられないよ」
「スラムまで行きましょう、それでどう?」
江頭の目的地と一緒だった。
断る理由は無かった。
「ありがとう、のった」
「亜城(あじろ) レミ」握手を求める手を女は差し出す
「わ、私は…」握手の手を差し出すが本名は言えない江藤
握手の為に差し出した手が力強く亜城に引き寄せられる
「黙ってついてくりゃいいの、忘れてんだから」亜城はケラケラと笑った
犯罪に手を染めて無ければ良いなと江藤はうっすら思った。
墓地からスラムまでは、そう遠くなかった
スラムと呼ばれる"無法地域"は私鉄で言うと縦横四駅程の広さがあり
反ID化運動の名残りのバリケードに囲まれている
昔は暴徒と化した住民との小競り合いが絶えない地域。
杖をついて歩く江藤に構わず、軽快に歩を進める亜城
「着いたら何食べたい?」と振り返って聞く
「食べたいのは君じゃないのか」
聞こえてるのか聞こえてないのか歩くペースを緩めない亜城。
夜はまだ22時。
行き先の名前はネオニシナリ。
この0.1秒監視社会において
混沌と矛盾が渦巻く人間性の最後の砦だった。