ケース-1271364⑥
賑やかな街の行き交う人々。
来てから3時間は経ったろうか
江藤は洞(ウロ)に連れられて町のかすうどん屋に来ていた
「このスラム来てこの店寄らへんっちゅうのは、情報知らんか、誰にも歓迎されてへんかのどっちか」
言うやいなやうどんを啜る洞。
朝からカスうどんか…と元の身体の記憶上、胃がもたれてしまうことを杞憂している江藤はうどんを見ながら茫然としていた。
油カスがデカい。
刻んだモノが乗ってる様な写真としての記憶はある。
こんなにデカいのが乗ってるもんなんだろうか
いなり寿司ぐらいのサイズの炒めた油カスが焦げ目がついて二つネギと共に乗っている。
カスうどんを江藤は一度も食べた事はなかった。
奥の厨房では改造人間である店主がうどんを湯切りをしている
湯切りをする為に改造手術はしないので色々な人生経験を得たのだろうと勝手に思った。
ふと店内を見回す。
店内の客は、自分の目の前のご飯に必死だったり
何か考え事をしていたり、友人と食べていたりして
それぞれのドラマを生きている様だった。
「はよ食わな伸びてまうで!」
洞は汁を飲み干した。
汁まで全部行く食べ物なんだなぁと江藤は学習した。
にしても洞は食べるのが早かった。
江藤も恐る恐る汁を掬う。
牛の脂の芳香が鼻の奥をついて食欲を刺激する、レンゲに口をつけると熱いぐらいの出汁が口内に流れる。
油分がふたがわりとなり、熱が逃げるのを防いでいたのがわかる。
激烈な熱さの後、シンプルな鰹出汁が口いっぱいに広がり、最後に醤油の薄い匂いとわずかな塩味が口に残り、牛の脂を揮発させて鼻に抜ける。
レンゲが二口目の汁をすくっていた
そんなバカな、汁の味見の後は麺だ、そうわかっているのに箸に持ちかえる事は叶わず、ゆっくりとレンゲを近付けていく。
江藤は自分の中の何かと戦っていた。
無意識でレンゲですくってたこと、美味しいと思う前に身体が動いてしまっていた恥ずかしさだろう
戸惑いながらの汁、二口目。
舌が慣れたのか塩味が薄く感じる。
だがその分鰹と牛脂の匂いがよりソリッドに感じた。
箸に持ち変える。
するっとレンゲが離れ箸を人差し指ですくってポジションに設置する。
このカスうどんは人をコントロールしている、とさえ思った。
改造人間の店主は、腕についた湯切りで一杯ずつうどんを入れている。
目の前の洞は爪楊枝で歯のネギをとっている
よそみをしてしまっていた。
うどんを自分の思ってるより多めに箸に取ってしまった。
冷まさないと火傷してしまう、それほどに出汁は熱かった。
口を尖らせ一生懸命に麺を冷ます、だが冷ますと同時に鼻から抜ける脂のジャンキーな匂いが、冷ます為に尖らせた口にうどんを近付けさせる。
もっと近く、もっと近く、箸にかかる先程より多いうどんを
冷ましたいのか啜りたいのかわからなくなっていく
うどんを持ち上げる箸がみるみる口に近付いていく
唇とぶつかるかと思った瞬間、ズゾゾッと束のうどんが瞬時に江藤の口に飛び込む。
江藤は抗えなかった。
熱いのももう関係無かった。
口の中に広がる、麺の表面がモロモロになっている
歯で噛み切ろうと圧をかけると歯に吸いついてくるうどんの感触。
炭水化物の甘味と塩味、そして纏っている脂の香ばしさが咀嚼を止めさせない。
薬味のネギも時にその咀嚼に混じってシャリっと気味の良いテンポ感を出している。
「あぃえふ…!!(※あり得ん!)」
江藤の口から美味しさへの最後の抵抗が出た。
美味い、美味いのだ。こんなに美味いものを食った事はない!!
こんなのあり得ん!!と。
思わず目を見開く。口で表現出来ない旨さの分だけ目をかっぴらいてしまっている。
熱いのに次の箸はもううどんを掬ってしまっていた。
啜るしかなかった。
最後にこの大き過ぎる油カス。
身体に良いわけが無いのに、ふてぶてしくもうどん達を玉座に仕立てて鎮座している。
茶色く焦げた部分と、白色部分のコントラストは
もう血管にそのまんま詰まるんじゃないかと思わせる
カロリー界の暴虐王。それがそこにいた。
箸でつまむと、プルプルとしていて、いかにも身体に悪いとわかった。
「こんなの脂の塊じゃあないか、もうこちとらうどんの出汁とうどんで感情は使い果たしてる
何が来ても驚かないぞ」と
江藤はそう内心思いつつも身構えておそるおそる口に運ぶ
大きめの油カスを齧る。
油カス内の内包され熱された脂は、まるで清流の様に口の中に注ぎ込まれた。
それぐらいさらさらしていた。
かじり切れずにまるまま口に入れ、うどんもかきこんだ。
脂と麺とネギが口の中で舞踏を繰り広げる。
緩やかに流れる醤油と鰹出汁のクラシックなBGM
コレは全てが予定調和の壮大な冒険だったのだ
こんなに整ってるのか…かすうどん…
そして自分はこのハーモニーを観ている観客にすぎない
拍手の代わりに顎を動かす事しか出来ない。
無意識に目をつぶりながら咀嚼し首を横に振る。
アンビリーバブル…。
お椀の汁を啜りながらそう思った。
恍惚のため息が出る。
汁の一滴も残さずに完食した。
大きく感情が揺さぶられてその残響は静かに
江藤の頭の中、心臓、口で響いていた。
なんでこんなにご飯を食べるだけで忙しくしんどい気持ちなんだろう、と思った次の瞬間、机が急に目の前に立ちはだかった。
…と見えたのは江藤視点で
江藤は机に突っ伏してブラックアウトした。
疲労が限界を迎え、汁を啜りきった後おでこから机に当たったまま気絶した。
話が変わるが
このエリアがスラムと呼ばれ始めたのは2090年
それより前は、職を失った人間や不法入国者が集まって暮らしていた。
国の財政が悪化し不法移民不法入国民に対してコントロールが効かなくなった政府が、税の徴収も兼ねて全国民データ化政策を開始した。
実質的に全国民データ化が掲げられたのが2095年、声紋認証制度やDNAの管理が行われ、常に人が監視され始めた。
その際にその時代の動きに抵抗する地域が生まれ、電子マネーもカードも使用不可、紙幣と硬貨での取引のみ
監視カメラが常に誰かに破壊されてしまう、地域ぐるみで0.1秒監視社会から切り離された地域が生まれた。
"全国民データ化"に刃向かった者、国民ではない者、の大半が隔離されて、今に至る。
何度も政府の意向を無視して抵抗し続け、スラム、と呼ばれる様になる。
最近になってダイクロン社より回収令がかかったKAシリーズの、エラー品や孤立品、そして不法に人体を改造してしまい未登録の改造人間などもここでひっそりと暮らしている。
ぶっ倒れた江藤の前の洞(ウロ)は、タバコを吸いながら新聞を読み始めた。
「おう、市崎おったら呼んで」
と、店員に伝えた。
数分して市崎が来た
洞は立ち上がって金を店主のいるカウンターに置く。
「市、コイツ運んどいて。俺亜城行くわ」
市崎は手でOKとすると江藤を担ごうとする
「あ!あんま揺らしたらあかんからな、かすうどん全部出てまうから」
「ひきずる?」
「今日はやめといたって」市崎と洞は笑う
「ほなな」
洞はそそくさと出て行く。
「ま、適当に寝かせて俺もうどんでも食うかな」
洞が置いていた今朝の新聞には
指名手配になっていた江藤の情報、IDなどがデータごと抹消された、という風に書いてあった。
KAが出したメモで、江藤の従えていた名もなき協力者達が、江藤を完全にデータから抹消したのだ。
「ちょっとはやりやすいだろうな、エトーさん」
寝ている江藤に向かって市崎は微笑みかけた。