見えなくていいこともある
小学生から眼鏡をかけていた。中学生からコンタクトデビューし、今でもコンタクトだ。寝る前や起床直後は裸眼なので何も見えない。何もというのは言い過ぎだけど、0.1未満の視力では物がそこにあることが分かるくらいの認識。
今朝は朝の光で目が覚めた。自室が東向きの窓なので、朝だけは光が入ってくる。(欲を言えば南側にも窓が欲しい)
寝巻きの上からトレーナーを着て、帽子を被ってマスクを着ける。携帯と、保険にメガネだけ持って玄関から外へ。
コンタクトはつけてない。眼鏡もかけてない。そう、裸眼散歩だ。
何もつけてない状態だと世界がぼやけて見える。道に落ちてるゴミも見えないし、すれ違う人の顔も見えない。
何も見えないと、余計なことを気にしなくなる。「空気がひんやりしているな」とか「空が青くて気持ちいいな」とか、自分の五感に敏感になる。
見え過ぎないほうが良いこともある。目の前にいる人と対面で話して初めて、相手の気持ちが分かるくらいがちょうど良いのかも。人が私に見せている姿と腹の内で思っていることが違うのは分かっているけど、その答え合わせはできなくて良い。
今は、インターネットによって知らない人の腹の内まで知れてしまう。
中学生のとき、前略プロフや日記など今のSNSのさきがけのようなツールが広まった。私はパケホーダイではなかったので、学校から帰宅後にパソコンでみんなの日記を読んでいた。そこには、学校では見えていなかった腹の内が公開されていた。主に悪口や愚痴だった。名前を明言して悪口を書いているわけではないので、「自分のことかな」と疑心暗鬼になった。違うクラスの子が書いた内容でも「私、何かしたっけな」と心当たりを探してしまった。
人は見せている姿と見せていない姿があるんだ、というのを身を持って体感した。本人の口から直接聞かなくても、何をしているか分かるのが当たり前になった。
当たり前になったことと心に良いことかはまた別で、いろんな人が疲れているように思う。知らなくて良いことまで知れる状況に。
朝の裸眼散歩、久しぶりに「周りにあるもの」だけに集中した時間だった。
起床後、30分ほど陽の光を浴びることで体内時計がスタートするらしいので、健康にも良し。
朝は目覚めたら窓から1m以内に入る|ワコール すやすや部
https://www.wacoal.jp/pw/suyasuya/201801/post-5.html
裸眼散歩してみる場合は、車通りがあるところは危ないので避けてね。眼鏡も一応持っていってね。