臨界パワーモデル(8)
臨界パワーモデルのおさらいから。
「臨界パワー(critical power)」とは、運動において無限に保てる理論上の最大パワーです。ランニングはパワーと走速度が比例しているので、「臨界速度(critical speed=CS)」に置き換えられます。CSより下のペースであれば、理論上は永久に走り続けられます。実際には永久は無理で、筋肉の疲労やエネルギーの枯渇により止まらざるを得ず、現実的にはだいたい1時間が相場だそうです。
これまでの回で述べた通り、CSより遅い場合、血中乳酸濃度や酸素摂取量などは最初変化しつつも一定の値に落ち着き、定常状態のまま走り続けられます。一方、CSを超えると、それらの値は上がり続け、疲労困憊に至って速度を保てなくなります。つまりCSの時の血中乳酸濃度は、「最大乳酸安定状態」(the maximal lactate steady state=MLSS)になっています。
練習強度の分類として、境界にMLSSと乳酸閾値(lactate threshold=LT)を採用し、MLSS以上を「severe(シビア)」、MLSS~LTを「heavy(ヘビー)」、LT以下を「moderate(モデレート)」とする手法が学術界では定番になっています。それぞれ和訳すると、「きつい」「おもい」「おだやか」とでもなりそうですが、これで定着するでしょうか。カタカナ語そのままの方がいいかもしれません。
田中希実選手の記録が出そろう
前回の投稿で、臨界パワーモデルを元に「ホクレン・ディスタンスチャレンジ2020」で日本記録を含む快走を連発した田中希実選手(豊田自動織機TC)の成績を分析しました。その結論として、7月15日の5,000m競走では14:42.02の記録を出すと予想しました。
予想の方法は、下記の臨界パワーモデルの公式を使って田中選手の800mから3,000mの記録を分析し、臨界スピード(CS)と予備距離(D)を割り出し、次の試合の記録を予測、結果するというものでした。
距離=CS(臨界スピード)×時間+D(予備距離) …(式1)
結果は15:02.62でした。要因としては連戦の疲労などもあるでしょう。ご本人は「15分を切るイメージはできている」と語っており、今後に期待しましょう。
田中選手の現在の記録として、800m、1,500m、3,000m、5,000mがそろったので、改めて臨界パワーモデルで分析してみました。
田中選手のCSを計算
分析するには、記録がその時出しうるベストである必要があります。上記の4つの記録のうちどれがベストであるか、数字だけから判断するのはなかなか難しいです。
そこで、今回の1,500m(4:08.68秒)と3,000m(8:41.35秒)はその時点で出せるベストだったと仮定します。そうすると、臨界スピードCSは5.5(m/秒)となり、ペースで言えば400m72.7秒、1㎞3:01.8秒となりました。
前回も同じことを書きましたが、このペースが前述のとおり1時間程度は続けられると感じられるかどうか、興味深いところです。予備距離Dは132mになりました。この数字の説明は今後また別の機会にということで。
800、5,000mの予想タイムは
さてこのCSとDから800mと5,000mのタイムを求めると、800mは2:01.43秒、5,000mは14:44.91となりました。これが臨界パワーモデルが予測する田中選手のそれぞれの距離の現在のベストです。
Youtubeに田中選手の紹介動画がいろいろ公開されていたので、その練習ぶりを見てみると、こうした予想なんぞからは超越して、もの凄いきつい練習をされているようです。
観戦者としては、今後の彼女の成績を追いかけながら、CSの変化を計算したり、次のタイムの予想をしたりして、陸上競技を見る楽しみを深めていきたいと思います。